my lips are sealed

tamavskyのB面

松崎旅行②

松崎旅行① - my lips are sealedの続き。


宿を出て、通りを挟んで向かいの伊豆文邸へ入る。

かつて呉服商だった古民家が無料開放されている。「伊豆文」は屋号。

広々とした二階建てで、"おばあちゃんち"のような雰囲気。

 

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誰もいなかったので、日の当たる縁側でしばらく読書に耽る。

こちらも既読だが村上春樹アフターダーク」。

少し前に友人との会話の中でこの本の話になったので時間があるときに読み返そうと思っていたので持ってきた。

羊をめぐる冒険ノルウェイの森のように重要な人が死んだりしないので、読み返すのもわりあい楽だった。

近くの公園の足湯につかりながら、ベンチに座りながら、この日はほとんど本を読んでいた。

 

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海へ向かって少し歩くと中瀬邸がある。

こちらも呉服商家だった建物で、100円の観覧料が要る。

 

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あけっぱなしの家のような伊豆文邸に比べたら観光スポット然としており、所々でスタッフのおばちゃんが間取りについて簡単に説明してくれる。

 

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応接間だった部屋は甘味処となっており、ぜんざいや抹茶フロートなどがあって古民家カフェのよう。

松崎の名産である桜葉が入ったアイスクリームが乗った桜葉抹茶フロートをいただく。

 

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同じく甘いものを食べて一休みしていた60歳くらいの男性に声をかけられ、さっき伊豆文邸で本を読んでいましたよね?と聞かれた。

旅先では特に一人でいるのが好きだ。人に話しかけたり、話しかけられたりしやすくて面白い。少しの間、世間話やお互いの身の上話をする。彼は、もうリタイアしたけど都の職員をしてたのよ、とのことで、仕事柄役所に関わることが多いので親近感がわいた。

昨日の夕陽がすごかったんですよ、と動画を見せていただく。海のすぐ近くのホテルに泊まっていて、部屋から海に沈む太陽が見えたのだそう。

私も夕陽が見たくてここに来たようなものなんですよ、と3年前に偶然撮れたモネの絵画のような写真を見せる。

 

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夕陽が見たくて、なんてロマンチストのようだけど、松崎の海岸は海辺で夕陽をみながら頭を空っぽにする時間の素晴らしさを教えてくれた場所だ。


ちなみに抹茶フロートは、何かの縁だからとこの人にご馳走になってしまった。


中瀬邸を出て、さらに海へ向かって歩く。

防波堤が視界に立ちはだかるとその向こうから波の音がする。階段を登ると眼前に広がる海。

 

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昼の浜辺はとても暑かった。砂浜でしゃがんでみると辺りが穴だらけなことに気がつく。そのままじっとしていると穴から穴からカニが出てくる。

 

前日とは打って変わって汗ばむ陽気だったので、「氷」の幟につられて港にほど近いカフェに入る。最近オープンしたばかりだそうで店内はピカピカ。私と母親の間くらいにみえる女性が切り盛りしていた。

 

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マンゴーミルクかき氷を食べてクールダウン。

ずっとBeckが流れていたので気になって、お会計の時に話に出してみると「古い曲ですよねえ」と控えめに答えてくれた。今年のサマーソニックで見たことを話したが、もっと音楽の話をしてみればよかったなあと思う。


そのあとは少し町を歩いた。

用水路のような小川に目を凝らすと、アメンボ、カニ、メダカがいる。メダカがいるのには驚いた。

(カニといえば、前回の滞在時ーつまり教習所に通っていたとき、路上教習中にカニが道路を横断し始めて教官と一緒に困り果てたことがあった。)

民家からきれぎれに聞こえるピアノの音、教会の入り口に貼られた日曜礼拝の題目。地域の集会所から漏れるおばさまの井戸端会議。長閑な田舎の生活が目から耳から流れ込んでくる。体験したことがないのに普遍的に見えるし、懐かしくさえ感じる。これが原風景というものなのだろうか。

 

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夕方まで何をしようか迷ったが、あまりにも暑いし、お腹も減っていなかったので、伊豆の長八美術館へ入った。

伊豆出身の入江長八は漆喰鏝絵を芸術の域に高めた天才的な職人。彼の作品を所蔵している美術館である。

建物の外観のスケールのわりにはこじんまりとした展示だが、漆喰鏝絵の美術館なんてここの他にはどこにもないので、なかなか興味深い。

出てみると、少し日が傾いている。またしばらくの間公園のベンチで本を読んで夕暮れを待つ。なにかを待ちながら本を読むというのは難しい。好きなシーンだけを何度かなぞるように読み返した。

 

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海へ戻ると、ようやく太陽が水平線のすぐ上まで落ちてきていた。

雲が少なく、カメラには陰影の強い砂浜と波が映る。

どうも3年前のようにはいかない。

あの日は曇っていたので、夕陽がやわらかいピンク色となって海に反射し、不思議な光景を作り出していた。

 

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この日の風景は例えるならターナーのようだった。《レグルス》という作品を見たときの驚きをよく覚えている。油絵なのにひどくまぶしいのだ。

捕虜として瞼を切り取られて地下牢に閉じ込められていたレグルスという軍人が太陽を見て失明した、という話の絵であったと思う。光の部分はなにも見えないほどまぶしいが、その周り、影の部分はよく描き込んである。視線がつい動いてしまう仕掛けがあり、その仕掛けを利用したかのような部分もあり、なんと巧妙な作品だろうと感心した。

 

……そんな名作を作り出したわけではないけれども、その姿が見えなくなる瞬間までしぶとく眩しい太陽と、夜へ向かっていく仄暗い砂浜の様子が写真に収められた。

 

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太陽が水平線に隠れ始めると途端に光が柔らかくなる。曇り空で光が拡散していた時と異なり、波の作る影の面白さが際立つ。

また、光を受けるのは海だけではなく、濡れた砂にもオレンジ色が反射する。水面より粒感のある反射で、なんとなくなまめかしい。フィルムの写真のような色気がある。

 

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この2枚は特にお気に入り。

 

海岸にはほとんど人がいなかったが、私よりも若いくらいの女の子が一人でいたのが印象的だった。いやでも3年前の自分を重ねる。実際、きっと車校の生徒だったと思う。

最初、声をかけてみようと思ったが、誰かと待ち合わせていたら悪いと思い直して何もせずにいた。

とはいえしばらく気にしながら海を眺めていたら、彼女は豪快にも靴を脱ぎ、足を波に洗われながら歩いていて、格好良かった。

 

光が弱まり、砂浜がすっかり暗くなった頃、発つことにした。

 

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女の子が一人で海に来たことは明らかだったのでやっぱり声をかけてみようと帰り際、足を乾かすために座っている彼女のすぐ後ろ1メートルほどのところを通ったが、とうとう声をかけられなかった。

同じくらいの歳の女の子にはどうも怯んでしまう。

 

帰りのバスと電車では地元の高校生が多く乗っていて、ちょうど同い年くらいの妹のことを急に思い出した。

 

旅の思い出は以上。

エッセイストなら失格であろうお粗末な結びだがこれは単なる記録なのでこの程度でいい。旅というより長い散歩のようだし、総括してなんらかの寓意性を見出すのは野暮というものだ。大した距離ではないし、大した体験でもない。しかし疲れた一人の人間の気を紛らわすには十分すぎるほどの時間と風景だった。

どんなに忙しくても心を動かすことをさぼらないようにしたい。