my lips are sealed

書きたいときに書く

レンタルなんもしない人をレンタルした話

先日、「レンタルなんもしない人」をレンタルした。

 

依頼内容は、以下の通り。


仕事のストレスから体調を崩し、適応障害と診断され5月から休職しています。
人事部の社員から経緯や状況の確認のため面談を持ちかけられているのですが、
自分が通勤ルートを通って会社近くまでいけるのか、ということに強い不安があります。

そのため、リハーサルとして私の自宅最寄り駅〜会社最寄り駅を移動をして様子をみてみたいと思います。
とはいえ一人では不安が大きいので、レンタルなんもしない人さんに付き添っていただけないでしょうか。
緊急時には駅員さんを呼んでいただくくらいはお願いするかもしれませんが、恐らくそこまでのパニックを起こすことはないです。
また人と話していると気がまぎれるので、ごくかんたんな受け答えはしていただけると嬉しいです。

 

私の通勤ルートは乗り換え1回、片道20〜30分程度の、なんてことのない道のりだ。

しかし乗り換え駅を通過するだけで動悸が激しくなった事があり、しばらくの間は可能な限り通勤ルートを通らないようにしていた。特に乗り換え後の路線は休職してから一度も乗っていない。

 

DMを送った翌々日には返信が来て、空いている日程を提示していただき、幸運にも都合がついたのでお願いすることにした。

テレビや新聞でも取り上げられて注目され、多忙でいらっしゃるはずなので、まさか本当にレンタルできるとは思わず、正直なところ心が浮き立った。

 

当日の体調は良くも悪くもなかったが、念のため抗不安薬を飲んだ。

約束の時間になり、自宅の最寄駅の改札で待つが、それらしい姿はない。連絡を取ってみるとレンタルさん(と呼ばせていただく)と私はお互いに違う改札から入ってしまったようだったので、ホームで合流することになった。

改札を通ると、駅のホームの端から、見覚えのある背の高い男性が歩いてくるのが見える。キャップとリュック、おなじみの姿のレンタルさんだ。
よろしくお願いします、と挨拶を交わし、乗る車両の場所も通勤を再現する。
ほどなくして、電車がやってきた。

 

平日の午後、車内は空いており、二人とも座ることができた。

並んで座り、落ち着かないわけではないが、何か話した方がいいのかな……と持ち前のサービス精神が首をもたげる。が、あまり会話はしなかったと思う。

少しして、途中の駅でおばあさんが乗ってきた。杖もついているし、席を譲ろうと立ったら、同時にレンタルさんと向かいの席の女性も立った。周りの人がずらりと立ったのがなんだか可笑しくて空気が和んだ。

結局、向かいの席のほうが近かったのでおばあさんはそこに座った。彼女は電車を降りる前に私とレンタルさんに、優しい心遣いありがとうね。と声をかけてくれた。ついでに、あなた私の教え子に似てるわ。とも言われた。先生をしていた方なのだろうか。

そんな出来事もあり、通勤中ではありえないようなあたたかく平和な心持ちで、鬼門である乗り換え駅に到着した。

やはり駅名の文字を見るだけで胸がざわつくが、ずんずん歩く。私の通勤ルートは、乗り換えのために少し長めに歩く必要があるのだ。通る道は工事中で狭くなっている。ここ、ずっと工事していて、休職後初めてここ来たんですけど、前と何も変わってないです。というような話をした。

 

レンタルさんは、レンタルなんもしない人なので当然だがなんもしない。私が話しかけなければ話すこともない。ごくかんたんな受け答えはもちろん、してくれる。歩くときも、私のペースに合わせて、ついてくるように歩く。そういえば会社の先輩はみんな男性で、ヒールで歩きづらい私と一緒でもどんどん先に行ってしまったなと思い出す。

 

乗り換え先の路線に乗ったとき、リュックについている缶バッジをよく見せてもらった。ドット絵のレンタルさんのバッジが可愛かった。

 

そうしてついに会社の最寄駅へ到着する。駅の目の前に会社のビルがあるので、せっかくなのでその前まで行ってみることにした。

ここで働いてるんですよ、なんてちょっと自慢したくなるような綺麗なビルだ。

久しぶりにその姿を見上げて思ったのは、なんだ、こんなものか。ということだった。少しだけ、なつかしい、とも思った。

 

さて、目的を達成したので、ここでレンタルさんとの時間はおしまいだ。交通費(多め)を入れてきた小さな封筒を手渡して、ありがとうございました、お礼をしてお別れする。レンタルさんは次の依頼へと向かっていった。

 

来た道を一人で帰る。一緒に写真でも撮ってもらえばよかったかなとミーハーなことを少し思った。

ホームを歩いている間、よく泣きながら終電で帰っていたことを思い出したが、もはや他人事のような感じがした。辛かったこともちゃんと過去になっているんだと感じる。

 

帰り道はなんとなくぬけがらのようで、チケットをとっていたライブにも行かず帰って寝てしまった。

 

この日、レンタルさんに付き添ってもらってよかったと思うのは、一人のようで一人ではないところだった。
一人で行っていたら多分、音楽を大きな音で聴いてスマホにかじりついて、おばあさんにも気づかなかったと思う。乗り換え駅で降りられなかったかもしれないし、途中で帰ったかもしれない。

私が恐れているのは通勤ルートではなく、そこにいる人々の悪意や背負って歩いていた孤独とその記憶だったのだと悟った。
「なんもしない」ことは冷たいようにみえるかもしれないが、「なんもしない人」ひとり分の体温というものは確かに存在していて、そういうものへの感度を取り戻したような気がした。わたしも、おばあちゃんも、なんもしていなくてもそこにいる。これを読んでいるあなたも。そんな風に考えてみてもいいのではないか。という前向きな私である。

通勤ルートは心を殺すためのゲートのように思っていたが、なんもしない人と歩いた記憶で上書き、とまでは言わないが、一番上のレイヤーに保存されてしっかりと残った。

 

さまざまの個性的な依頼に対応しているレンタルさんにとっては特筆すべきこともない時間だったかもしれないし、これを読んでいる人も、なんてことのない時間じゃないか、と思ったかもしれない。けれども私にとってはきっと時々思い出すような不思議な一日になった。

そんな一日が今日も多くの人に訪れていることを、私は祈ることにする。