my lips are sealed

tamavskyのB面

苦しい

時々考える。

私は現在ストレスで体調を崩し労働から離れているが、そもそも私には労働が向いていないのではないか。労働者としてやっていくだけの精神力は元から無く、高すぎる理想を掲げ、高すぎるプライドを守るために立派な労働者としての人格を作り上げていたのではないか。

そしてそれが崩壊し、「作り上げていた」ことに気づいてしまった今、再度作り上げることが非常に難しいと感じている。


人事部からのメールを送れず何日も先延ばしにしてしまう。目上の人に送るに堪える文章が作れない。社会人としての自覚が消え失せている。きっと薄っすらと失礼なメールを送っているに違いない。憂鬱で読み返すこともできない。

かつて感じていた自己啓発、自己研鑽への欲求も今は、遠いところにあり手が届かない。この状態で開発系の部署に戻ったところで、何のスキルも得ようとしない、かつて見下していたような人間になるのではないか。


善く在りたい、ということについては近年よく考えるようになった。過去の軽率で攻撃的な自分が意味もなく傷つけた人々への贖罪のため、あるいはそのことによって自尊心を保つために、せめてこれからは善く在ろう、と。

しかし、善く在ろうとすればするほど己の醜さに耐えきれなくなることも増えた。更に同じ醜さを持つ者への攻撃的な態度に転じることも危ぶんでいる。

誰も傷つけたくはないが、誰も傷つけないことは不可能だろう。それでも私は出来る範囲で善く在りたい。更に善く在る為には視野を広げなければならない。視野を広げると己の醜さが目について苦しい。


苦しい。ひたすらに苦しい。

なぜこれまで平気で外を歩けたのか、他人と話ができたのかわからない。身だしなみを整えることはこんなに気が向かなかっただろうか。ドレッサーの上に散らばる化粧品たちはちょうど5月から新顔が現れなくなった。いまや本当に不快に思うまで風呂にも入れない。ベッドから出るのが辛い。心臓に重しが乗せられているように苦しい。

人の話を聞くのが辛い。その口から出るほとんどのことに興味が持てない。なぜ人は同じ話ばかりするのだろう? 答えに苦しむので全てに同調するしかない。もはや数式や歴史の問題を出されているほうが気が楽だ。


復職という選択が正しいのかどうかもうわからない。蓋し最も簡単で、最も安全と言える。最低限の収入を得られ、考える時間はまだ1年以上も残されている。

しかし苦しみは続く。就活で、新人研修で、配属先で演じていた立派な私の人格を期待されていることをひしひしと感じる。ハキハキとしていて、人前で話すことが得意で、メールや電話対応が丁寧で、小綺麗で、知的好奇心が旺盛で、多趣味で……。

そんな人はもう死んだのだと言いたい。


死にたいというより楽になりたいと思う。

首を吊るのは苦しいし、飛び降りるのは恐怖を伴う。練炭はどうだろう? 焼身は本当に最悪の方法らしい。死ぬ方法はいくらでもあるが、楽になる方法を見つけるのは本当に難しい。

「楽」に近づく方法としてストロング系のチューハイを飲むことが増えたが、そもそもあまり酒に強くないので悪酔いしてしまったり、胃腸が弱くお腹を壊してしまうこともある。苦しみが増えることはしたくないので、アルコールはいつでも万能というわけではない。

現時点では、(可能ならば適量の酒と)睡眠薬抗不安薬を少し多く飲んで寝て全てを忘れることが一番安全で確実だ。

それでも眠れない日や翌日に予定があり睡眠薬を飲めない時(睡眠薬を多めに飲むと翌日は身体がひどくだるいのだ)は地獄だ。


いっそ幻覚や幻聴が現れれば良いのに。一人で苦しむのは辛いが、この苦しみに他人を巻き込むことも辛い。自分自身の中で全て済ますことができたら良いのに。そしてひっそりと皆から訝しがられ、煙たがられ、記憶から消えてゆきたい。