9月はあっという間に終わってしまった。私はいまだに8月の終わり頃の気分だ。大人というものは気をぬくとどんどん置いてけぼりになるのだなあ。
9/30は笹井宏之賞という、短歌の新しい賞(今回が第二回目)の応募締め切りだった。
約半年をかけて短歌を詠み、50首の連作にまとめた。
特に好きな現代歌人の永井祐さんが選考委員にいらっしゃるので、少しでも目を通してもらえるのが嬉しい。
読んでもらった友人にも指摘されたが主観に寄りがちなのでもっと周りへの観察眼を磨かなければならないし、その表現のために語彙を増やしていかなければと思う。
それから、精神的苦痛を直接的に表現するとむしろうまく伝わらない、かえって攻撃的な印象になってしまう。この問題によって何作も没になった。
ところで、これまで私が文章を書くフォーマットは専ら小説の形であった。また、大学で学んでいた近現代日本文学も研究対象は小説ばかりであった。そのため、詩歌についての知識はかなり乏しく、どんな潮流があったのかについても、今更後追いで勉強しているところだ。
短歌に改めて触れたのは3年前、22歳の誕生日に、友人から笹井宏之さんの歌集『八月のフルート奏者』を贈られた。私がフルートを吹くので、その繋がりで選んでくれたのだ。
どこまでも優しい言葉と美しいリズムに何度も唸らされ、『えーえんとくちから』を読んで完全に虜になってしまった。
素敵だと思ったものは全てやってみたくなるのが私のさがで、気が向いたときには短歌を作ってみることが増え始めた。
5・7・5・7・7の31文字という制約の水槽でどれだけ泳が回れるか、飛沫をあげられるか、はたまたじっと底に潜り沈んでいられるか。
もしくは虫かごの中で羽ばたいてみるのか餌を貪り食うのか眠っているのか。
そしてたまには脱走して外の空気を楽しむ。
そんな不自由と自由を遊ぶ感覚で、思いついたらすぐにiPhoneのメモに書き留め、作り続けてきた。
出来上がった歌たちは日記のようであったり、愛する者や憎む者、自身、世界中の全ての人々への呼びかけであったりする。
それが何処かの誰かに届くことがとても嬉しい。
私の歌はまだまだ未熟で、きっとおそろしく拙いものだと思う。箸にも棒にもかからないだろうとは思っている。
短歌ムックの「ねむらない樹」のページを繰るたびに、なぜこんな歌が作れるのか!と素直に感嘆してしまう。
まずは歌会に参加してみたい、と思っている。
神保町歌会はいつもすぐに満員になってしまって、まだ行けていない。
学生時代から始めていれば、きっとサークルなどに出会えていたのだろうなあと口惜しく思う。しかし年齢を気にしてチャレンジしないこは私にとって最も恥ずべきことだ。
24歳からの短歌の道、どうか険しくもあたたかくあれ。