my lips are sealed

tamavskyのB面

異物と事故

今月から平日2日休んで良いことになったので気が楽ではあるが体調は不安定だ。 年末年始もいろいろな予定をキャンセルしたり仕事を休んだりして 眠り続ける日があった。

しかしどちらかといえば身体的な不調から精神が疲弊する形のことが多く、ひどい落ち込みに陥ることは減ってきた。 カウンセリングの効果だろうか。 身体的な不調は自己診断してしまえば自律神経の失調状態だ。 寝起きが極端に悪く毎日眩暈がする。頻繁に微熱が出る。 食欲がなく体重が40kgを切ることがある。

こんな状態でも慣れてしまえばそれなりに生活は送れる。 ストラテラを飲んでいたときを思い出す。動悸と口渇、 吐き気と引き換えに集中力の安定を手に入れてそれなりに生活を送っていた(結局副作用のほうが辛くなってしまってやめた)。不公平だ、と時々思うけれども仕方のないことだ。できる限りのことをする。この考え方に至った経緯は後述する。


ところで、 とある友達が私のことをnoteに書いていてニヤニヤしながら読んだ。私は様々な場面において無視され続けてきた( あるいは勝手にそう思い込んでいる愚かで哀れな)人間なので、 他者から見た自分というものに実はかなり興味があり、 それを知り得る機会があると飛びついてしまう。 恥ずかしいので普段はそんなふりをしないが所詮はそういう人間だ 。

その文章を読んでいて、女性である自分、 についてふと考えたので、備忘録として書いておく。私のとてもとても個人的な話。


私の性自認は幼い頃から一貫して女性である。

が、そこにもコンプレックスがあるといえばある。

私の顔は目が細くて鼻や顎の骨格がしっかりしていて直線的で眉もきりっとしているので、 小学生の頃ショートヘアにしていたときはよく男の子と間違われた。 おまけに名前も環とどちらでもありそうなので名前を知られていても間違えられた。よく覚えているのは、吹奏楽部の衣装で肩章のついたシャツに黒いパンツという格好をして女子トイレに並んでいたら、遠慮がちに「 ここ女子トイレですよ」と言われたこと。

クラスでも女の子になじめなかったし、 かといって男の子にもなじめなかった。ドラマを見ていないから、 ジャニーズがわからないから、漫画を読んでいないから、 ナルミヤブランドの服を持っていないから、 話を合わせるために嘘ばかりついていた。 できればそういう話についていける女の子になりたかった。

男の子のほうが嫌われてもダメージが少ないような気がして── それは「自分が(男子社会においては)よそ者である」「 自分の属するコミュニティの相手ではない」 という意識からではないかとも思うが── 本気で喧嘩できたし暴力も振るえた。でも暴力はよくないし私の言葉遣いが汚いのは絶対にこのせいだと思う(人生の汚点)。子供の喧嘩はすぐ仲直りするイメージがあるが私は女の子と仲がこじれるといつもうまく仲直りができなくて、というか、仲直りを放棄しがちで、友達が減っては出来、出来ては減りを繰り返して、色々な派閥にいたり、派閥から完全に断絶された場所にいたりもした。

そうやってクラスの女子の中に暗黙的に存在する派閥やヒエラルキーには辟易していたけれど、自分が男の子だったらよかったとは思わなかった。テレビ見ない、ゲームしない、漫画読まないに加えて運動ができないのでは” 男子”の社会ではさらにやっていけなかっただろう。 私がもし男の子だったら、女の子に混じって遊んでいて周りから余計な心配を買うタイプだったと思う。要するにデフォルトのコミュニティ( というものが中学くらいまでは存在・機能していたように思う) の居心地が悪いので、 別の場所に異物として混入し続けることに安心を見出していた。異物は注目される。《クラスの同性》 というデフォルトコミュニティでは無視され蔑ろにされ続けてきた 人間にとっては都合のいいポジションだ。

という私が女子大に入ったのは意外に思うかもしれない。 私も正直友達など期待していなかった。勉強ができればよかった。実際、大学の同期とプライベートで遊ぶことはほとんどなかった。今もSNSで連絡がとれる状態の子が数人いる程度だ。けれども一応日本文学専攻だったこともあり興味の範囲が似ている子が多かったし、付属高校がなくほとんどの人が指定校推薦か滑り止めで入ってくるような大学だったのでみんな基本的に真面目で、その点ではなじみやすい場所だった。女子校出身の子が多く、彼女らの独特の奔放さも面白かった。 学びに集中するにはとても良い環境だったと思う。( でも入学したての頃は昼休みに食堂へ向かう列を見て「 本当に女子しかいねぇ~~~~!!!!」 と目を剥いた記憶がある)

話をとばしたが高校生活はわりあい平穏だった。持ち前のデリカシーの無さで入学して最初にできた友人の輪からいきなり外れたり、 2年目はクラスに友達が一人もいなかったりしたが( この時点ではそういうことにもう慣れていた) 部活を掛け持ちしたおかげでたくさんの所属コミュニティを用意でき、言葉は悪いが潰しがきいた。 そこには男も女も半々くらいがいて、あまり女子は、男子は、ということを考えなかった記憶がある。


おそらく17、 18歳頃には男と女という括りのしがらみから心理的に解放されたように思う。性別違和を感じている人やヘテロセクシャルではないと自覚している人が身近にいたこともあったし、ジェンダーフリーの考え方が少しずつ広まってきていた頃で、そういうのに縛られるのは自分としても社会としても、 もう終わりなのかなと感覚的に腑に落ちた。

私自身もそもそも自他の境界が曖昧なところがあり、性別という括りで縛られることには違和感を感じる。かといって自分は紛れもなく女性だと思うし、「女性らしい」と一般に言われるような服飾品や化粧品を買うのも好きだ。 女であることを踏まえてあえてボーイッシュな格好をするのも楽しい。元から男らしくも女らしくもなかったから、 ファッションを用いてどちらにも転がることができて、 便利な顔と名前だなと今では思う。


しかし一方で私は現在、 紛れもない男性社会に属しているという事実がある。 大学時代はバンドサークルに入ったが男女比ではやはり男の方が多かったと思うし、 サークル引退後もバンドをやっていてもやはり男性の比率が圧倒的に高いと思う(なぜだろう?)。自動的に、できる友達も同年代の女性に比べたら男性の比率が高いようだ。 新卒で入った会社も男女比9:1くらいだろうか、 フロアは見渡す限り男。だからといってどうとも思わないし、女であることで得をしたことも損をしたこともない(いや、 得したことは少しある。 数少ない女性社員だからすぐ名前と顔を覚えてもらえることと、たまに飲み会でそんなに食べてないからと安くしてもらえることだ )。

結局私は未だに、異物であることに居心地の良さを感じているのだろうか。

それともどっちつかずの状態から男性に転じ、男性に同化することでその場に馴染んでいるのか。

自問自答が尽きない。


同性に対する拒否反応、というのは正直なところ、ある。会社の更衣室ロッカーでは出来るだけ人に会いたくないし話もしたくない。女だらけの職場だったらまた鼻つまみ者になるだろうと思ってしまう。なぜかは自分でもよくわからないがそんな気がする。結局のところ幼少期にうまく同性に馴染めなかったという意識がそう思わせるだけかもしれない。実際に行ってみないとわからない。

一応、 女性の友人各位のために書いておくが女性という存在が心底苦手というわけでは決してない。バンドをやっている中で、 気軽にごはんや映画に誘えたりする女の子の友達もできた。皆個性的で好きなものに対してまっすぐでかっこいいし、私もそういう存在でありたいなと思う。


最近はカウンセリングの副産物として昔のことをよく思い出すようになった。本当に色々なことが現在の私の思考の不健全さや歪みに繋がっているということが次々明らかになる。 交通事故のようなものだと言われて妙に納得した。運悪く傷つけられ、その傷が後遺症となって大人になってもじくじくと痛む。人は多かれ少なかれそういう事故に合っているのだろう。私はちょっと多かったみたいだ。その程度で不幸だとは思わなくなった。不運と不幸は違う。と思う。