my lips are sealed

書きたいときに書く

ミッドサマー3回観たのでさすがに何か書く

ミッドサマーを3回観た。

途中退席した人もいるというのになんて悪趣味な奴だと思われても仕方ないのだけれど、この映画が傑作であることは間違いないと思う。早くも今年ベストに食い込むだろうな、というくらいにはハマった。

ということでブログを書こうと思った。

 

まずはネタバレなしで。少し。

観た、と言うと「ホラー映画なの?」「グロいんだって?」とよく聞かれる。
結論から言えばどちらも正解。ただし、ホラー映画を観に行くつもりでいかないほうがいいかもしれない。本人もインタビューなどで言及している通り、ホラー映画というジャンルではあるものの様々な側面をもつ映画。

観慣れたものは確かに安心できるけど、観客が怠けちゃう。僕は平手打ちを浴びせたくなるんです。「これが“僕の映画”だ!」ってね(笑)。

「ミッドサマー」アリ・アスター×小出祐介 / 園子温インタビュー (2/4) - 映画ナタリー 特集・インタビュー

個人的には、アリ・アスター監督の長編デビュー作『ヘレディタリー 継承』を観ておいたほうがいい、と思う。これに耐えられなければ間違いなく耐えられないと思う。色々な意味で。

私はもともとホラー映画には苦手意識を持っていて、というのも、ワッ! と驚かされるような演出が苦手で、なんとなくホラー映画は避けていた。
一方で、後味の悪い映画、暗い映画は大好き。残酷描写にも大して動じないことにも最近気づいた。
ヘレディタリーがやたらと高評価を受けていたので勇気を出して観てみたらワッ! のないホラー映画で、最高に暗くて後味が悪くて大ハマりした。

あの不穏な空気……それはオカルトな要素の恐ろしさでもあり、機能不全に陥った関係性という人間の恐ろしさでもあり……言いようのない「嫌な感じ」が全編に付きまとう。あの雰囲気が気に入ればぜひミッドサマーにも挑戦していただきたい。逆に、あの雰囲気に退屈さを感じてしまったり、必要以上に不安を覚えてしまったという人には、個人的にはミッドサマーはおすすめできない。

2時間半もある映画だ。時間は大切に使おう。(cv/松陰寺太勇)

ちなみにミッドサマーは残酷描写、性的描写ともにヘレディタリーの比ではなくかなりキツいのでそこは注意。

それから……これまでにパニック発作の経験、バッドトリップの経験がある人はあまりのめり込んで観ない方が良いと思う。これは自分も前情報なく見てしまってちょっと危なかったので、ネタバレになっちゃうかな、なんてことは一旦考えずに書いておこうと思う。

 

それではここからネタバレありで『ミッドサマー』について書いていく。

また、『ヘレディタリー』の内容についても軽く言及することがあるのでご注意を。

見たくない方はここでさようなら。

 

 

 *** 

 

(前置きに次ぐ前置きで恐縮だが)この記事を書くにあたって、気になった点ごとに書くか、ストーリーの流れに沿って書くか迷った。後者のほうが流れが良いのでその方向で書いていく。ただ、前者については映画全編にわたって偏在しているので先に箇条書きにしておき、都度言及することにする。

 

~気になりポイント~

・オープニングの妙
・鏡に映る者は招かれざる客?
・嘘まみれのホルガ
・『ミッドサマー』はホラー映画なのか?

 

まずオープニング、タペストリーが現れる。

ここに全部ストーリーは書いてある。そしてそれが左右に紙芝居のように割れて、はじまりはじまり。

あの絵はホルガに伝わるタペストリーと同じ図柄で、まぎれもないダニーとその家族、クリスチャン、マーク、ジョシュ、ペレの姿がある。
ひょっとするとホルガに残ったダニーが語った内容を基にホルガの村人が描いたのではないか? とも考えられる。

『ヘレディタリー』でもオープニングはミニチュア作家の母親のミニチュアハウス内で起こった=すべて妄想? または悪魔ペイモンが作った映画?(こちらの解釈は監督の意図でもあるらしい) ともとれるような不思議な始まり方となっている。

ということで開始0秒からしっかりと不安の種が仕込まれている。

冬のスウェーデンらしき風景と、民謡のような歌声が流れる。その歌もホルガで歌われるものと酷似している。
あの風景はホルガのあるヘルシングランドなのだろうか。
雪が降りしきる映像は静謐で、人の気配はなく、ホルガの人々は本当にあの雪の中で暮らしているのだろうか……と勘繰りたくなる。

 

それを眺めているとちょっとびっくりポイント、電話のベルがけたたましく鳴り響く。
2回目鑑賞のときに気を付けて見てみると……やっぱりしてる。ガスの音がもうしてる。
留守電の音声のホワイトノイズかな? と思ってスルーしてしまいそうなギリギリのところ。巧妙である。
このときまだ父親の腹が上下して呼吸をしているのがわかる。もし電話に気付いていれば……? もしくはもう既に意識が朦朧とした状態だったのかもしれないが……

 

ダニーは双極性障害の妹の言動に振り回され、不安神経症のような状態になっている。恋人のクリスチャンにもそのことは話しているようだが面倒がられているのではないか? と後ろめたく思っている。ということを女友達に電話しているシーンが入るが、この子と話すことではテリーの件についての不安は拭えないのだろうか? ダニーのクリスチャンへの依存心が垣間見える。それにしてもクリスチャンの「君が甘やかすからだ」という発言は思っていても言っちゃダメなやつだろ……と思ったが。
後にダニーは心理学を学んでいることが明言されるし、妹や同じような人の助けになりたい気持ちからその道を選んだのかもしれない。

ここで場面が変わりクリスチャンとその取り巻きたちの会話が挟まれる。そこでのダニーは鼻つまみもの。早く別れろと言われている。しかしマークの軽率な発言が強烈なせいでこの集団まるごと”イキってる肉食系インテリ男子学生”に見えてしまうのは見事なミスリードだ。
すぐ次の女が見つかるぜ、なんて言っているのはマークだけで、ジョシュは博士論文のテーマも決まっていないのに女絡みで悩み事を作っているなんてばかばかしい、というニュアンスの助言。
ペレは「夏はスウェーデンに行く」ということしか言わない。
実は彼らそれぞれが何を目的としているか、はっきりと描かれている場面だ。

テリーは本当に「パパとママと一緒に行」っていて、ダニーのメールは一通も届いていなかった。その報せを受けたダニーは取り乱し泣き叫ぶ。あれは「家族を失って悲しい」の泣き方ではない、と思う。私はあれほど悲惨な体験をしたわけではないし個人差もあるとは思うが、鬱状態の時に悲しみや苦しみが延々頭の中で繰り返される状態に陥った時に似たような経験がある。とにかく大きな声でワーワー喚くことになる。フローレンス・ピューの泣き叫ぶ演技を見て、クリスチャン訳のジャック・レイナーは自然と抱きしめることしかできなくなったという。

 

冬から夏に場面は変わり、抜け殻のようなダニー。クリスチャンとは結局まだ別れていない。あんなことがあったあとでは別れ話もしづらいし、何よりクリスチャン自身が「助けにならなければ」と思ってしまったのだろう。
ダニーのベッドのところには(言うまでもなくその後の二人の運命を暗示する)クマと女の子の絵。これはスウェーデンの画家の絵だそうで、この映画のために描かれたものではないらしい。

パーティーで突然、二週間後にスウェーデンへ行くことになっていると聞かされて困惑するダニー。クリスチャンのことだから本当に言い出せずにいたのだろう。
部屋に二人で帰ってきて、ドアの前に立ちはだかってその話をはじめるダニー。クリスチャンは鏡に映っている。相手と物理的には向き合っているはずなのに、精神的には向き合えていない……というメタファーだろうか?
ダニーの言うことは「話し合いたい」「理解しようとしてるの」。いや、話し合ってどうなる? 理解できないから混乱しているのではないの? とツッコミどころだらけだし、その言動は「はっきり言わなかった」というクリスチャンの行動(結果)を責めることにしかならない。話ができない状態の相手に「話し合おう」と求める、滑稽で、なんとも壊滅的なシチュエーションだ。
ダニーへの気持ち(それは思いやりでもあり、面倒臭いという本音でもある)のせいで物がはっきり言えないクリスチャン、はっきりしないクリスチャンにやきもきするけれど結局頼ってしまうダニー、二人は立派な共依存カップルだ。

そしてなんやかんやでスウェーデンへ同行すると決めるダニー。
ダニーは妹に家族ごと連れていかれたこともあり「置いていかれる」ということに強い不安を感じているから、妥当な選択だ。
ジョシュ、マーク、ペレと溜まっている部屋にダニーがやってくるシーン、またクリスチャンが鏡に映り、話を合わせてくれなんて言い出す。「面倒事に巻き込むなよ」という白々しい雰囲気が流れる。そしてそのまま鏡にダニーも現れる。男子チームにとっては正直なところ”招かれざる客”のダニー。

(ちなみにこのシーンでダニーのパーカーの紐が左右でばらばらの長さになっていることで精神の不安定さが表されている、という考察も見かけてニヤリ。細かすぎて伝わらないミッドサマー。)

マークはクリスチャンに「これを見てくれ」とか言って別室に連れて行ってしまうし、ジョシュは本を読むのもやめて何やら食べ物を温めに席を立つ。
ダニーに寄り添ってくれるのはペレだけ。夏至祭についてはふんわりした説明とインスタ映えな写真を見せるのみでなんとか旅行に来てもらおうと営業をかける。さらに共感の度合いを深めようと僕も両親を亡くして……と隙あらば自分語り。唐突に家族の話をされたダニーはパニックを起こしてしまうのだが……。

そこでTシャツが変わった? と思ったらそこは既に飛行機の中。飛行機の中でもパニックを起こして泣いている。どう考えても旅行、ましてや飛行機に乗って海外旅行なんてするべきでない体調だろう。

 

ヘルシングランドへ入っていくカメラワークは異世界へ足を踏み入れたことが猿でもわかる不穏さで、観客は来た来た来た~! と期待に胸を膨らませる。悪夢の始まりだ! いや、もう始まってるけど……。

ところで『ヘレディタリー』でも、祖母の葬式(弔辞であんなこと言うか? いきなりおかしい)→妹の事故(兄の行動!?!????!?)……と、本題に入る前から不吉な出来事、おぞましい事件が発生していることに気付かされる。「その事件で本編撮れるよね?」くらいの出来事のはずなのだが、映画全体で言えば起承転結の「起」、頑張っても「承」でしかない。新手の試し行動か? アリ・アスター監督怖い。

 

ホルガ近くの原っぱに車を止め、ペレの疑似家族たちとあいさつを交わす。眺めのいいところでダニーも思わず笑顔。しかしいきなりハーブ? キノコ? を勧められる。ためらうものの流れでマッシュルームティーを飲んでしまうダニー!

ここでバッドトリップかと思いきや、ダニーはグッドなほうのトリップ体験をする。

あたかもここでダニーがバッドトリップしているかのような書かれ方をしているネタバレ感想記事があったがそれは違うぞ、と反論させていただきたい。トリップ経験のない方には伝わらなかったようだ……(安心してください合法です)
このときバッド入ってるのはマークだけ。「新しい人間は嫌だ!」「みんなも横になろう」とパニックになっちゃっている。ダニーは呼吸を深くして、手からは草が生え、木の幹は波打って呼吸し、自然と一体化している……ところがペレが「家族」というNGワードを口にしたせいで突然のバッドトリップ。

落ち着こうとトイレに逃げ込むも、明かりをつけた瞬間鏡に一瞬、最も見たくないであろう幻覚を見てしまう。考えたくないけれど考えてしまう、脳内への”招かれざる客”、テリー。自分の顔もなんだか歪んで見えて、前後不覚に陥り森の中へめちゃくちゃに駆けて行ってしまう……。ここの急激なバッドトリップ描写はパニック発作経験者にはかなりキツいものだった。

 

パニックになって感情が爆発した後にコテンと眠ってしまう(それも、深い深い眠り)ことがあった。ダニーもそういう状態だったのかもしれない。日付が変わって起こされて、ようやくホルガへ向けて出発となる。
散々指摘されているのはタペストリーにもある”ハーメルンの笛吹き男”。笛の音に導かれる一行はまさに誘拐される子供たちだ。

もう一つオマージュというか、暗示されているものがあるとすればオズの魔法使い。もしかしたら劇場の予告編でレネー・ゼルウィガー主演『ジュディ 虹の彼方に』にチラッと映ったのを見た人もいるかもしれない。あの黄色のレンガ道のように黄色い花がぽつぽつと咲く道。家に帰りたいドロシー(ダニー;主人公の女の子、そして、家族はもういないのでホルガに帰属することが「家に帰る」という望みを叶えることになりうる……)、臆病なライオン(クリスチャン;見た目は屈強だが煮え切らない性格)、カカシ(マーク;脳がない、つまりバカ。Skin The Foolされてしまう彼がバカなのはもう火を見るよりも明らか)、ブリキの木こり(ジョシュ;心がない、ホルガは友人の故郷というよりも自分の論文のネタ)。公式のネタバレサイトには載っていなかったがかなり意識されているのでは、と個人的に思っている解釈だ。

 

さて、ホルガのあの太陽のような形の門をくぐるとダニーはなぜか「家族」というワードが出ても一切パニックを起こさなくなる。ダニーにとって何か共鳴するものを感じたのだろうか?

ホルガに辿り着くやいなやジョシュはその文化に興味津々で、しきりに写真を撮りメモを取りながら歩き回る。「インドにも同じような信仰がある!」とか言いながら。北欧神話をベースに独自の信仰を作り上げていったらしいホルガの人々には特に反応されないにも関わらず……。

 

そういえばその日はダニーの誕生日。ペレに言われて気づいたクリスチャンが、これまたペレが用意したケーキの切れ端にキャンドルを差して渡すけれど全然火がつかない(なんでだ? また不穏)。ハッピバースデートゥーユーファーック……に笑ってしまう。やっと点いた蝋燭の火を吹き消すダニー、ホルガの呼吸法(ホッ・ハッ!)みたいになっていてゾッ。

 

そろそろ例の儀式について書いていこう。みんなのお待ちかね、アッテストゥパン。

儀式の前の食事シーンから気になっていた老女イルヴァの表情。ビョルン・アンドレセン演じるダンが終始無表情なのに比べて、明らかにこの後起こることを見据えた厳かな表情。心して最後の食事をし、歌い、盃をかかげているように見える……ともすれば恐怖を抑えている表情ではなかっただろうか?

(これは完全に私が得したいだけなのですがアッテストゥパンの儀式が始まる前のとあるワンカット、カメラをちらりと振り返る男の子の名前がわかる方いたら教えてください。大変な美少年だったので追いたい。ちょっとエマ・ワトソンクリステン・スチュワートっぽい感じの中性的な顔立ちをした若い男の子です。)

結果としてイルヴァは頭から石盤に激突して即死、一方でダンはすとーんと足から地面に落ちてしまい死に損なうというのはなんとも皮肉。そして痛みに呻くダンを見て、ホルガの人々も辛そうに呻き、泣き声のような声を出し始める。どうやらホルガでは前に立つ者がいればその人と感情を共有することになっているらしい?

苦しむダンの頭部、というか、顔面……あの、ビョルン・アンドレセンの……美しいタジオの……顔めがけてハンマーを3度も振り下ろしド頭をカチ割る。キャスティングに含みがありすぎる。さすがに3回も殴るのは笑ってしまった。

少しシーンが戻るがイルヴァが飛び降りる寸前、ダニーの目が吸い込まれるような演出がなされ、飛び降りる瞬間は驚いてクリスチャンの腕を握るけれどもその後は膜がかかったように離人状態になる部分でふとラース・フォン・トリアーの『メランコリア』を思い出した。鬱状態の人間は思考がネガティブに傾くので、悪いこと・悲劇的なことが起こる際にも逆に他者より冷静でいられるというあれだ。もちろん凄まじい儀式を目にしてショックを受けているようにも見えるが、ダニーは「ああ、飛び降りるんだな」「ああ、死んでしまったな」とどこか冷静な自分がいることに嫌悪感を覚えたのではないだろうか? 家族を自殺で失った者として、死の予感に人一倍敏感であることは想像に難くない。ダニーたちだって、サイモンやコニーのようにFワード連発で取り乱してもよかったはずだ。もしあの場にバカのマークがいたら同じように大騒ぎしたのではないだろうか。しかしジョシュはアッテストゥパン(崖)という言葉から薄々意味に気付いていたし、クリスチャンも人類学を学んでいるせいか「人の死」というより「異国の土着宗教の異常な儀式」という認識に落ち着いたのかもしれない。

なんなら、「これ論文のテーマいけるやん」くらいに思ったのかもしれない。それで宿舎でのあの会話だ。ジョシュがホルガにやってきたのは初めから論文を書くためだった。それなのにポッと出のクリスチャンが同じテーマで書くなんて言い出す。悲しいしそんな奴だと思わなかった! と責める(それでもかなり言葉を選んでいたよジョシュは……)。そこで返ってきた言葉、何だったと思う? 「知るか(Fuck you)」だ。

クリスチャン理不尽かわいそう派はこの部分をもう一度思い出してもらいたい。十分クソ野郎じゃないか! (もちろんどんなクソ野郎でも殺してよいことはならないが)
本当にアッテストゥパンを見てインスピレーションを受け、ジョシュに頼み込んで協力させてくれと言うならまだしも、その後の裏をかいて、先手を打って……という行動から、そんな謙虚さは持ち合わせていないことがわかる。

この出来事によって、〈グダグダ共依存カップルの恋愛模様〉に続いて〈学生同士の、博士論文をかけた水面下での争い〉という新たな人間ドラマのレイヤーが追加される。

 

サイモンとコニーは逃げ出そうとするがうまいこと離ればなれにされてしまう。コニーの叫び声にはみんなそれぞれ気づく素振りをするのに、誰かに聞くこともない。傍観者効果? 消防車はまだかーーーー!!! ていうかサイモンもコニーも通報すればよかったんじゃ……

サイモンは後日”血のワシ”の姿で見つかるが、あの状態で何日も生きられるわけがないので、口のきけない状態で監禁でもされていたのだろうか……?

 

ダニーはコニーが置き去りにされていた(ように見えた)ことから再び「置いていかれる」不安を募らせる。実際に置いて行かれる悪夢も見る(あのマークの顔が怖いわ)。妹と両親も登場する。妹だけこっちを見ているのはなぜなんだろうか。
食事の前にはクリスチャンに「あなたも同じことをしそう」なんて言ってしまう。
その食事の前にはジョシュ、クリスチャンそれぞれが取材をしているし、ダニーはクリスチャンに放っておかれてるし、マークは先祖の木放尿事件を起こしてウルフに睨まれているし超険悪ムード。いや、マーク、お前は自業自得だ。

 

そしてマヤの陰毛パイ登場。ちゃっかりクリスチャンの分だけ石のお皿に葉っぱで印づけされているし、飲み物も彼の分だけ明らかに色が違う。「陰毛じゃねえか!?」とざわついたあとにお口直しかのようにグイッと飲んでしまう経血ジュースに劇場中が苦笑(2回目に観たときは小さいシアターだったからか、かなり笑いが起きていて安心した)。

ところで経血ジュースで疑問に思ったのだが、生理直後は比較的妊娠しにくいはずではないのだろうか。男性諸君のために説明すると、女性の生理は排卵→月経がだいたい月に1回のペースで繰り返されるサイクルで、排卵期が最も妊娠しやすいのである。私も時差ボケしていてあれが何日だったのかよくわからないのだが、少なくとも滞在8日目か9日目にはマヤと交わることになるわけで、「赤ちゃんを感じるわ!」と言っているところ申し訳ないけれど妊娠は若干無理がある気がする……。考えられるのは、赤ちゃんは残念ながらできずにまた新たな血が連れてこられるのを待つ説、もしくは……これは本当に考えるだけで最悪な気分になるが……経血が保存されていた説。オエー……

ここでアメリカ組からも第一離脱者が。もちろんあのバカで、最後の台詞「見せるそうだ」というのがまたバカすぎて笑ってしまう。バカなので、皮を剥がれる。その日の夜には完全に剥がれてさらにかぶれるよう縫われていたわけで、ホルガの人々の技術には関心してしまう。

ジョシュは好奇心と「クリスチャンの知らない情報を得なければ」というプレッシャーに負けて禁忌を犯す。ルビ・ラダーをパシャパシャ。
ここでまた鏡が登場する。長老と話していたときにはカーテンが閉まっていたのに!
背後からやってくるのはマークの皮を着たホルガの村人(マークにブチギレていたウルフという説もある)。またしても”招かれざる客”だ。

マークだと思った者が、マークだったものだった……と気づいた頃には隠れていた別の何者かに頭を殴られ、いびきのようなうなり声(あれはあの部屋で寝起きしているルビンのものかとも思ったけれど、ジョシュのもののようだ)を上げながらどこかへ引きずられていく。ルビ・ラダーに手を出さなかったとしても生贄にされていたはずだが、どうしても気になるように仕向けたようにも思う。機敏に動ける見張りもいない、鍵もかかっていない小屋に聖典をしまっておく宗教があるものだろうか……?

 

ダニーはこの頃から急激にホルガに同化していく。お肉のタルトを作るのを手伝ったのに始まり、翌日からは長老に「女性たちと行動してくれ」と言われてその通りにする。あの衣装も着て、メイポールダンスにも参加しちゃうのである。

ダンス中のダニーは、はじめは困惑しているもののどんどんと笑顔になり、楽しんでいる。トリップしている効果で音楽が遅く聞こえ、なぜかスウェーデン語も話せるようになる(実際は話せていなくて、通じている”気がしている”だけだろう)。

メイクイーンになってみんなに祝福されるダニーはまた困惑顔だ。ベスト8に残ったときはあんなに楽しそうだったのに……これも死の予感に敏感なダニーの直感か? お母さん見かけるし。それにしてもペレ、ちゃっかりダニーの唇に熱いキスをしている……彼の計画通りだったのかもしれない。

公式サイトのネタバレで一番痺れたのが、メイクイーンとして担がれていくダニーの背景の木々にテリーの顔(それも、ガス管がダクトテープで張り付けてあるあの姿)がモンタージュされている、というもの。
知らないで観たら間違いなく気づかない。たった数秒のカットの背景。
そんなところに妹の顔を仕込むなんて。知ってから見るともう、物凄く怖い。誰がこれを見ているだろうかという気持ち悪さ。アリ・アスター監督怖い。(2回目)

 

ダニーはもう、「あなたは家族よ!」と言われても動じないどころか笑顔。けれどもやっぱりクリスチャンが気になる様子は見せる。クリスチャンも強烈な幻覚で酔ってしまっていて、正常な判断ができず導かれるままにマヤのいるあの小屋へ入ってしまうわけだ。

 

この映画の中でも特にトラウマシーンかつギャグシーンとして(悪)名高い、マヤとの性交(応援団つき)。
老いも若きも揃って全裸で歌っているだけでも壮観だし、不安がるマヤの手を取っておもむろにソロパート歌い出す女とか現れてカオス。喘ぎ声を模倣した歌も始まる。
性嫌悪の傾向が強い人はこのシーンがかなりキツかったようだ。もちろん誰でも気分のいいものではない。薬でおかしくなっている状態なので実質同意のない性交、レイプだし。あと個人的に、女性の裸がかなり苦手で、しかもそれがモザイクもなく何人も並んでいるので、怯んだ。
とにかく、あのシーンは性の滑稽さみたいなものを物凄く露悪的に描いている感じを受けた。

 

閑話休題。メイクイーンとしての儀式の中でにゃーうー♪って歌うところ、かわいい。

 

ダニーがシヴの家へ行く前にあぁっ♪が聞こえてくる小屋へ行ってしまうシーン、メイクイーンの冠を外して行くのが彼女の最後の良心というか、もとのダニーでいられた最後の瞬間だったのだろうか……。悲しいシーンだ。

メイクイーンと一緒にいた女性たちが、小屋から出て吐きながら泣き叫ぶダニーと一緒に叫ぶシーン、きっと一緒にウワーーッと言ったら気持ち良いだろうなと思ってしまった。強烈な共感。無理やりにでも同じ感情を表現するそれだけで、なんだかわかりあえるような気がしてくる。

自分が何度泣いて電話しても「頼らないし涙も見せない」クリスチャンより、言葉もあまり通じないけれど一緒にウソ泣きでもしてくれるホルガの人々のほうが頼る先(依存する先)として開かれているように感じられても仕方がない。ダニーは共感がほしいだけなのだから。

 

さて、最後に生贄を選ぶシーン。

なぜクリスチャンを選んだのか? という点は様々な解釈ができるが、私が考えるのは、「クリスチャンとこれまで通り生きていくという選択肢がなくなってしまった」からだと思う。ダニーにとって、頼れないクリスチャンは不要なのだ。他の若い女と性交していた、今は口も利けない、身体も動かない。そんなクリスチャンはダニーにとって必要がなくなった。それならばいっそ。ペレは自分を大切にしてくれるし、村の女性たちはとても優しい。

だからといって生贄にしなくてもいいじゃないか、と思うかもしれないが、あの状態のクリスチャンを見ているのが辛かったというのもあるかもしれない。家族もいない今、クリスチャンとの完全な別れが自分にとっての新しいスタートとなる、という考えもあったのではないだろうか。

最後に神殿に火を放ったとき、ウルフとイングマールは「痛みを感じない」「恐れを感じない」と言われてイチイの木からとった薬らしきものを口に含まされるが、思い切り火に焼かれながら絶叫していて、また笑ってしまった。ホルガに染まってしまった者は、その嘘を死ぬ間際まで知ることがない。

90年に一度というのは全くの大ウソだろう。計算が合わない。72歳になったら飛び降りて一生を終えるのであれば毎年いてもおかしくないし、せいぜい「生贄を9人も捧げるのは90年ぶりだね~」くらいなのかもしれない。外部からの人数と同じ数をホルガからも出さなければならないので、そんなことを毎年していたらホルガの人間がいなくなってしまうだろう。とはいえ夏至祭は毎年やっているようだった(去年のメイクイーンの写真がある)し、泣いている赤ん坊がいるということは少なくとも1、2年前に”新しい血”が来ていた可能性を示唆している。そういえば、「私が去年の(または、一昨年の)メイクイーンです」といった紹介をした女性がいなかったのも不審だ。去年のメイクイーンどこいった?

ペレの両親が「炎に包まれて死んだ」というのもおそらくは生贄として生きながら焼かれたのだろう。となると数年に一回は生贄を捧げていることになる。もしかしたらホルガで生まれ育ったわけではなく、ダニーたちのように外部からやってきたのかもしれない……。

 

ダニーは神殿に火が放たれたのを見て、お花に埋もれて今くるよ師匠みたいな状態でウワーンと泣きながらとぼとぼ歩いているんだけど、同じようにワーワー喚きながら取り乱すホルガの人々を見て、下がりきっていた口角をにっと上げて笑顔で幕を閉じる。

さすがに一緒にホルガへやってきた恋人と友人(の死体)が生贄として燃やされるのはショッキングだろう。

自分の感情を遠慮せず吐き出してすっきりして、一人先に穏やかさの境地に達しての笑みなのか
ふと、この人たちは女王が取り乱しているから一緒に喚いているのだと気づき、「私が笑えばみんなも笑ってくれるかしら?」という女王の不敵な笑みなのか。

私の解釈はそんなところだ。

もちろん、意地悪な解釈をすれば「クリスチャン、ざまぁみろ」の笑み、とも言えるけれど、多分もうあの時点でダニーはクリスチャンなんてどうでもいいのではないかと思う。

 

 

もしスウェーデンにダニーが来ていなかったら?

クリスチャンが生きて帰れたかどうかは怪しいし、家族にも恋人にも去られてしまうより、新しい「家族」を見つけられたこの幕引きこそがトゥルーエンドだったのでは、と考えてしまう。

 

***

 

ミッドサマー関連でちょっと面白かったツイートを引用。『現代思想』まではまだ手が伸ばせていないですごめんなさい!

舞台がスウェーデンでなく、アフリカやアジア、ラテンアメリカであったら? という問題提起にハッとさせられる。
白夜という装置が果たしてどのように作用したかには疑問が残る。「一度も太陽が映らない」という指摘も既にある。”残酷な儀式が明るみの下で行われる恐怖”がやたらと持ち上げられるが「いや別に昼間にやれば全部同じでは?」で論破できてしまう。改めて考えてみると時差ボケがキツそう、自律神経が乱れてバッドトリップしやすくなるのかな~くらいの効果しか思い浮かばない。例のセックスしないと出られない部屋なんて、わざわざ薄暗い小屋になっているし。

しかしながら舞台を北欧としたことについては、ツイートのツリーに言及のあるフリーセックス・処女の泉……といったイメージをさておいてもある程度の整合性というか、必然性を感じることもできた。昨年の東京国際映画祭や先月のトーキョーノーザンライツフェスティバルで北欧の映画に触れる機会に恵まれ、その中で北欧神話の信仰が古くからあるため「キリスト教は新しい宗教だ」と認識されることもままあるということ、そしてキリスト教キリスト教で、様々のカルト的新興宗派が存在しているという現状について学ぶことができた。(確かそれはノルウェーの映画だったかな。)

ジョシュが作中で言及する通りホルガの文化は様々な信仰の寄せ集めのようだ。それを私たちがやたらとリアルに感じられるのは日本人特有の宗教への無関心と同居するアニミズムのおかげなのではないか? と考えている。

泣き止まない赤ん坊の枕の下にハサミを置くシーンがある。どこかの国の文化でそういったものがあるのかと調べてみたけれど、日本の魔除けのおまじないしかヒットしなかった(もし情報があればぜひ教えてください)。何気ないカットに”何か宗教めいたもの”がちりばめられ、ごった煮になって、ホルガという場所が作り上げられている。

ちなみに予算の関係でスウェーデンではなくハンガリーで撮影されたらしい。そういえば衣装の白い布に鮮やかな刺繍にはハンガリーっぽささえあるかもしれない。

さらに、聖典を書いているルビンの扱いもなかなか見るに堪えない部分がある。彼は身体的には障害があったがなぜか「認知に」曇りがないと表現され神聖視されている。上手く話せないようではあったけれども、知的障害については一切不明だ。最も問題だと思ったのはマヤとクリスチャンの交わりが、彼の寝起きするあの小屋で、彼がいる状態で行われていたこと。完全な性的虐待じゃあないか……。

もちろんフィクションなのでそれを批判するつもりはない。しかしながらドラマ映画ではそういったショッキングな表現は避けられるだろうとも思うし、投身自殺・人体損壊・焼殺といった残酷表現、心に深い傷を負った者のパニック発作の表現も含め、”ホラー映画”というある種とっつきにくいジャンルを掲げておくことでギリギリ作り上げることができた作品だったのではないか、と思わざるを得ない部分はある。

それでも前述のとおり、壊れかけた恋人関係の破局、略奪愛、学生同士の博士論文をかけた情報戦、夏至祭の儀式を行うカルトの信徒、絶望を味わった主人公が救済を見出す……といった人間ドラマのレイヤーが幾重にも張り巡らされているので、観終わった人々は「あれはホラー映画ではない」と言う。幻覚は見ても幽霊は出てこないし、この映画はどこまでも人間の映画だ。そして何度も観ることで、様々なレイヤーに注目して鑑賞することができ、より面白くなる。

 

ちなみに私が劇場で3回も観た映画はまだシン・ゴジラくらいしかなかった。
シン・ゴジラもミッドサマーも、初見(ハラハラ)→ストーリーを把握した上で巷に溢れる考察や小ネタの知識などをつけ、構造を確認しながら観る→2回目の観方に加えて、「カタルシス」を求めだすという点では共通しているような……。

 

 

ところで、ディレクターズカット版が来週から劇場公開されることになったようだ!

 

……………………

 

4回目か……………………

 

 

ホッ・ハッ!