my lips are sealed

tamavskyのB面

暴力

7/15

朝9時から心療内科。眠すぎて診察の待ち時間をぐっすり眠って過ごす。薬の効き具合を聞かれていい感じであることを伝えた。「本当によかった、きょう○○さんの診察なの思い出して大丈夫だったかなあと心配していました」となんとも親身なコメントをいただく。「髪型変えましたか?」とか言われて色恋営業みたいで笑う。前回の処方が50mgだったのだが通常150mg〜300mgを飲む薬らしいので、一気に量が3倍になった。信頼されているのか3週間分出してもらえた。副作用とうまく付き合っていければと思う。

この日はライブだった。あんまりいいバンド出ていなかった。みんな交流する気もない。トリのバンドのギターはずっと楽屋で寝てて一番態度悪かったけど一番演奏上手かった、そんなもんだ。

いっぱい歌詞を間違えた。

 

7/16

ライブの翌日に仕事するの結構キツい。起きたら家を出る5分前で焦った。なんとか家を出たけれど目を閉じるたびに意識を失いかけるほど眠くて、コーヒーと栄養ドリンクを1本ずつ飲んだ。身体が辛かった。

帰ってからヤケクソでご飯作った。パスタに燻製マヨネーズと柚子胡椒と味ぽん和えたのと、豚肉入りのにんじんしりしり的な、雑炒め。カロリー高そうだなと思いながら、食べたら血糖値がすごい上がって横になっていたら縦になれなくなった。また薬飲みそびれた。

深夜に突然リビングで何かが落ちるようなガタンという音がしたとき、隣で寝ているAに急に顔を触られた。私がここにいるのを確認したらすぐにまた眠りに入っていったので、ああ今自殺していないか確認されたのかもしれないと思った。(正気に戻ってからは、そんなわけないだろと思う。)

 

7/17

父の誕生日。おめでとうのLINEをする。プレゼントもそのうち贈る。

今日は10時から警備バイトの面接を入れていた。だが人と話すのが厳しそうなので明日に改めたい、と思いながら寝たらそういう夢を見た。夢を見ただけで何も解決していない。

9時にならないと担当者と電話がつながらないので、それまでぼーっとすることになった。鬱病の人は、ぼーっとしてる暇があると死にたくなるので、今とてもよくない状態。薬も飲んでいないし。飲んだら眠くなってすっぽかしてしまうんではないかと思って飲めない。おさぼさん(サボテン。吹雪柱)にお水をあげた。

おむすび屋さんで遅い昼を食べ、夕方まで駅前で色々買い物。セリアでネットバッグを買って、ハンモックのようになるようにフチの糸を切っていたら眠くなって寝てしまい、起きたら22時。暑い中歩いたので疲れてしまったらしい。低血糖なのか目眩がひどく夕ご飯が作れなかった。せっかく買い出ししたのに……。Aちゃんにコンビニで適当に買ってきてもらったものを食べたらまた眠くなりそのまま寝た。

 

7/18

昼前に起きた。が、また目眩がひどい。薬の副作用の眠気もひどい。何もできず横になるが布団をはぎとられ続けて身体が冷える。昼ごろ本格的に起きる。最近は眠りが浅いのか夢の中で色々やるべきことをやってしまい、起きても何も済んでいないという無意味な悲しみを感じることが多い。

今日はワクチン接種の日。とにかく水分をたくさんとって出かけたところ尿意との闘いになってしまった。あの流れは途中でトイレに行くことを想定されていない。ただし思ったよりも流れはスムーズで、予約時間の30分前に着いておいたら滞在時間は1時間程度で済んだ。スタッフも慣れてきている感じだった。

注射そのものの痛みも大したことはなく(採血と同じくらいだけど採血よりも早く終わるので楽)、当日の副反応は若干腕が痛い程度。

 

7/19

仕事。午前は眠気でどうにかなりそうだった。昼を過ぎたあたりから身体の節々が痛む。リンパが痛い。たぶん微熱もある、という結構つらい状態で帰宅した。スーパーで天ぷらうどんのお弁当を買って帰って、開けてみたら天ぷらの下にお米があった。天丼とうどんのお弁当だったのだ。あまりにも満腹で2時間後でも薬を飲むのがちょっと怖い。

オリンピックが近づくにつれ、どんどんわけわかめになっていく。増えるわかめである。あのインタビューのことは知っていたし音楽としても特にコーネリアスに思い入れはないので、コーネリアス好きな人が必死に何か言ってるのを、フーン?(笑)って思ってしまう。ナのつく人がトランプ支持者ですとツイートしたときの私も、これくらい惨めに見えていたのかと思うと悲しいけど笑える。

藤本タツキ先生の読み切り、昨日深夜眠る前に読んでちょっと泣いてしまった。昼休みごろになると考察や小ネタを紹介するツイートが盛んにRTされており、感心してしまう。Don't Look Back in Angerは酔っ払ってみんなで歌うと盛り上がるっていうのが嫌なあるあるすぎて笑う。

マーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』、馬伯庸の小説「沈黙都市」あたりが正にそうなのだが、ある程度感情移入したり共感できる存在としてストーリーを辿ってきた主人公格の人物たちがどうしようもない理不尽にぶつかり、結果として暴力に走ることになるとき、引き裂かれるような気持ちになる。もう暴力しかない! なのに、暴力はよくないよね? という、ダブルバインド。「ルックバック」がそういう結末の作品だったわけではないけれど、というか、それができなかった話なんだけれども、なんだかそれに似たようなどうしようもない気持ちが残った。そういえばDVDが描き込まれている『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も、シャロン・テート事件がもし……という話だけど、もしレオ様とブラピが隣に住んでいてシャロンが助かっても、ヒッピーの女の子はオヤジの武勇伝に華を添えるかのように丸焦げにされる(とここまで書いて気づく、この一致は偶然なのに偶然じゃない。気分が悪くなる)。

わりと直接的な話を書いてしまうが京アニ放火事件の青葉被告の火傷を治療した医師のインタビュー記事で、懸命に命を救おうとしたことで被告からこんな言葉が出たという話があって、

「こんな『底の底』の自分にぶつかってくれる人が赤の他人でもいるんだ」

「ひたすら生かすこと考えた」 京アニ事件・青葉被告の元主治医が語る「思い」:時事ドットコム

これって引きこもっていた京本が面白いマンガを描きつづける藤野に初めて会ったときに抱いた気持ちとそんなに変わらないんじゃないか。感情はほとんど全部普遍的で、誰がいつどうやって抱いて形にしたかどうかでこんなに変わってしまって、悲しいことになってしまうね。簡単に何か言い切ることは永遠にできない。そういうときに映画や、漫画や、音楽は言語化しないという選択肢で表現してくれるから心地よく思うことは多い。

 

ところで漫画の読み方ってよくわからない、というかわかっていないなあと思う。文学の読み方については、一応大学で専攻していたから、理論と実践を一通りやってはいる(はず)。

漫画にはそれをそのまま当てはめることができなくて、漫画の読解や批評をしている本を読んでみたいけれど、それは結局言語化できないものを言語化しようとする無理のある試みなのでは……という気もする。漫画、永遠によくわからないかもしれない。

 

いまこの漫画についてツイートすると逆張りマンがつっかかってきてうるせーから、どこにも告知しないブログで書いたよ。