my lips are sealed

tamavskyのB面

負け戦

月曜日、久々に鬱に負けた。睡眠不足が祟ったのか、1日薬を飲み忘れたらダウンした。前回通院時よりも薬の量を減らしているのだから無理をしてはいけないのだった。その後はきちんと薬を飲んでいるのだけれど全然抜け出せない。木曜日の通院までの我慢だ、と言い聞かせている。薬の量を戻しても耐えられなかったらどうしよう、という不安にはとりあえず蓋をしている。

(好きでやっていることのためでさえ)無理をする権利も剥奪されているのかと思うと病気が憎い。やりたいことのために多少無理をするくらい皆やっているのに。なんで私はできないんだという無力感に苛まれる。

鬱の感覚があまりにも久々だったので、気分が沈みながらも戸惑った。胸が引き裂かれるような感じ、身体に力が入らない状態、久しぶりに陥ってみると余計につらいというか、煩わしい。こんなものの中によくいられたな、と我ながら思う。今回は希死念慮は特になく、この状態が長く続くと死にたい気持ちになっていくのかなあ? と俯瞰している。自分のことだが実感がない。

火曜日、昼過ぎまで寝て、ペンネを茹で、トマト缶で煮て食べた。食後にも少し寝て、夕方にはなんとか買い出しに行ったが料理する気力がなく、かといって馴染みの店にも行く気になれず(人と話したくなかった)、マックで済ませる。100均で、切らしていた床用とキッチン用のウェットシートを買った。マスクも切れそうなのでカゴに入れたらなぜかグレーのものを買ってしまって、しばらく顔の下半分が灰色の予定。白よりは顔が小さく見えるだろうか?

酒でも飲もうと思いファミマではちみつバター味のポテチを買った。とてもおいしかったのでまた買う。小さなグラスに薄い男梅サワーを作って飲んだけれど酔うには至らなかった。

自分を大切にするとか自分にやさしくするということがわからない。もっと身体によいものを食べて、お風呂にゆっくり浸かるべきなのだけれど全部後回しにしてしまう。睡眠だけはだらだらと、よくとっている。

 

最近読んだ本。植本一子さんのいちばん新しい日記本『ある日突然、目が覚めて』。彼女の日記の書き方について触れられていてなるほどーと思う。暑くて窮屈でこの世の終わりみたいだった短い夏のことを思い出しながら読んだ。ゲシュタルトセラピー、調べてみると一般的なカウンセリングとほぼ変わらない値段で受けられるようで気になっている。蛭田竜太さん、ミヤギフトシさんとの往復書簡『Three of Us 緊急事態の未読既読』も読了。交換日記を覗き見するみたいでこそばゆい。問いかけたり答えたり、勝手に書いたり、三人のバランスが絶妙でおもしろかった。かなりのナイストリオなのでは。写真集の『わたしたちのかたち』は、たくさんの集合写真があってうらやましくなった。人が集まって楽しい時間を過ごせるということ、コロナ禍でいっそう尊いことであると思うようになった。そこにいない誰かに向けてのエールでもあるように思った。

北村紗衣先生の『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』。批評についての読みやすく実践的な本で、大学生のときに読みたかった。最近堀元見さんの「ビジネス書100冊読むライブ」をよく見ていて、堀元さんがツッコミを入れる数多のヘタクソ引用をニヤニヤしながら見守っていたのだけれど、この本はエピグラフがハチャメチャにお洒落、かつしっかりと本文で回収されていて、北村先生の教養ビームにひれ伏すことしかできない。しかもUKロックがやたらと登場するので嬉しい。エラスティカまで出てくるとは(大学時代コピーバンドやったな〜エラスティカ)。そんなことを思っていたら最後にしっかりその点も回収されて、何もかもお見通しか……と完全降伏した。

今読んでいるのは石山蓮華さんの『犬もどき読書日記』。刊行にあわせてのインタビューで興味を持って買って、積んでいた。そのインタビューをTwitterでシェアして、気になる! 読みたい! と言っていたら友人から、この人電線オタクで面白いよと教えてもらった。インスタをフォローしたらフィードが本当に電線まみれで笑ってしまった。子役からの俳優という、あまり一般的ではない職業の石山さんなのだが、本屋が好きで本が好きで、社会と対峙するには少し不器用で、だからこそ本に救われているという、私やいろんな誰かと共通した気持ちを持っている人だということが伝わってきた。短歌も嗜まれるようで、なんだか急に気になる存在になった。

 

鬱なんかに負けないぞ〜と思いつつ、負けながらも生活できていればそれでいいとも思う。負け戦だとわかりながら人生がのんのんと続いていく。