my lips are sealed

tamavskyのB面

わからなさ

とても楽しかった週末の話。

 

先週末、バンドサークル時代の先輩であるあきさとさんに誘われて詩の合評会、福岡詩話会というものに参加させていただいた。名前の通りふだんは福岡で開かれている会なのだけれど、詩集の批評会や文学フリマがあるので皆さんあわせて東京に来ており、今回は東京で開催することになったそうだ。現代詩の界隈には明るくない私でも知っている方の名前がちらほらあって緊張しつつ、私もせっかくなので作品を提出し、評をいただくことができた。

詩を書く(詠む)という行為が作詞以外では本当に久しぶりで戸惑った。短歌と違って字数やリズムも自由で。たとえば短歌なら5文字か7文字か12文字くらいのフレーズが浮べば少なくともとっかかりができる。ちょっとボルダリングみたいだ。そこに足をかければ自ずと次に手足をかけるべき、あるいはかけることができるホールド(ボルダリングの壁についてる突起のこと)がわかってくるような。歌詞をつくることも、(詩先のことがほぼないので)押韻や音数という制限の中でやることになるから、ただ真っ白な紙を目の前にすると立ち尽くしてしまう。

そんな状態から、さらに皆さんの詩を読んで投票し、評するわけで、脳内の使ったことのない筋肉をフル回転させるような体験だった。

友達が主催する、お題に沿って即興で(15分ほど時間が与えられる)詩を詠み、朗読し、投票するというイベントに参加していたことがあった。そのときあまり長い詩を書けなくて、短い詩、が自分のやってみたい形なのかな、と思って、あとは笹井宏之さんの歌集を友人からもらったのがきっかけで、短歌をつくってみるようになったんだった。

吉祥寺での詩話会が終わったあと、西荻窪の今野書店さんで3冊の詩集の批評会があり、そちらにも足を運んだ。カニエ・ナハさん、井上法子さん、佐藤文香さんという詩、短歌、俳句の作り手がそれぞれの方法で詩集を評する会で、これが本当に面白かった。井上さんが竹中優子さんの詩と短歌について、形式と形式との間で起こる"時差ボケ"のようなものを感じられない、というようなことを仰っていて、私が詩作に取り組むときに感じたのはまさに"時差ボケ"だったのかな、と思った。私は海外に行ったことがないので時差ボケをしたことはないが。この批評会では佐藤さんが名司会っぷりを披露しており、あとで聞けばラジオか何かで鍛えられたらしい。音声コンテンツができる方、本当に尊敬してやまない……。

この日はとにかく何もかもが刺激的でとても楽しく、あきさとさんもいるならと思って打ち上げにまで参加してしまった(あきさとさんとはそんなに喋らなかったけど)。あまりにも錚々たるメンバーの中で私じゃなくてもっと現代詩を頑張っている人がここにいるべきでは……と何度も思ってしまうけれど、私だって音楽や短歌をそれなりにやってきてここにいるのだ、多分、と思い直す。ほんの少し勇気があればいつのまにか望んだ以上の場所に誰かが招いてくれる。自意識に蓋をするように酒を飲みすぎた。石松さんに評を褒めていただけて嬉しかった。私は詩歌について体系的に学んでこなかったし、歌会に参加しても、評ってこれでいいんだろうかといつも半信半疑で劣等感があった。雑誌やnoteでひとの一首評を読んだりして、自分なりに方法を見つけたりはしているのだけど……。一つ大切にしていることがあるとすれば、歌会や合評会はコミュニケーションであるということかもしれない。感動や違和感をできるだけ言語化し、抽象化し、内心そわそわしているかもしれない作者に伝えたいと思っている。石松さんは打ち上げの席でも色々とお話ができ(映画の話になりベルイマンの『沈黙』をおすすめいただく)、詩集、それもサイン本をいただいてしまい、嬉しくて悪魔みたいな笑顔になった。大切にする。詩作も批評もまだまだ試みていきたい。

詩話会には上川さんという未来短歌会所属の方もいて、短歌の話も弾んだ。結社のシステムについてもお話が聞けてよかった。別れ際、福岡に来たら連絡してくださいね、東京に来る時は私も言います!と言ってくださり、とても嬉しい。打ち上げの居酒屋では中家菜津子さんが隣にいらっしゃって、詩人に歌人を、歌人に詩人をおすすめするコンシェルジュになっていた。心から楽しそうに短歌と詩の話をする方で、尊敬と親しみの気持ちでいっぱいになる。マーサ・ナカムラさんをおすすめいただいたので、そのうち詩集を買ってみよう。そういえば批評会にも知っている歌人の方がちらほら見えていた。

合評会も打ち上げも隣の席だった新井さんとは、たまたま映画の話になり、お互いガス・ヴァン・サント監督の『エレファント』が大好きな作品、ということでテンションがわかりやすく上がる。映画の好みが合いそうだったので僭越ながら『アフター・ヤン』をおすすめした。

 

私はやっぱり奇妙なものに惹かれるんだなぁと再確認している。映画も、大林宣彦デヴィッド・リンチテリー・ギリアム、びっくりするような、想像できないような映像、演出、脚本が好きだ。パラジャーノフも最近YouTubeにあることを知り『ざくろの色』を観て、何もかもよくわからないのにひたすらに美しくて感動した。休職期間中に毎日のように映画館に通って観たファスビンダーの『ベルリン・アレクサンダー広場』も途中からメロドラマに飽きていたのにエピローグ(主人公の死後の世界)でブチ上がった。エピローグだけまた上映してくれないだろうか。わからなさ、という話が批評会でもあがったけれど、私もこの先ずっとわからなさを大切にするべきなのだと思う。そもそも私はいつも何もわからないまま生きてきたじゃないか、ともう完全に本棚に入りきっていない文学フリマ戦利品を眺めながら思う。