8/19メモ
暑すぎて山歩きはおろか散歩もサボっていたら如実に太ってきた。腰も良くなってきたので筋トレもサボっていた。あとアイスを食べすぎかもしれない。
週末実家に帰ったらサイズがあわなかったというベルトつきのデニムパンツをもらった。自宅に帰って、この太さのベルト持ってなかったしラッキーと思いながらベルトを眺めていたら首を吊るイメージで頭がいっぱいになった。ここ数年の鬱のときはいつもこうなるから慣れた。こういうときに飛び降りを想像する人で本当に飛び降りちゃった人を2人知っている。1人は死んで1人は助かったけど今はどうしているかわからない。だから私も本当にやるなら首吊りがいいんだろうと思う。躁鬱の薬は今もうほぼ飲んでいないくらいに減らしている。副作用に悩まされず日常生活を送りやすくなった。でもやはり唐突に脳のコントロールが不可能になる。
これから9月上旬までの忙しさの果てしないことがいよいよ目の前に立ちはだかりはじめ、「頼むから私をほっといてくれ」モード、さらに追い討ちをかけるように家族から旅行の誘いが来てかなり参っている。もうほっといてくれ……。何故こうも気分じゃないときに誘ってくるのか、と思いつつ、シンプルに家族と一緒にいるのが嫌いなのだと思う。
とにかくこういうくさくさした気分のときは山とかに行ってバカみたいに歩くのがいい、でもずっと天気が悪いみたいだ。気が狂いそう。
『悪は存在しない』 を観た
公開からしばらく経ってしまったがようやく観た。勝手にまた2時間半くらいの大作だろう…と思っていて、腰痛の懸念もあり躊躇っていたが、実際は2時間ないくらいだったので挑戦。帰りの電車で結局痛みが出てきてしまったがなんとか集中して観られた。
パンフレットを読んで、これは元々石橋英子さんが企画し、演奏と組み合わせるために制作された映像作品が元になっていることを知った。そちらも、今後ももし機会があればぜひ観てみたい。
(以下、結末に関する記述を含むのでまだ観ていない方はご注意ください)
悪は存在しない、というタイトル、わかりやすく悪者のような高橋や黛がだんだんと地元民に歩み寄る姿勢を見せていくので、絶対的な悪人はいない、ということなのか?と思っていたら主人公が最後に突然殺人を犯すので呆気に取られ、どういうこと?と思いながら映画館を出た。
半矢の鹿、またはその親鹿は人を襲うこともあるという情報が強調されるので、巧と花は鹿なのでは?というのは容易に想像できるのだが、もしかするとあの親子だけでなく、住民たちも鹿なのではないかと思った。山のことをよく知る老いた鹿や、人間に対して好戦的な態度をとる若い鹿がいる。 群れの子どもがはぐれたら捜索に協力する。
区長は捜索に参加せず、植物に囲まれてじっと外を伺っていた。彼も森の生き物だとすれば、鹿ではなく鳥なのではないか。羽をもらって喜ぶ場面や自然の摂理を俯瞰するかのような言葉、親族が音楽に関わっているらしいことも鳥を想起させる。
そして言わずもがな高橋と黛は人間。人間社会には芸能があり、福祉が整備されている(黛の前職や給付金)。IT技術があるから離れた場所の人間と会議ができるしアプリで人と出会う。
越境する者(移住を考えはじめて鹿に加わろうとする高橋と、羽を探してて鳥を追う花)は死んでしまうが、これは自然の摂理を超えてバランスを危うくするものへの天罰、罪の烙印ということなのではないか。
黛は捜索に参加せず巧の家にいて、日没とともに家の中に戻っていく。鹿に関心を持ち、歩み寄ろうとはしつつ、水の重さや木のトゲで怪我をした痛みから、自分はこうは生きていけないと悟って深入りは避ける。
ただしこの読みをすると、人間から鹿になったうどん屋の夫婦はどうなんだという疑問は残る。三人が店に来たとき、境界を脅かす高橋にだけ攻撃的な態度をとり、花の捜索にも参加するので、鹿と共生する別の生き物なのか、あるいは最初から鹿だったから人間の世界からこちらに移り住んだのか?
また、鹿猟が行われているということは、鹿と人の衝突が別の場所でも起きていることも意味しているだろう。実際、水挽町はよそ者によって栄えてきたというような話もしており、言ってみれば鹿たちも"先住民"ではない。写真でしか登場しない花の母=巧の妻は、うっかり人間の領域に足を踏み入れて殺された鹿なのではないかと思った。グランピング場ができたら鹿はどこに行くんですか、という車内の会話で巧の顔が真っ暗に映し出されるのは、住む場所を追われる鹿の悲しみにも、家族を殺された怒りにも見える。
越境する者、という点では巧も当初から危うい立ち位置にいる。ほかの種族である(と読める)区長やうどん屋とも盛んに交流し、人間の話を聞いてみようとする。そして最後には人間を殺してしまう。
ラストシーン、夜の森を見上げながら移動する映像とともに巧が息を切らして走る音がする。前の場面からは花を抱きかかえて車へ急ぐ姿を想像できるが、あれは一線を超えてしまった恐怖から夜道を駆ける鹿なのかもしれない。
人生どうでも?
それなりに楽しみもありながら暮らしているけれど、もうあまり人間を信じたくないし、深入りしたくない気持ちが強い。もう自分を含め誰の人生も気にする必要がなくなったので、副作用に苦しんでまで治さなくていいかと思って、双極性障害の薬を減らすことにした。何かの間違いで悪化して人生が終わればいいのになあという気持ちもないではない。薬を減らしたところ、ご飯が食べられなくなった。双極性障害の薬は、副作用でものすごくお腹が減る。今は一番薬の量が多かった時に比べると1/4ほどになっていて、朝起きて空腹に任せてコンビニでわけのわからない買い物をして駅のホームで通勤電車を待ちながら貪ることがなくなった。
気分の浮き沈み(というか主に沈みのほう)はカウンセリングに行くことでコントロールしようとしている。以前お世話になっていた病院のカウンセラーさんほどではないが話しやすい人にあたってよかった。当たり前のように保険は効かないのでお金はかかる。
腰痛が悪化して1ヶ月以上経つが、まだ長いこと立ちっぱなし・座りっぱなしでいることができなくて、2時間以上の映画は避けているし、アコースティック編成のライブでも立って演奏している。カイロプラクティックに通い始めてからは結構効果があったようで、腰の痛みで眠れない問題は解決しつつある。しかしこれも保険が効かないので毎回かなりお金がかかる。あとは施術後いつも猛烈にだるく眠くなり、体がほてる。
とにかく心身を健全な状態に導こうとするとバカみたいに金がかかり、それが新たなストレスを産んでいる。 車みたいだ。公共交通機関みたいに、公共の肉体があればいいのにとか思う。
来月に予定されていた家族旅行をキャンセルした。家族がどれくらい楽しみにしていたかはわから申し訳なかった。でも連絡を入れたらすごく心が軽くなって、思い切ってよかったと思った。
先日大人数で旅行に行ったときに思った、誰かと旅行に行くのが正直だんだん苦痛になってきている。体験としては楽しかった記憶も色々あるのだが、一人の時間がないと耐えられない。二日目に胃痛と生理痛でみんなと同じ時間に食事をとれなくなり、その間ひとりで公園を散歩したのが一番気持ちよかった。
NewJeansのファンミーティングに行った。10代の女の子が何万人の人間に囲まれて応援されながら踊っているのはなんだかシュールだった。ステージや衣装がとても凝っていた。私はこういうアイドル、というかダンスボーカルグループのイベントに自分の意思で行ったことが多分人生で2回目、単独のイベントは初めてだったのだが、楽曲とMVとメンバーが好きならふつうに楽しむことができた。東京ドームは人が多すぎて、二度と行きたくないと思った。ドームシティホール(去年Pavementを観た)でも疲れたのに。忘れた頃にまたチケットを買うのだろう。愚かだから。水道橋駅は混みそうだったので、飯田橋まで歩いて帰った。(タイトル回収)
思いつきでピンク色のベリーショートにしたら世界のどこにいても異星人のようで気分がいい。人間に擬態するのはもうやめる。
火を守ること
コニー・コンヴァース、カレン・ダルトン、ジュディ・シル、素晴らしい歌を残してどこかに消えていく人になれたらよかった。
色々な人や景色や季節が私の身体を通り過ぎていくような感覚だ。過ぎ去っていったものは輝かしいのにもう私には引き止める力がないし、これから起こることすべてにすでに倦んでいる。だって、受け入れなければならないことが多すぎる。変化に抗うよりも受け入れることが楽だと思っていたが、受け入れるということは変化することなので、結局コストはかかるのだとわかった。忌まわしきこの脳と付き合う方針がようやく固まってきたと思ったら内臓や骨の調子も悪くなって、内臓や骨と向き合う方針を固める日々。
仕事とバンド活動だけが自分の恒常性を維持しているような生活、とはいえフルメンバーでのバンド活動はあまりできていない。色々な生活の変化に揉まれて今まで通り活動できない他のメンバーが、戻ってみたいと思うときに戻れるように私がここを守るんだ、という気持ちがちょっとある。別に守ってくれと頼まれたわけではないから恩着せがましいかもしれない。でも最近は疲弊することも多くなってきた。そんな中、今休んでいるメンバーから、みんなに会いたいよ〜というメッセージがきたときは嬉しかった。というか、そのメンバーだって私がいる場所を私が入る前からずっと育ててきた人なので、持ち回りで守っていけたらいいよね、と思う。
グスタフ・マーラーは「伝統とは火を守ることであり、 灰を崇拝することではない」と語ったらしい。私はいつも何かが燃えているようにしか生きられず、燃え尽きてしまったらどなたかその灰から埋火を掘り出して、守ってください。
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書きたいことがたくさんあるし、書かねばならないと思うのだけれど書くことができないので、ここでこの話はおしまいです。
12/16
春のような夏のような、暖かく快適な風だった。12月の半ばにまさかこんな風に当たるとは。29歳になったから30回目の冬だけど、こんなに暖かいのは生まれて初めてかもしれない。


29歳になるのでがっつり肉が食べたいとパートナーにリクエストしていたら、ホテルニューオータニのステーキハウス RIB ROOMに連れて行ってくれた。コースランチだけどサラダはビュッフェで、アボカドやらくるみやら自分の好物をもりもりにできた。
ステーキは文句なしに柔らかくて美味しい。ミディアムレアくらいまでは火が通っているのにナイフの刃がスッと入ったらほろほろと切れていく。ソースも野菜の旨みを感じて美味しかった。お肉が来るまではパンにバターをたっぷり塗って食べていたので、付け合わせのジャガイモはサワークリームでちょうどよかった。
帰りにSATSUKIでパンを買った。明日の朝に食べる用のパンを買うのは、明日の朝をよくするという「前向き」の具現化みたいで、かっこいいなと思う。まるで出来る人みたいだ。ちなみに私は今朝もまったく起きられず、レストランの予約の時間をずらしてもらい、財布を家に忘れていた。
ニューオータニの庭園も散歩したけれど、ウェディングフォトの撮影や今日が卒業式か何かだったのか振袖や袴の美容学生たちでいっぱいで、どこにいても彼ら彼女らの邪魔になるようだったので、早々に退散して神宮外苑銀杏並木を見たら先週と比べるとすっかり葉が落ちてしまっていた。奥ではクリスマスマーケットがやっているようで、それでまだ賑わいがあったようだ。
渋谷へ出て、母と妹へのクリスマスプレゼントと、妹へのクリスマスプレゼントを買う。Suicaが使える店があって助かった。明日夕方に実家に帰る予定だけど、体調が不安になってきた……。
買い物もなんでも一日振り回したような罪悪感があって、多分じぶんが鬱なだけだろと思い込むことにしている。
そういえば一昨日、やっと主治医の診察を受けられた。やっぱり冬季鬱の傾向あるから光浴びなさい、光療法目覚ましみたいなの売ってるからと言われたので買おうと思う。あと、主治医が別の病院に移るから次から他の先生で予約してと言われる。今私が通っているのが分院なので本院(家から近い)のほうに戻ることにした。さらば、木曜午前の○○寺……あと主治医、この2年間くらいでけっこう痩せたな……と思いながらお世話になりました〜といって診察室を出た。
次に予約をとった先生が嫌な感じだったら最悪だな〜。以前代理で診察受けた医師のデスクに百田尚樹の本が置いてあって心理的距離が5万光年状態で会話スタートしたことがあった。せめて倫理観の合う人がいい。
やっぱり胸元の嫌な感じがふとしたときに襲ってきてうまく生活が進まない。つらいな。
阿蘇・高千穂旅行
すごく今更だけど下書きにしまいっぱなしだった旅行についての日記を公開にしておく。車なしで高千穂峡に行くのはかなり大変だったけど、がんばって計画を立て、いい感じに回れたので参考にしたい方はぜひ。
11/18:阿蘇・熊本
5:40のバスで羽田空港へ。寒い時期の夜明けはいつ見ても美しいな。2020年倉庫バイト夜勤明けの朝、2018年沖縄出張の朝、何年も前に見た夜明けも思い出せる。
空港直通のバスの時間が1時間に1本ほどしかなく、空港で暇を持て余す。自動手荷物預かりマシンのかっこよさにときめく。文学フリマで買った『半夏生の本5』を持ってきたので読む。
最近恐るべきことに気づいた。私は小説を頭の中で映像化しながら読むので、存在しない映画の記憶がたくさんある。あの映画なんだっけ?と思い返すと小説だったということが3回くらいあり、これは氷山の一角なのではないかと思う。頭の中に意識・無意識で色分けされた氷山が浮かんでくる。流れていく。
一緒に旅行する友人たちとは熊本空港で現地集合にしていたが、同じく羽田空港から向かう一人が同じ便だった。搭乗口近くで声をかけられる。旅行が待ち遠しくこの一週間はやけに長かったという話をする。羽田空港は快晴。
紙コップのりんごジュースを渡されてなんだか死んだあとの気分で
飛行機の中で、『半夏生の本5』を一旦読み終わる。手取川由紀さんの短歌好きだな〜。特上あいうさんの日記もよかった。飛行機の中はテレビがついていてガザ地区の情勢が報道されている。燃料が足りず物資が運べないし避難もできないらしい。ぬくぬくと飛行機に乗ってサービスのリンゴジュースを飲んでいる自分はなんなのかと思う。そういえば参加したアンソロの売り上げの一部が国境なき医師団へ寄付されているのを思い出す。今回の文学フリマでは売り上げをガザの人々のために寄付しているケースを複数みかけた。
旅行にあわせて購入したプルオーバーの着心地がよい。フェイクスエードですべすべしていてあたたかい。色も灰色がかった深緑で好み。色違いで購入してもいいかも。
阿蘇くまもと空港に降りた瞬間からかなり寒い。バスで乙姫ペンション村へ向かう。晴れてはいるもの風が冷たい……。乗馬クラブで40分のコースを体験した。でも馬の背中はあたたかくて、乗っている間はそこまで寒さを感じなかった。鞍上から阿蘇の山々が見えていい気分。ボルヴィックのラベルみたいでかわいいな、行ってみたいなと思っていた米塚が思ったより近くにあって、生で見られて嬉しかった。この日は記録的な寒さだったようで、山頂は雪をかぶっていた。遠く遠くにまっすぐに続く稜線があり、その線上を白い車が移動していくのが見えて、どんな景色なのだろう、あの道を走ってみたいねと話す。あとで調べるとあの真っ直ぐな稜線は阿蘇外輪山、つまり火口のフチということらしい。あの道はミルクロードという絶景で有名な道らしく、いつかかならず訪れるぞと心に決める。
バスで阿蘇駅まで行き、電車を乗り継いで熊本へ向かう。見渡す限り独特な地形で外国にいるような気分になる。車窓観光も楽しい。立野駅で九州横断列車とすれ違う。観光列車での旅行も楽しそう。
熊本市は辛島町のホテルにチェックインして、近くの居酒屋で馬刺し、馬焼き、からし蓮根など郷土料理を食べる。ビジネスの会食に使うような落ち着いたお店で、テーブル席を予約しておいたら個室に通してもらえた。九州だし焼酎ばかりかと思ったら日本酒もたくさんあって、れいざん、香露を飲む。どちらも美味しい! こんど小山商店で探してみよう。酔っ払った帰り道、親父ギャグが止まらなくなる。おしまいだ。
この日のホテルは最上階に大浴場とロウリュサウナがあって楽しみにしていた。サウナと外気浴で瞑想モードに突入。疲れもあってよく眠れた。
11/19 高千穂1日目
朝9時ごろに桜町バスターミナル出発、高千穂へ。寒さのせいか気分の落ち込みが不安だったので前の夜に25mg多く薬を飲んだ結果眠気とふらつきがひどく、3時間ほどの道中ほとんどすべて寝ていてあまり景色を見られなかった。
高千穂バスセンターに到着、旅館に荷物を置いて「がまだせ市場」へ。「がまだせ」は「頑張れ」的な意味の方言らしい。土産物売り場をぐるぐる歩き回って眺めていると何が名産なのかざっと学べるのがたのしい。宮崎牛や炭火焼きの地鶏、マンゴーなんかは誰でも知っていると思うが、柚子、栗、しいたけ、油みそも有名らしいことがわかった。ちょうどお昼時でお腹が空いていたので道の駅 高千穂まで歩き、チキン南蛮丼を食べ、一瞬で満腹に。ここでも土産物コーナーを眺める。栗を使ったビールがマツコ・デラックスのPOPと共に並んでいて少し気になる。アルコール度数が9%と高めで濃い味とのこと。
15時半からボートを予約していたので、高千穂神社でお参りをすませ、いよいよ高千穂峡へ向かう。ヘアピンカーブを徒歩で下りながら、行きはよいよい帰りは怖い……状態に(帰りはシャトルバスに乗ることができた)。
橋の上からの眺め。かなりの高さに丹田がキュッとなる。
手漕ぎボート経験者が分かれるように二人ずつ乗り、真名井の滝の近くまで行く。高く切り立った崖からまっすぐに水が落ちてきてさすがに迫力満点。
紅葉はもう少しという感じだったが、ほどよく色づいた葉が日光で輝いているのもよい。みんな滝を避けるのでこのあたりでボートが大渋滞、助け合いながら時間内になんとか戻る。
旅館 大和屋に戻って夕食。宮崎牛、地鶏、鮎の塩焼き、だご汁などをいただき満腹。雲海というそば焼酎をお湯割りで呑んだ。日本酒の美味しさはやっとわかってきたがまだ焼酎うまいの域には達せていない気がしている。年齢を重ねたら美味しく感じるものが増えてきて嬉しいな〜と現時点でも思っているけれど、まだまだ増えるのだと思う。楽しみ。
部屋で少し休んだあと、ボートに並ぶメインイベント、高千穂夜神楽へ。11月下旬から1月にかけては各地域の神社や公民館、民家などで夜通し三十三番の神楽が催される。高千穂神社の神楽殿ではそのうちの四番を通年見ることができるのでそちらを予約していた。神楽保存会のお兄さんが詳しく、そしておもしろおかしく説明してくれる。舞台には神庭(こうにわ)という結界がはられ、天之手力男命が天の岩戸を探すところ、天鈿女命が岩戸の前で舞うところ、天之手力男命が岩戸を持ち上げて投げ飛ばすところの三番が続けて舞われる。岩戸は信州まで飛んでいって、実際に長野県に戸隠という地名が残っている。飛行機もインターネットもない時代に、九州から信州にまで神話が伝わっているというのは冷静に考えるととんでもないことだ。
途中で大きめのムカデが神庭に侵入してきて、神楽に使っていた荒神杖で払われていた(そんな使い方をしていいのか)。今月頭に寺尾紗穂さんのライブを見たときMCで、河童伝説のある土地でライブをしたらお客さんが「河童みたいなひとが見にきていた」と教えてくれたという話をしていて、それもたしか九州だったと思う。パワースポットだ……。
また説明をはさんで、イザナギ・イザナミを農家の夫婦に見立てた御神躰の舞。お酒を飲み交わして、腰をフリフリする(もちろんこれは夫婦の営みの暗喩)。コミカルな舞にはお客さんたちも笑う。神話の世界が現代まで当たり前に存在している、そこに確かに存在する長い長い時間の流れに気が遠くなる。Dancing All Nightな本物の夜神楽も体験してみたいな。
11/20 高千穂2日目
朝食も安定の旅館ボリューム。冷や汁も宮崎の郷土料理とのこと。山形のイメージが強かったのでおどろく(調べると埼玉にもあるらしい)。
チェックアウトして高千穂駅に向かう。駅といっても電車は通っていない。かつては高千穂線という路線が通っていたが、台風被害を受けて廃線となり、現在はその線路の上をディーゼルトロッコが走る観光アトラクション「高千穂あまてらす鉄道」になっている。ここに至るまでの公式サイトに掲載されているストーリー、胸が熱くなるのでぜひ読んでみてほしい。
トロッコには老若男女がぎゅうぎゅうに乗り込み、高千穂峰や棚田が見える景色の中をゆっくり走っていく。トンネルを通過する間は謎のプロジェクションマッピング。確かに何もなければ小さい子供は怖がるかもしれない、お客さんに楽しんでもらうために色々と工夫されているなあと思う。
最高地点は100mほどの高さがある高千穂鉄橋でしばし停車して折り返す。なぜかしゃぼん玉が発射される。山並み、棚田、放牧された牛、どこまでも長閑な風景としゃぼん玉の組み合わせは現実感がない。というか、こちらにきてからずっと自分が動物や虫や葉っぱの一部のような心持ちがする。
高千穂駅にはかつて使われていた車両も保存されており、電車の下をくぐることもできる。これも現実感がないが、住人たちを乗せてきた歴史はほんもので、中吊り広告などもそのままだ。駅舎の時刻表や運賃表も眺めながら、確かにそこにあった人々の営みの気配を感じ取ることができる。
歩行者がほとんどいない道を20分かそこら歩いて、荒立神社へ。こちらは猿田彦大神をお祀りしている。芸事の神社ということで、板木を小槌でポンポンと叩いてしっかりお参り。近くにテントの土産物屋があり、覗いてみると芸能人の写真でいっぱい。アンミカさんは高千穂の観光大使らしい。
このあたりは他にもぽつぽつと神社がある他は民家しかなく、番犬業務をがんばる犬さんにたくさん吠えられ、猫業務(お昼寝)を頑張る猫さんにたくさん癒される。みんながんばっててえらい。さっき乗った高千穂あまてらす鉄道のトロッコが走っていくのが見えた。
ちなみに棚田は9月ごろの稲穂が刈り取られる前が一番美しいそうだ。それも見てみたい。九州の晩夏はとても暑そうだけど。
またバスに乗り神話の世界へ。天安河原までの道はまたすごい崖に囲まれていて、陽光が「降り注いでくる」という感じがまた神々しい。
ところでiPhone 15のカメラ機能、すごくないか……。解像度はシンプルに4倍になっているので画質がいいのは当たり前としても、明暗の階調の表現がなめらかだし、レンズフレアもかなり改善されている。ナイトモードもかなり明るくなっているみたい。この写真はまさかの撮って出し。
八百万の神が集まったところに辿り着く。しんとした厳かさを想像していたけれど、思ったよりザワザワしている感じ。まだ何か集まっている気がする……。
今年は3月に伊勢にも旅行して神宮に参拝したのだけれど、伊勢よりも自然が豊かなせいか何もかも大らかな感じがする。例えるなら魂の露天風呂のような。
天岩戸神社の西本宮。伊勢神宮のような、神明造の社が見られる。本殿の奥にはまるい鏡。天照大神だ。
帰りのバスまで時間があったので東本宮にもお参りする。他に誰も人がいない。森の中にある静かな神社で、一瞬で好きになる。入り口に天鈿女命の巨大な像があり、センサーで人に反応して半回転くらいする。なんだこれ……。そういえば高尾山にも近づくとセンサーが反応して北島三郎の歌が流れる歌詞の石碑があって、みんなおっかなびっくり遠巻きに眺めていたのを思い出す。
この神社の奥には「七本杉」という禁足地がある。その名の通り七本の杉が並んでいる。地元の千葉県市川市も八幡の藪知らずという禁足地がある。なんと好奇心を掻き立てる響き。しかし七本杉の先は崖なのでシンプルに危険、行っちゃダメ。
鳥居を出ようとしたら、真正面に高千穂峰と、傾いてきた太陽が迎えてくれた。この旅の最後に訪れる場所がここでよかったと強く思った。