my lips are sealed

tamavskyのB面

火を守ること

コニー・コンヴァース、カレン・ダルトンジュディ・シル、素晴らしい歌を残してどこかに消えていく人になれたらよかった。

 

色々な人や景色や季節が私の身体を通り過ぎていくような感覚だ。過ぎ去っていったものは輝かしいのにもう私には引き止める力がないし、これから起こることすべてにすでに倦んでいる。だって、受け入れなければならないことが多すぎる。変化に抗うよりも受け入れることが楽だと思っていたが、受け入れるということは変化することなので、結局コストはかかるのだとわかった。忌まわしきこの脳と付き合う方針がようやく固まってきたと思ったら内臓や骨の調子も悪くなって、内臓や骨と向き合う方針を固める日々。

 

仕事とバンド活動だけが自分の恒常性を維持しているような生活、とはいえフルメンバーでのバンド活動はあまりできていない。色々な生活の変化に揉まれて今まで通り活動できない他のメンバーが、戻ってみたいと思うときに戻れるように私がここを守るんだ、という気持ちがちょっとある。別に守ってくれと頼まれたわけではないから恩着せがましいかもしれない。でも最近は疲弊することも多くなってきた。そんな中、今休んでいるメンバーから、みんなに会いたいよ〜というメッセージがきたときは嬉しかった。というか、そのメンバーだって私がいる場所を私が入る前からずっと育ててきた人なので、持ち回りで守っていけたらいいよね、と思う。

 

 グスタフ・マーラーは「伝統とは火を守ることであり、 灰を崇拝することではない」と語ったらしい。私はいつも何かが燃えているようにしか生きられず、燃え尽きてしまったらどなたかその灰から埋火を掘り出して、守ってください。

12/16

春のような夏のような、暖かく快適な風だった。12月の半ばにまさかこんな風に当たるとは。29歳になったから30回目の冬だけど、こんなに暖かいのは生まれて初めてかもしれない。


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29歳になるのでがっつり肉が食べたいとパートナーにリクエストしていたら、ホテルニューオータニのステーキハウス RIB ROOMに連れて行ってくれた。コースランチだけどサラダはビュッフェで、アボカドやらくるみやら自分の好物をもりもりにできた。

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ステーキは文句なしに柔らかくて美味しい。ミディアムレアくらいまでは火が通っているのにナイフの刃がスッと入ったらほろほろと切れていく。ソースも野菜の旨みを感じて美味しかった。お肉が来るまではパンにバターをたっぷり塗って食べていたので、付け合わせのジャガイモはサワークリームでちょうどよかった。

帰りにSATSUKIでパンを買った。明日の朝に食べる用のパンを買うのは、明日の朝をよくするという「前向き」の具現化みたいで、かっこいいなと思う。まるで出来る人みたいだ。ちなみに私は今朝もまったく起きられず、レストランの予約の時間をずらしてもらい、財布を家に忘れていた。

 

ニューオータニの庭園も散歩したけれど、ウェディングフォトの撮影や今日が卒業式か何かだったのか振袖や袴の美容学生たちでいっぱいで、どこにいても彼ら彼女らの邪魔になるようだったので、早々に退散して神宮外苑銀杏並木を見たら先週と比べるとすっかり葉が落ちてしまっていた。奥ではクリスマスマーケットがやっているようで、それでまだ賑わいがあったようだ。

 

渋谷へ出て、母と妹へのクリスマスプレゼントと、妹へのクリスマスプレゼントを買う。Suicaが使える店があって助かった。明日夕方に実家に帰る予定だけど、体調が不安になってきた……。

買い物もなんでも一日振り回したような罪悪感があって、多分じぶんが鬱なだけだろと思い込むことにしている。

そういえば一昨日、やっと主治医の診察を受けられた。やっぱり冬季鬱の傾向あるから光浴びなさい、光療法目覚ましみたいなの売ってるからと言われたので買おうと思う。あと、主治医が別の病院に移るから次から他の先生で予約してと言われる。今私が通っているのが分院なので本院(家から近い)のほうに戻ることにした。さらば、木曜午前の○○寺……あと主治医、この2年間くらいでけっこう痩せたな……と思いながらお世話になりました〜といって診察室を出た。

次に予約をとった先生が嫌な感じだったら最悪だな〜。以前代理で診察受けた医師のデスクに百田尚樹の本が置いてあって心理的距離が5万光年状態で会話スタートしたことがあった。せめて倫理観の合う人がいい。

やっぱり胸元の嫌な感じがふとしたときに襲ってきてうまく生活が進まない。つらいな。

阿蘇・高千穂旅行

すごく今更だけど下書きにしまいっぱなしだった旅行についての日記を公開にしておく。車なしで高千穂峡に行くのはかなり大変だったけど、がんばって計画を立て、いい感じに回れたので参考にしたい方はぜひ。

 

11/18:阿蘇・熊本

5:40のバスで羽田空港へ。寒い時期の夜明けはいつ見ても美しいな。2020年倉庫バイト夜勤明けの朝、2018年沖縄出張の朝、何年も前に見た夜明けも思い出せる。

空港直通のバスの時間が1時間に1本ほどしかなく、空港で暇を持て余す。自動手荷物預かりマシンのかっこよさにときめく。文学フリマで買った『半夏生の本5』を持ってきたので読む。

最近恐るべきことに気づいた。私は小説を頭の中で映像化しながら読むので、存在しない映画の記憶がたくさんある。あの映画なんだっけ?と思い返すと小説だったということが3回くらいあり、これは氷山の一角なのではないかと思う。頭の中に意識・無意識で色分けされた氷山が浮かんでくる。流れていく。

一緒に旅行する友人たちとは熊本空港で現地集合にしていたが、同じく羽田空港から向かう一人が同じ便だった。搭乗口近くで声をかけられる。旅行が待ち遠しくこの一週間はやけに長かったという話をする。羽田空港は快晴。

 

紙コップのりんごジュースを渡されてなんだか死んだあとの気分で

 

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飛行機の中で、『半夏生の本5』を一旦読み終わる。手取川由紀さんの短歌好きだな〜。特上あいうさんの日記もよかった。飛行機の中はテレビがついていてガザ地区の情勢が報道されている。燃料が足りず物資が運べないし避難もできないらしい。ぬくぬくと飛行機に乗ってサービスのリンゴジュースを飲んでいる自分はなんなのかと思う。そういえば参加したアンソロの売り上げの一部が国境なき医師団へ寄付されているのを思い出す。今回の文学フリマでは売り上げをガザの人々のために寄付しているケースを複数みかけた。

旅行にあわせて購入したプルオーバーの着心地がよい。フェイクスエードですべすべしていてあたたかい。色も灰色がかった深緑で好み。色違いで購入してもいいかも。

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阿蘇くまもと空港に降りた瞬間からかなり寒い。バスで乙姫ペンション村へ向かう。晴れてはいるもの風が冷たい……。乗馬クラブで40分のコースを体験した。でも馬の背中はあたたかくて、乗っている間はそこまで寒さを感じなかった。鞍上から阿蘇の山々が見えていい気分。ボルヴィックのラベルみたいでかわいいな、行ってみたいなと思っていた米塚が思ったより近くにあって、生で見られて嬉しかった。この日は記録的な寒さだったようで、山頂は雪をかぶっていた。遠く遠くにまっすぐに続く稜線があり、その線上を白い車が移動していくのが見えて、どんな景色なのだろう、あの道を走ってみたいねと話す。あとで調べるとあの真っ直ぐな稜線は阿蘇外輪山、つまり火口のフチということらしい。あの道はミルクロードという絶景で有名な道らしく、いつかかならず訪れるぞと心に決める。

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バスで阿蘇駅まで行き、電車を乗り継いで熊本へ向かう。見渡す限り独特な地形で外国にいるような気分になる。車窓観光も楽しい。立野駅で九州横断列車とすれ違う。観光列車での旅行も楽しそう。

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熊本市は辛島町のホテルにチェックインして、近くの居酒屋で馬刺し、馬焼き、からし蓮根など郷土料理を食べる。ビジネスの会食に使うような落ち着いたお店で、テーブル席を予約しておいたら個室に通してもらえた。九州だし焼酎ばかりかと思ったら日本酒もたくさんあって、れいざん、香露を飲む。どちらも美味しい! こんど小山商店で探してみよう。酔っ払った帰り道、親父ギャグが止まらなくなる。おしまいだ。

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この日のホテルは最上階に大浴場とロウリュサウナがあって楽しみにしていた。サウナと外気浴で瞑想モードに突入。疲れもあってよく眠れた。

 

11/19 高千穂1日目

朝9時ごろに桜町バスターミナル出発、高千穂へ。寒さのせいか気分の落ち込みが不安だったので前の夜に25mg多く薬を飲んだ結果眠気とふらつきがひどく、3時間ほどの道中ほとんどすべて寝ていてあまり景色を見られなかった。

高千穂バスセンターに到着、旅館に荷物を置いて「がまだせ市場」へ。「がまだせ」は「頑張れ」的な意味の方言らしい。土産物売り場をぐるぐる歩き回って眺めていると何が名産なのかざっと学べるのがたのしい。宮崎牛や炭火焼きの地鶏、マンゴーなんかは誰でも知っていると思うが、柚子、栗、しいたけ、油みそも有名らしいことがわかった。ちょうどお昼時でお腹が空いていたので道の駅 高千穂まで歩き、チキン南蛮丼を食べ、一瞬で満腹に。ここでも土産物コーナーを眺める。栗を使ったビールがマツコ・デラックスのPOPと共に並んでいて少し気になる。アルコール度数が9%と高めで濃い味とのこと。

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15時半からボートを予約していたので、高千穂神社でお参りをすませ、いよいよ高千穂峡へ向かう。ヘアピンカーブを徒歩で下りながら、行きはよいよい帰りは怖い……状態に(帰りはシャトルバスに乗ることができた)。

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橋の上からの眺め。かなりの高さに丹田がキュッとなる。

手漕ぎボート経験者が分かれるように二人ずつ乗り、真名井の滝の近くまで行く。高く切り立った崖からまっすぐに水が落ちてきてさすがに迫力満点。

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紅葉はもう少しという感じだったが、ほどよく色づいた葉が日光で輝いているのもよい。みんな滝を避けるのでこのあたりでボートが大渋滞、助け合いながら時間内になんとか戻る。

旅館 大和屋に戻って夕食。宮崎牛、地鶏、鮎の塩焼き、だご汁などをいただき満腹。雲海というそば焼酎をお湯割りで呑んだ。日本酒の美味しさはやっとわかってきたがまだ焼酎うまいの域には達せていない気がしている。年齢を重ねたら美味しく感じるものが増えてきて嬉しいな〜と現時点でも思っているけれど、まだまだ増えるのだと思う。楽しみ。

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部屋で少し休んだあと、ボートに並ぶメインイベント、高千穂夜神楽へ。11月下旬から1月にかけては各地域の神社や公民館、民家などで夜通し三十三番の神楽が催される。高千穂神社の神楽殿ではそのうちの四番を通年見ることができるのでそちらを予約していた。神楽保存会のお兄さんが詳しく、そしておもしろおかしく説明してくれる。舞台には神庭(こうにわ)という結界がはられ、天之手力男命が天の岩戸を探すところ、天鈿女命が岩戸の前で舞うところ、天之手力男命が岩戸を持ち上げて投げ飛ばすところの三番が続けて舞われる。岩戸は信州まで飛んでいって、実際に長野県に戸隠という地名が残っている。飛行機もインターネットもない時代に、九州から信州にまで神話が伝わっているというのは冷静に考えるととんでもないことだ。

途中で大きめのムカデが神庭に侵入してきて、神楽に使っていた荒神杖で払われていた(そんな使い方をしていいのか)。今月頭に寺尾紗穂さんのライブを見たときMCで、河童伝説のある土地でライブをしたらお客さんが「河童みたいなひとが見にきていた」と教えてくれたという話をしていて、それもたしか九州だったと思う。パワースポットだ……。

また説明をはさんで、イザナギイザナミを農家の夫婦に見立てた御神躰の舞。お酒を飲み交わして、腰をフリフリする(もちろんこれは夫婦の営みの暗喩)。コミカルな舞にはお客さんたちも笑う。神話の世界が現代まで当たり前に存在している、そこに確かに存在する長い長い時間の流れに気が遠くなる。Dancing All Nightな本物の夜神楽も体験してみたいな。

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11/20 高千穂2日目

朝食も安定の旅館ボリューム。冷や汁も宮崎の郷土料理とのこと。山形のイメージが強かったのでおどろく(調べると埼玉にもあるらしい)。

チェックアウトして高千穂駅に向かう。駅といっても電車は通っていない。かつては高千穂線という路線が通っていたが、台風被害を受けて廃線となり、現在はその線路の上をディーゼルロッコが走る観光アトラクション「高千穂あまてらす鉄道」になっている。ここに至るまでの公式サイトに掲載されているストーリー、胸が熱くなるのでぜひ読んでみてほしい。

ロッコには老若男女がぎゅうぎゅうに乗り込み、高千穂峰や棚田が見える景色の中をゆっくり走っていく。トンネルを通過する間は謎のプロジェクションマッピング。確かに何もなければ小さい子供は怖がるかもしれない、お客さんに楽しんでもらうために色々と工夫されているなあと思う。

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最高地点は100mほどの高さがある高千穂鉄橋でしばし停車して折り返す。なぜかしゃぼん玉が発射される。山並み、棚田、放牧された牛、どこまでも長閑な風景としゃぼん玉の組み合わせは現実感がない。というか、こちらにきてからずっと自分が動物や虫や葉っぱの一部のような心持ちがする。

高千穂駅にはかつて使われていた車両も保存されており、電車の下をくぐることもできる。これも現実感がないが、住人たちを乗せてきた歴史はほんもので、中吊り広告などもそのままだ。駅舎の時刻表や運賃表も眺めながら、確かにそこにあった人々の営みの気配を感じ取ることができる。

 

歩行者がほとんどいない道を20分かそこら歩いて、荒立神社へ。こちらは猿田彦大神をお祀りしている。芸事の神社ということで、板木を小槌でポンポンと叩いてしっかりお参り。近くにテントの土産物屋があり、覗いてみると芸能人の写真でいっぱい。アンミカさんは高千穂の観光大使らしい。

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このあたりは他にもぽつぽつと神社がある他は民家しかなく、番犬業務をがんばる犬さんにたくさん吠えられ、猫業務(お昼寝)を頑張る猫さんにたくさん癒される。みんながんばっててえらい。さっき乗った高千穂あまてらす鉄道のトロッコが走っていくのが見えた。

ちなみに棚田は9月ごろの稲穂が刈り取られる前が一番美しいそうだ。それも見てみたい。九州の晩夏はとても暑そうだけど。

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またバスに乗り神話の世界へ。天安河原までの道はまたすごい崖に囲まれていて、陽光が「降り注いでくる」という感じがまた神々しい。

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ところでiPhone 15のカメラ機能、すごくないか……。解像度はシンプルに4倍になっているので画質がいいのは当たり前としても、明暗の階調の表現がなめらかだし、レンズフレアもかなり改善されている。ナイトモードもかなり明るくなっているみたい。この写真はまさかの撮って出し。

 

八百万の神が集まったところに辿り着く。しんとした厳かさを想像していたけれど、思ったよりザワザワしている感じ。まだ何か集まっている気がする……。

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今年は3月に伊勢にも旅行して神宮に参拝したのだけれど、伊勢よりも自然が豊かなせいか何もかも大らかな感じがする。例えるなら魂の露天風呂のような。

天岩戸神社の西本宮。伊勢神宮のような、神明造の社が見られる。本殿の奥にはまるい鏡。天照大神だ。

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帰りのバスまで時間があったので東本宮にもお参りする。他に誰も人がいない。森の中にある静かな神社で、一瞬で好きになる。入り口に天鈿女命の巨大な像があり、センサーで人に反応して半回転くらいする。なんだこれ……。そういえば高尾山にも近づくとセンサーが反応して北島三郎の歌が流れる歌詞の石碑があって、みんなおっかなびっくり遠巻きに眺めていたのを思い出す。

この神社の奥には「七本杉」という禁足地がある。その名の通り七本の杉が並んでいる。地元の千葉県市川市も八幡の藪知らずという禁足地がある。なんと好奇心を掻き立てる響き。しかし七本杉の先は崖なのでシンプルに危険、行っちゃダメ。

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鳥居を出ようとしたら、真正面に高千穂峰と、傾いてきた太陽が迎えてくれた。この旅の最後に訪れる場所がここでよかったと強く思った。
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飯を作る元気がない、飯も別に食いたくはないけど食わないと動けない、皿も洗えない、風呂も入れない、なんとか服を着たり脱いだりはする、トイレはぎりぎりまで我慢、そもそも水を飲んでない。通勤でヘトヘトになって栄養ドリンクを飲む。職場が寒くてコートと毛布を体に巻き付けている。眠くて仕方ない。自分が何をするべきか10分に1回わからない。一気にダメになった。明日はバック・ミークの来日公演、母親と話さなければならない、耐えられるのか。

マジで、皿が洗えない。皿が積み上がっている。生ゴミも。夏じゃなくてよかった。 手もボロボロで、全部の指が痒い、汚い手。ボロボロすぎて、皮膚が破れて、ベースを弾くのも辛くなってきた。

 

虫のように見えてくるのだ憂鬱はいつも視界の端で蠢く

12/12

心がざわつく。何も手につかないのに何かしなければという気持ちばかりが急いて、テレビのチャンネルを回して(NHKでガザの子供達のメンタルケアをしているNGOが取り上げられていた)は消し、何か口にしてはやめ、少しだけDuolingoをやる。先日急に、ハングル読めるようになりたいかも、と思って少し調べてみたところ、母音の数が日本よりも多くて発音は少し難しそうだけれど、とても合理的なシステムで表記されることがわかり思いの外すぐに覚えることができた。その達成感でいい気になり、ゆるく学んでみようという気になったのだった。ハングルが読めれば好きなKPOPの歌詞を見て歌うこともできるようになるだろうし。

最近リリースされた家主のシングル、「悄然 この気持ちの名前がわかった 僕は僕を責めるのをやめよう」という歌詞があった(歌詞を調べたけど見つからなかったので、細かい部分や表記はちがうかも)と思い出す。自分の気持ちに名前をつけて整理し、自責と切り離すというのはすごく前向きで実用的なアイデアだと思った。

 

先週、心療内科に半年ぶりに行った。その半年間も飲み忘れてためこんでいた薬を隔日くらいで飲む、を続けており、別に通うのをやめたつもりはなかった。とはいえ久しぶりすぎて代診の先生に小言を言われた(その日はたまたま主治医が電車の遅延で1時間以上遅れるというので、別の先生に頼んで一週間分の薬だけ出してもらった)。明後日また行って今度こそ主治医と対面するわけだがまた小言を言われるかと思うときついものがある。こちとら時給を犠牲に来てやってんだぞと。まあ全て自分が悪いのだけれど。いやこんなことを書きたかったのではなくて、その通っている病院は診療の前にWeb問診票に記入をすることになっていて、最近の調子はどうですか、眠れてますか、私の場合は双極性障害なので鬱と躁でいうとどっちですか、といったアンケートを書かされる。今回は間違いなく「やや悪化している」「軽い鬱状態」のラジオボタンを選択するだろうな、と思う。なんだかこの夏から秋にかけては、かなり症状が落ち着いていたように思う。昔から一年のうち12月が一番好きだけど、どうしても冬は苦手だ。いつもいっぱいいっぱいになってしまう。

一応楽しみなことはある。いま急激に仲良くなっている途中の人がいて、私と話してみたくて夢にまで出てきたとまで言われて照れる。その人とお茶をすることと、あとは自分の誕生日にパートナーがランチを予約してくれていることとか。とにかくなんでも趣味は続けていれば、大人になっても新しい友達ができて、いいものだなと思う。今年仲良くなれて嬉しかったのはあと、美食と美酒を好む詩人のお兄さん。私は表現者としての実力や実績なんて何もないし、自分が特別に魅力的な人物とよ全く思えないのだけれど、なぜか私に興味を持ってくれる人は一定数いて、不思議に思う。そういえば昔から自分のことが本当に気に食わなかったが、特に自分の姿形を自分で選べるようになってからはあまり醜さに執着しなくなったし、これでいいかと思えるようになった気がする。自分で選ぶことが自分を認めるために必要なのだと理解している。耳には幾度となく穴を開け、髪色も眉の色も変えてしまったし刺青も入れた。そういう行為のたびに私は私に満足できる。外見を制限する仕事にはもう一生つかないだろうなと思う。

昨日植本一子さんの新刊が届き、ベッドサイドのランプをつけて30分ほど読み進めた。辛いときは日記を書くといいのかもと思いこれを書いた。iOSのアップデートでジャーナルという日記の純正アプリができたが、なんとなく長文を書き散らすのには向いていない感じがあり、はてなブログを開いてしまう。本の続きは明日読み進めよう。

R.M.N.

昨夜は『ボトムス ~最底で最強?な私たち~』を観ながら日本酒をのんでベロベロの状態で寝たけど奇跡的に午前中に起きる。

ユーロスペースで『ツィゴイネルワイゼン』と『ヨーロッパ新世紀』を観るつもりで電車に乗ったのにウトウトしてしまい気づいたら隣駅で、ツィゴイネルワイゼンのほうは間に合わなくなってしまった。仕方ないのでヨーロッパ新世紀のチケットだけ先に買って、名曲喫茶ライオンに初めて入った。扉を開けると、大音量のグリーグ

『中国の死神』の続きを読もうとするものの音が大きいせいか曲が好みなせいかイマイチ集中できず、少しページを戻してここまでの流れをメモにまとめていたら少しずつ頭がテキスト情報を受け入れ始め、読み進めることができた。

 

『ヨーロッパ新世紀』は、ルーマニアトランシルヴァニアが舞台で、夫婦や家族といった個人的な問題からヨーロッパにおける移民差別と東西格差まで、大小様々な問題が複雑に絡み合うドラマ。スリランカからの移民をめぐって地元民が集う場面は定点からの長回しで胸が苦しくなりながら見入ってしまった。「(おそらく意図的に)電話に出ない」シーンが多く、ネットワークの発達により一方的に対話を拒むことができるようになったのは皮肉だなと感じる。結局家まで行ってドアを開けてもらい、直接話す人たち。

集会のシーンも凄かったがラストシーンまでの最後の数分も緊張感があり圧巻。人間は、人間を敵視し憎んでいる場合ではないのだけれど、そのことを思い知るのはいつも手遅れになってからなのだ。