my lips are sealed

tamavskyのB面

12/12

心がざわつく。何も手につかないのに何かしなければという気持ちばかりが急いて、テレビのチャンネルを回して(NHKでガザの子供達のメンタルケアをしているNGOが取り上げられていた)は消し、何か口にしてはやめ、少しだけDuolingoをやる。先日急に、ハングル読めるようになりたいかも、と思って少し調べてみたところ、母音の数が日本よりも多くて発音は少し難しそうだけれど、とても合理的なシステムで表記されることがわかり思いの外すぐに覚えることができた。その達成感でいい気になり、ゆるく学んでみようという気になったのだった。ハングルが読めれば好きなKPOPの歌詞を見て歌うこともできるようになるだろうし。

最近リリースされた家主のシングル、「悄然 この気持ちの名前がわかった 僕は僕を責めるのをやめよう」という歌詞があった(歌詞を調べたけど見つからなかったので、細かい部分や表記はちがうかも)と思い出す。自分の気持ちに名前をつけて整理し、自責と切り離すというのはすごく前向きで実用的なアイデアだと思った。

 

先週、心療内科に半年ぶりに行った。その半年間も飲み忘れてためこんでいた薬を隔日くらいで飲む、を続けており、別に通うのをやめたつもりはなかった。とはいえ久しぶりすぎて代診の先生に小言を言われた(その日はたまたま主治医が電車の遅延で1時間以上遅れるというので、別の先生に頼んで一週間分の薬だけ出してもらった)。明後日また行って今度こそ主治医と対面するわけだがまた小言を言われるかと思うときついものがある。こちとら時給を犠牲に来てやってんだぞと。まあ全て自分が悪いのだけれど。いやこんなことを書きたかったのではなくて、その通っている病院は診療の前にWeb問診票に記入をすることになっていて、最近の調子はどうですか、眠れてますか、私の場合は双極性障害なので鬱と躁でいうとどっちですか、といったアンケートを書かされる。今回は間違いなく「やや悪化している」「軽い鬱状態」のラジオボタンを選択するだろうな、と思う。なんだかこの夏から秋にかけては、かなり症状が落ち着いていたように思う。昔から一年のうち12月が一番好きだけど、どうしても冬は苦手だ。いつもいっぱいいっぱいになってしまう。

一応楽しみなことはある。いま急激に仲良くなっている途中の人がいて、私と話してみたくて夢にまで出てきたとまで言われて照れる。その人とお茶をすることと、あとは自分の誕生日にパートナーがランチを予約してくれていることとか。とにかくなんでも趣味は続けていれば、大人になっても新しい友達ができて、いいものだなと思う。今年仲良くなれて嬉しかったのはあと、美食と美酒を好む詩人のお兄さん。私は表現者としての実力や実績なんて何もないし、自分が特別に魅力的な人物とよ全く思えないのだけれど、なぜか私に興味を持ってくれる人は一定数いて、不思議に思う。そういえば昔から自分のことが本当に気に食わなかったが、特に自分の姿形を自分で選べるようになってからはあまり醜さに執着しなくなったし、これでいいかと思えるようになった気がする。自分で選ぶことが自分を認めるために必要なのだと理解している。耳には幾度となく穴を開け、髪色も眉の色も変えてしまったし刺青も入れた。そういう行為のたびに私は私に満足できる。外見を制限する仕事にはもう一生つかないだろうなと思う。

昨日植本一子さんの新刊が届き、ベッドサイドのランプをつけて30分ほど読み進めた。辛いときは日記を書くといいのかもと思いこれを書いた。iOSのアップデートでジャーナルという日記の純正アプリができたが、なんとなく長文を書き散らすのには向いていない感じがあり、はてなブログを開いてしまう。本の続きは明日読み進めよう。