my lips are sealed

tamavskyのB面

ADHDだった話1

これから書くのは、私がADHDと診断されて投薬治療を始めた話。

 

誤解してほしくないのだが、知ってほしいとか、理解してほしいとか、そういうのではない。勿論理解してくれたら嬉しいけど、目的ではない。

なぜ書くことにしたのかは追い追い。

長くなるので、いくつかの記事に分けて書いていく。

 

私は現在社会人2年目、配属から9ヶ月が経とうとしている。業種はIT、ソフトウェア関係で、職種はシステムエンジニアだ。

会社はホワイトでもないが劣悪な労働環境でもない。一応一部上場の中堅SIer。人間関係も私にとっては至って良好。関わる先輩方はみな優秀で、教え上手で、物腰も穏やかだ。恵まれた環境だと思う。

 

ただ、6月後半にかけて仕事が忙しく、思うように集中できない事、ケアレスミスが多い事、自分がした作業の内容を思い出せない事、無計画に仕事を進めてしまう事、面倒ごとを先延ばしにした結果いつまでもタスクが消化できない事で先輩に迷惑をかけたり自分が必要以上に苦しんだりということが重なってしまった。

 

こういう状況や精神状態にはかなり覚えがあった。私はやはり何一つ変わっていない、と散らかり続ける部屋、たまり続けるゴミと洗濯物を見て思った。

 

幼い頃からADHD的傾向があった。高校生か大学生くらいのときにADHDという言葉とその症状を知って、私じゃん、と思った。

良い機会なのでそれらしいエピソードを思いつくだけ挙げてみようと思う。

 

最初に自分がおかしいことに気づいたのは多分小学生になってからだと思う。

面倒な事を先延ばしにしてしまうので宿題が終わらない。締め切りを与えられた計算ドリルが終わらない。絵の具のパレットを洗えない。習字道具を洗えない。

あ、保育園年長のときにひらがなのプリントを物凄くためたことがあった。読めるし書けるのにわざわざやりたくなくて。

あとは物を失くしたり、忘れたりすることが多い。

整理整頓ができない。机の中、ランドセルの中、部屋がすぐ乱雑になる。(今も「机の中」という単語が怖くてたまらない。この言葉が母や教師の口から出たら100%「汚い」「掃除しろ」と怒られたので)

部活(吹奏楽部)で、合奏中にボーッとしていてただでさえヒステリー気味な顧問の教師に怒られる。

絵を描き始めると止まらない、本を読みだすと止まらない、など、好きなことにはとてもよく集中して取り組んでいた。時間を忘れてしまい寝不足になったり、次の予定をすっぽかしかけて大慌てということも多かった。

成績は上から数えたほうが早い程度には良く、多動がないので授業は真面目に受けているように見える。

宿題をためたり物を忘れる度に親からも教師からも「やればできるのにどうしてやらないの」と言われ続けていた。

「異常」「何かの病気なんじゃないの」とも言われた。看護師の母親に。(異常でしたし病気でした)

 

あと、聴覚が過敏な時があり、掃除機が大嫌い(今も)。教室の離れたところで人が話していることに対して笑ったり返事をしたりするので、一人で笑っていると思われて不気味がられた。

 

こんななので小学校6年間は怒られていたかいじめられていた記憶しかないし、学校イコール面倒なことを延々やらされ続ける場所で、楽しかった記憶が一切ない。あったにはあったのだろうけど、思い出せない。というか、思い出そうとすると悪いイメージばかりが浮かび、キツすぎて脳がストップをかけてしまい、よく思い出せない。防衛機制

 

それから、これはADHDではないが、上記のような状態で過ごしていたストレスからか過敏性腸症候群のような症状があった。学校で突然ひどい腹痛に襲われて動けなくなり、よく保健室で寝させてもらっていた。

中学以降はほぼ起きなくなったし今思えば完全にストレス性だった。そんなことにも気づけなかった。

ちなみにあまりに痛がるのでクラスの人間の一部からは仮病だと思われており、お腹押さえてうずくまる真似をされて茶化されたこともあった。世知辛すぎる!

 

あと突然おなかのあたりがモヤモヤ、ソワソワして、動悸がする現象。医者にかかってれば不安障害とかパニック障害とか診断されたのだろう。これは今もたまに起こる。

常に怒られるのではないか、忘れ物をしたのではないかと後ろめたい気持ちがあったし、いつ腹痛がくるかもわからない。もちろんそれを忘れている時間はあるのだが、例えば家の電話が鳴ったときは先生からの「○○が提出されていないのですが?」という電話だったらどうしようかと怯えたし(忘れっぽすぎて何をやっていないかも忘れている)、いつ鞄や引き出しの中を開けられて汚い、綺麗にしろ、なんで出来ないんだと怒鳴られるかと無意識に気を張っていたのだと思う。

 

いやそんな怖がるくらいならちゃんとやればいいじゃんと思いますよね! 私もそう思う。けどすぐにはできるようにならなかった。好きなことをしていて気づいたら時間がなくなっているような感じだった。

 

こういった傾向は完全に直せないわけではなく、学習によって困難を回避することはできる。

またおそらく私は割と軽度な方なのもあり、中学高校と年を重ねていくと徐々に改善し、怒られることは減った。

高校生くらいからは親が寝る時間についてあまり言ってこなくなったから、間に合わなくても最悪徹夜すればいいというのもあったかもしれない。

 

大学生にもなれば1日の時間の使い方がほとんど自分に委ねられており、バイトや就活で時間に追われがちなこと以外には、ほとんど辛いことはなかった。

入ったサークルはADHD的な傾向のある人が多かったのではないかとさえ思う。とても居心地が良かった。

 

しかし社会に出るとうまくいかないもので、はじめに書いたような出来事により精神状態が小学生に戻ってしまった。自己嫌悪に陥った。

大勢の人間に怒鳴られる声が頭の中で鳴り止まなかったり、仕事中に突然ソワソワが始まってしまい席に座っていられなくなったりした。

 

このままでは自分や仕事が嫌になってしまいそうだった。せっかく出来ることも増えてきたのにそれは困る。それに私がなんとか身につけてきた自信をなくしてしまいそうな焦りもあった。先輩に使えないやつだと嫌われるのも怖かった。

 

ADHDの治療をしている人のブログやツイートを読み漁り、ストラテラコンサータといった薬の存在を知った。

正直なところ、病気のせいにすれば少しは気が楽になるとか、薬を飲めばこんな思いをしなくて済むのでは、という気持ちが無かったわけではない。

でも、治療をしている人のブログを読んでいくうちに考えは変わってきた。

直すのは薬ではなく自分自身で、社会に適合するためには試行錯誤しながら生きやすくなる方法を学んでいくしかない。ただ、その助けになる薬はある。といった具合に、冷静に症状と向き合い、改善していく道が見えてきた。

 

私がADHDというものを知って、これって自分のことだな、と思いつつも受診しなかったのは、直す気がなかったからだ。なぜならそのときは困っていなかったから。それは単なる注意欠陥であって、注意欠陥障害ではない。

だけど今は完全に困っている。困っていたらそれは障害になる。困らないために努力することは甘えじゃない、むしろ前向きな一歩だと言えるんじゃないか。

 

そういうわけで精神科の予約をとった。

受診を決心するまでの話で3000字も書いてしまった。次は初診から薬を処方してもらうまでの話を書く。