my lips are sealed

tamavskyのB面

終わりはもうそこに

6/14 月

仕事が終わってスマホを見たらたくさんLINEが来ていた。日曜日に数時間同じ部屋にいた人が新型コロナに感染したらしい。色々と連絡待ち。

 

6/15 火

念のため在宅勤務にさせてもらう。体調は問題なし。午前のうちに、私は濃厚接触者にはあたらないと判断されたとの連絡。

Aちゃんは仕事が介護と飲食店なので、今日は仕事を休んでPCR検査を受けに行った。陰性とのこと。それなら私も多分大丈夫だったのだろう。検査のお金がかかった上に一日分の給料が飛んだので怒っているかもしれない。申し訳ない。

通信講座の教材の発送連絡があった。嬉しい。

kindleふみふみこ『愛と呪い』一気読みしてしまった。辛かったことや嫌だったことは謝られても許せてももうどうでもいいと思っても消えない。私は自ら死を選ぶ勇気がないから、生きていかなければならないこと、有無を言わさず人生が続いていくことが幼い頃から漠然と怖く、その恐怖が呼び覚まされる。「世界が終わらないこと」が一番怖い、90年代の感覚にとても共感する。90年代6年しか生きてないけど。

 

6/17 木

午前中は歯医者。虫歯全部やってくれるのかと思ったら1本だけ。麻酔は一瞬チクっとしただけで全く痛くなかった。

午後、移動してF駅へ。駅前の本屋で植本一子『フェルメール』、イアン・リード『もう終わりにしよう。』購入。ノートとペンも買っておく。近くの喫茶店に入ると、タバコも吸えるしBBCのラジオが流れていてタイムスリップしたようだった。ノートに心療内科で伝えたいことをまとめ、スパゲティとコーヒーでお腹を満たす。

診察。若い男の先生。30〜40分くらい話を聞いてくれたと思う。部屋を出てから時計を見てびっくりした。ほぼ、双極性障害ではないかという目星をつけるまでに至った。ほぼ、というのは私の話た内容ではその病気と診断する基準に少し達していないという。医師の見立てではほぼその病気と判断してよいとは考えているが、私の話した気分の上下する期間があいまいなところがあるから、次の診察までの気持ちの変化を観察・記録しておいてほしいとのことだった。外出先でパニックになったときのために抗不安薬だけ、頓服として出しておいてくれた。

息苦しさや動悸はパニック障害かと思っていたが、あの前後不覚になる感じは、躁と鬱の間に起きることがあるらしい。

 

ここで帰ればよかったのに、欲張って映画をみてしまい散々な目に遭った。観たのは『明日の食卓』。他にも観たい映画は山ほどあったけれど時間の合うのかこれしかなかった。ストーリーは、10歳の息子がいる母親3人が、仕事や子育てや家族との関係に悩みながら過ごすというもの。正直オチは読めてしまったし、飛行機雲を探して走るシーン(しかもスローモーションになっちゃう)など寒気がする激臭ドラマ演出に都度、映画の外へ引き戻されてしまう。主演の女優さんたちはよかったと思う。とくに菅野美穂さん。

観ている間、自分の感情にちょっと驚いたことがあった。高畑充希が明るく働き者のおかーちゃんをやっていて、自然と「人って自分の子供のためならこんなに頑張れるんだな」「子供はいらないと思っていたけど、それは負の面を見過ぎているからなのかな」とさえ思えたのだった。こう思ったのさえ初めてだった。ただしその「負の面」こそが一番厄介なのだと、終盤のシーンで引き戻される。怒鳴る母親、あまりにも仕事が忙しく余裕のない母親に対して息子が放つ「生まれてこなければよかった」「お母さん、僕なんか生まなければよかったと思ってるでしょ」という言葉から、壊れたように涙が止まらなくなってしまった。あまりにも辛くて混乱してしまい、途中で席を立つか迷った。

とにかく重く辛いテーマだったことと演出が苦手だったことが重なって嫌な気持ちで帰ってきた。それでも目が腫れるくらい泣いてしまったので、疲れてご飯を作れずに寝てしまった。

 

6/18 金

ライブ。急遽、2人編成でやった。

ライブハウスでしか会うことのない友達に3人くらい会えて、嬉しかった。みんな私を忘れていなかった。共演のバンドもとてもかっこよくて、バンド編成の100%の演奏ができなかったのが悔しい。

 

6/19 土

昨日帰宅して、ご飯を食べる気にならずゴロゴロしていたらそのまま寝てしまったらしい。10時ごろに目が覚めた。Aちゃんは和室で寝たらしい。散らかり放題だった和室がほとんど完璧に掃除されており驚く。

バンドのスタジオ練習だがあまり気分がよくない。テンション低いと言われたが疲れていることにした。本当は悲しくて消えてしまいたいような気持ち。

ヘトヘトで帰宅する。とりあえず横になって本を読むが、あまり頭に入ってこない。そのうち寝たらしくインターホンのチャイムで目が覚めた。

友人の働く花屋のサボテンを購入して送ってもらったのだ。とりあえず和室に置いた。吹雪柱というらしい。ふさふさしていてかわいい。

サボテンの梱包材を捨てようとゴミ箱を開いたら、私が前の家から持ってきた小さな組み立て式小物ラックが捨てられているのに気付いた。和室を片付けた際に捨てたのだろう。ワイヤーが真ん中で折られて捨てやすい形にしてあるから、間違いなく捨てようという意思のもとゴミ箱に突っ込まれている。

たしかに不要だったかもしれないが、これは私のものだ。私が気に入って私がお金を出して買ったものを、無断で壊して捨てていいのだろうか。さすがに悲しくて泣いてしまった。

いつものAちゃんならそんなことはしないかもしれない。遊んで帰ってきたくせに家事もせずベッドを占領して寝ている私に腹を立ててやったのかもしれない。

そもそも別に300円だか500円程度で買ったものだし、特別な思い入れもない。私も、こんなに取り乱すようなことではない。

でも私にとって他人にものを捨てられることがどれだけ嫌かは教えなければならない。また同じことをされたくない。幼い頃、部屋が汚いことに激怒した母親が私の集めていたフィギュアを全部捨てたことがある。そのことを10年以上ひきずっているのも病的かもしれないが、それからずっと母親のことが信じられなくなってしまったし、人間は家族に対してもそんなひどいことができるのかと人間全体に対しても信じられなくなった。

だからこんなことをAちゃんにされたら耐えられない。せめて過失で壊してしまったから捨てた、なんて理由であってほしい。涙が止まらない。