my lips are sealed

tamavskyのB面

生活の練習

土曜の夜勤中Aちゃんから、今自分は仕事など頑張りたい時期であり、その中で部屋が荒れていくのがしんどいのでお互いもう少し家事をためないように頑張りませんか、という内容の少し長めのLINEが来る。確かにここ最近は洗い物と洗濯物の溜まり具合が過去最悪レベルに達していた。多分、私への苛立ちと自身への反省の間を行き来してできるだけ平和的な文章を作ったのだと思う。そういう跡を感じたのは私が後ろめたいからだろうか。返信は短く謝罪と反省の意を述べるに留めた。家が荒れているのが平気である(と思い込んでいる)自分が恥ずかしかったからだ。

昔から片付けることが異常に苦手で、限界まで何もかもを出しっぱなしにしてしまう。一度友達に部屋の片付けを手伝ってもらったことさえある。片付けるということをしっかりと練習しなければならない。

朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習』を読んでいて目から鱗だったのが、フィンランドでの教育の方針は子供の才能や人格を評価することはせず、生活に必要な、あるいはその子に足りていない「スキル」を身につける、練習するということに重点がおかれているということだった。この考え方に照らせば私は性格が怠惰でだらしないのではなく、片付けのスキルを身につけられていない、ということになり、だから今からでも練習すればもう少し上手くやれるということになる(しかし誰から学べばよいのだろうかと途方に暮れてしまう)。みんなはどうやって練習してきたのだろう。聞いて回りたくなる。

私は金銭の管理も非常に苦手である。常にどんぶり勘定だ。人と同居していても、家賃と光熱費だけは明確に割り勘することにしているが、食費はかなりなあなあになっている(し、今は私が少し多く出しているような気もする)。

家計簿をつけたほうがよいと思っている。昨日、書店の家計簿コーナーで、「やめられない家計簿。」という、三日坊主に強く訴えかける帯の家計簿を見つけた。中身をパラパラと見てみるが苦手な作業の全てが詰まっているようで早々に閉じる。あと、書店に並んでいる家計簿はデザインもあまりよくなかった。どれも花柄でかわいらしいものばかりで、シンプルなものは表紙にデカデカと明朝体で「家計簿」と書いてある強烈なデザインのものしかない。本当になかったのだ。金銭の管理は女が、妻が、母が、というステレオタイプにもうんざりするし、女には花柄という短絡さにもイラつく。金銭管理という厳しさをやわらげるための優しく明るいデザインではあるのだろうけれど。こんなひねくれた女でも使いたくなるような家計簿がないならつけてやらん! と売り場を後にするが、あとでネットで探すと無印やコクヨのがシンプルで良さそうだった。なぜそれを売り場に置かないのか……。そもそも、家計簿はアプリでつければいいのかもしれない。私はノートとペンを片付けられないだろうから。

カレンダーも来年の分を買わなくてはならない。急に年末感が出てきた。そういえば今年使ったのもコクヨの、とてもシンプルでインテリアを邪魔しないものだった。あとでAmazonで買っておく。

 

先述の『ヘルシンキ  生活の練習』は、冒頭をパラパラと読んで「ほー、フィンランドに移住した女性と家族の話なんだ」という情報だけ得て、いつか校正の課題に出てきて読んだ北欧に移住することになった女性のエッセイ(タイトルが思い出せない)を思い出して、勝手に美しくも厳しい自然の描写を期待してしまった。しかしこの本は全くそういう内容ではなくて、(自然豊かな場所には住んでいたらしいのだが)ほとんどが実際に体験したフィンランドの教育や政治、国民性といった人間社会に関する内容だった。でもそれはそれで非常に興味深くて、教育の方針や、求めれば助けてくれるが基本的に手出しせず見守るタイプ、という国民性について書かれた部分は非常にうらやましく、私にとっては居心地がよさそうだと思った。もちろん良い面ばかりではなく、移民に対する差別が根深いことや戦争の歴史を展示する軍事博物館のテンションが日本の資料館とだいぶ異なっていることなど、いただけない部分にもフォーカスされている。また、子育てのこと、ルーツにかんすること、といった個人的な生活の話もあり、特に「母親をする」の章は読みながら何度も泣きそうになった。誤解でも買ってみて、読み進めてみてよかった。

そういうわけで最近は「生活の練習」を意識しながら家事や、移動、仕事をしている。それだけでも少し気持ちが改まって爽快ではある。

 

月曜日、調布でのライブに出たら不思議な音楽をやるバンドに遭遇して感動した。異国情緒があって幻想的で洗練されていて、メロディがとても美しい。うまく例えられないけれど私がAlt-Jを好きだと思う同じアンテナに引っかかっているような気がする。

そのドラマーがなんとなくハードコアの香りを漂わせていたので打ち上げで話しかけたらJapanese FootballのTシャツを着ており、完全にエモの人だった。すぐに仲良くなった。彼のやっているほかのバンドのメンバーが、私の知り合いやそのまた知り合いだったりもして、コネクティングザドッツみを感じる。そのうちライブハウスでまた会うだろう。しかも近くに住んでいるらしくて嬉しくなった。嬉しくて5杯くらいお酒を飲んでしまい、かなり気持ちよく酔っ払っていた。

 

昨日は通院日で、薬の量を戻して飲み方を改めたら調子が戻ったことを主治医に伝えると「やっぱり、これは○○さんに必要な薬だったんですね!」と言われる。必要なものがずっとわからなくて苦しかっただけで、これからはもう大丈夫ですよと太鼓判を押してもらったような気持ちになる。

 

そういえば、前回の日記で書いたチャイを配る人の正体がわかった。先週木曜日、仕事をしにくさびやに籠もっていたら会うことができたのだ! こうたろうくんという私より4歳下の青年で、社会学や経済学を学んでいるらしい。高松ナンバーのカブにコンロを積んでおり、本格的なチャイを振る舞っていた。河原に人が集まってあたたかい飲み物を飲んでいて、その光景もあたたかい。ターメリックのチャイ、すごく黄色くて、スパイシーで美味しかった。