my lips are sealed

tamavskyのB面

いいふみつくろう

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今朝は11時ごろにアラームをかけていたけれど9時過ぎに宅配便のチャイムで目覚めてから二度寝したくならず、そのまま起きて洗濯をした。

11/23、いい文の日。文学フリマ日和だ。私が休みの日はいつもあまり天気が良くないのだけれど今日はよく晴れて気持ち良い日だった。

文学フリマ東京はしばらく出店者として参加していたのだが今年は10月に札幌に出店したので、今回はお休み。一般入場で13時半ごろ向かう。

久しぶりにこんな人混みを見た、というくらいの人出で、びっくりしたしなんだか嬉しくなる。新型コロナの感染者数もかなり少なくなってきたし、わりと著名な作家やエッセイストが出店しており注目度も高かったのだろう。

 

人混みに圧倒されていると、たまちゃん!と声がして、見ると髙井さん(友達、バンドをやっている、詩と音楽の才能がメチャメチャある、眼鏡をかけていて、外すと蒼井優に似ている)がいる。来ているとは知らなかったので驚く。今日は友達のブースをお手伝いしているらしい。

 

まず、桐山もげるさんによる柴田聡子さんのFANZINE『100mをありえないような速さで走る50の方法』を購入。ブースにいらっしゃったのが桐山さんなのか確かめられず柴田聡子愛を伝えることができなかったがもしかしたらそうだったのかもしれない。柴田さんのことになると感情が膨れ上がって暴走してしまいそうになり、それを抑えようとするといつも漠然としたことしか言えないので、まあ、よかったのかな……と思う。昨日Twitterをフォローしたら、フォローバックしてくださった。

(読みながらの感想↓)

 

とりあえず流れに任せて歩いていたら見覚えのある美しい表紙が視界に入る。小沼理さんの日記本『隣人的』だ。すこし前にこのブログを"購読"していただいたことで知り(合い)、初めて対面した。オンラインからオフラインに繋がるこの感じがどこかなつかしい。ご挨拶ができて良かった。

植本一子さんの本を読むようになって人の日記というものの面白さに気づき、最近は色々な人の日記の本を読んでいる。友達の日記も、まったく関わりのない人の日記も好きだ。私は他人の生活を覗き見することがほとんど性癖というくらい、好き。この話はいずれどこかで書きたいような、胸の内にしまっておきたいような。

 

つぎに「ゆめしか出版」のブースへ。外苑前のギャラリー・白白庵の青山さんが発行者の『日本現代うつわ論』と題されたボリューミーな一冊を購入。青山さんとは知り合ってもう9年経つらしい。好きなバンドでギターを弾いており、そのバンドが結成された軽音楽サークルに私も入ったので、遠い後輩になった。彼が音楽から離れ、器を中心に様々な作品をあつかうギャラリーで働きはじめたあとも親交があり、イベントスタッフのアルバイトをしたこともあった。そして前回の文フリ東京で「こんど本を作って文学フリマに出そうと思うから、偵察にきたよ」と私のいるブースにも遊びに来てくださったのだ。縁あるアーティスト大槻香奈さんによるかわいらしいPOPが並んでいる。豪華な執筆陣につられてかブースは盛況だった。かといってビッグネームをただ詰め込んだだけでは勿論なく、 "ギャラリーの中の人"が作った本らしく構成にもこだわりが詰まっているとのこと。ゆっくりと読み進めて、読み返していきたい。

 

こだまさんと、担当編集の髙石さんの『こもれび』も買う。995円なので、1000円出すと5円ご縁が返ってくるという粋な値段設定。早速帰りの電車で「桶おばさん」の話を少し読んだが、私も温泉という場が少し苦手、だけど温泉そのものは好きというアンビバレンスを抱えているのでいきなり妙に感情移入させられる。こだまさんのエッセイは、「側から見たらアホかもしれないがこっちは必死なんだよ!」的な面白さが本当にいい(すみません)。単に外から笑っているわけではない。笑いながらもちゃんと一緒に必死な気持ちになれるから大好きなのだ。

 

鳥野みるめさん、柳沼雄太さんによる写真と小説の往復書簡『ひびをおくる』は、表紙をどこかで目にしたような気がして気になって立ち止まり、立ち読みして結局買った。柳沼さんは谷保で「書肆 海と夕焼」という綺麗な名前の本屋さんをしているそうで、わりあい近いので行ってみようと思う。そういえば"往復書簡"も、最近気になることの多い形式だ。いつかやってみたいけれど、一人ではできないので、ゴニョゴニョ……いや、もう、一人でやるか?

 

その後は短歌のブースをひととおり巡る。人が多くて立ち読みする勇気がなく、一旦離れたところでTwitterを開き、何首か作品に目を通して目星をつける。短歌ユニット「苗」の第一歌集『苗』、短歌同人「砦」の『砦』を買う。偶然漢字一文字どうし。潔くていい名前だ。そういえば私の名前も漢字一文字だ。

 

髙井さんの友達が参加しているブース(ストリップ劇場のファンによるもの)にも寄って、エッセイを一冊買った。ぱらぱらと立ち読みしてみて、ストリップ劇場が渋谷にもあることを初めて知った。浅草や上野にもあるとのこと。少し勇気がいるけれど、これを読み終えたら行ってみたい。今日の私は流通センターに行っただけなのに、行ってみたい場所がどんどん増えていく。視界が急に開けるような、埋もれていた道が見えてくるようなこの感覚がたまらない。 文学フリマ、やっぱり来てよかった。

 

Aちゃんに頼まれて、yobai videoという音楽ユニットをやっている藤本薪さんと、その友達の師走さんによる小説の本『リマインダー』を購入。話の流れでAちゃんが私のことを紹介するのに「同居人、まあ彼女なんですけど……」と言っていたらしいことが判明して、交際者の対外的な呼称をどうするか問題、難しいよねという話になる。"彼氏"、"彼女"というと「いきなりプライベートな話をし出したなコイツ……」という感じがするし、かといって"パートナー"は重くない!?などなど。話には出なかったけれど"恋人"も全然違うなあという感じがする。別に恋しているわけではないと思う。好きなTwitterユーザーが"交際者"という言葉を使っていて、それが自分としては一番しっくりくるというか丁度良いのだけれど「コウサイシャ」が一発で伝わるだろうかと日和ってしまい、私も結局「同居人、まあ彼氏なんですけど……」をやってしまっている気がする。(というわけでこのブログでは彼氏でも恋人でもパートナーでも同居人でもなく、Aちゃんと呼ぶことにしている。)

 

本をたくさん買って、また本を作りたい気持ちになる。先月作ったばかりなのに。この本の表紙の紙がいいなとか、こういうレイアウトがいいなとか、アイデアがぽんぽんと浮かんでいく。1年1冊を目標にこれからもがんばろう。いいふみつくろう。

 

晩ご飯の材料とお花とケーキを買って19時すぎに帰宅。なぜお花とケーキかというと、Aちゃんが今日で生誕10000日目を迎えるからだ。ついでに25日で同居1周年の節目でもあるので、ちょっとしっかりめにお祝いをしてみようと思ったのだ。生後10000日は誕生日と違って調べないとわからないから、サプライズで祝うことにした。それで晩ご飯もこっそり少し豪華にした。ネギトロごはんと、かぶと鶏団子のスープ、Aちゃんの好物である揚げ出し豆腐と揚げ出し大根。

私のほうが帰りが遅かったので玄関にケーキと花束を置いておき、Aちゃんが食後のコーヒーを淹れている間に玄関でケーキにロウソクを1本立て、花束も抱えてリビングに登場。私はわりとサプライズを仕掛けるのが好きなのだが、Aちゃんは仕掛けられるのが好きかどうか怪しいので、家の中でこじんまりとやった。今日が生後10000日って親でも知らないよ、とつっこまれたが「うれし〜ありがと〜」と喜んでいた。Aちゃんはお腹いっぱいになって早く寝た。冬でも体温が高くて半袖で寝ている。次の10000日も変わらずポカポカであること(=健康)を祈っている。

11/18

木曜日の記録。色々あった。

まず朝一で通院。結局薬の量は戻った。昼か夕食のあとに1錠追加する。今度こそ、薬の効き目と副作用とのバランスがとれるようになるのを期待。

10時ごろに診察と薬の受け取りが済んだ。曇っているが、雲の向こうから柔らかくなった日光がときどき差してくる。マフラーはしなくてもよいくらいのさわやかな気候が気持ち良くて散歩をすることにした。

けやきの並木道を歩いて大國魂神社へ。七五三のお参りに来ている家族がたくさんいて、着物姿の女の子や男の子がたくさん写真を撮られていた。七五三、さすがに自分は七歳のしか記憶がない。お腹が帯で締め付けられて苦しく、身体が重いので一日中機嫌が悪かったような気がする。神社にいたのは多分ほとんど3歳と5歳のように見えたけれどみんなニコニコとしてポーズを決めており、えらいなあと思う。

自分は健康運と仕事運の向上を願い、おみくじを引いた。今年は初詣もしなかったので2021年初めてのおみくじだったかもしれない。何かと運のない私にはめずらしく中吉で、おおよそ良さそうな言葉が並んでいた。旅行の欄には「どこへ行っても楽しいことがあります。」と書かれていて早く旅に出たくなった。そういえば来月、誕生日に伊香保温泉に行く。

府中の大きい本屋で朴沙羅『ヘルシンキ 生活の練習』、シオラン『生誕の災厄』購入。

その後分倍河原へ移動してブランチ。マルジナリア書店でボーヴォワール『離れがたき二人』を買って、パンとコーヒーも頼んでカフェスペースで読む。

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Noëlさんのあひるのパン、かわいい。天然酵母のパンで、フカフカもちもち。もったりしたカスタードクリームが詰まっていて美味しかった。

 

昼、森のカフェへ移動してカレーを食べる。ジャズの流れるいいお店だった。たくさんのレコードとCDがあって気になる。日差しが差し込んできて気持ちが良い。

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(手前の、カスタードプディングのようなケーキがびっくりするくらい美味しかった。頭に電流が走った)

 

鞄の中に本が4冊あって(購入した3冊と、家から持ってきた1冊)さすがに重い。子供の頃、本なら欲しいと言えば基本的に買ってもらえたのを思い出す。もっと読めばよかったし買ってもらえばよかったと思う。そういえば小学校高学年くらいの頃に読んで未だに印象に残っている本があって、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』という(それなりに有名なのでご存知の方も多いと思う)。私はあの本で素数とは何かというのと、モンティ・ホール問題のことを知った。あの本は大人になってもときどき読み返したくなるので、こんど実家に帰ったら回収しようと思う。

 

多摩川の河川敷を散歩して、そのまま河原に座り込んで陽が傾くまで『離れがたき二人』を読み進める。読み終わる。昨今、シスターフッドをテーマとした物語がよく注目されているし、そういった文脈で未発表だったこの作品が出版されたり、広く紹介されたりしているのかもしれないのだけれど、女性同士の"連帯"というと生ぬるく感じてしまうほどに強烈な親愛で結びついた人間ふたりの話であった。二人の絆は非常に固いけれど、決して二人だけの世界にこもるような話ではない(いや、二人だけの世界が作れたらもっとずっとマシだったのかもしれない。シルヴィーは父の破産によって家の経済状況が苦しく男と同じように働かざるを得ないし、アンドレは敬虔なクリスチャンのブルジョア家庭で社交や結婚といった女の役割を強いられる)。

 

己に子供じみた振る舞いを許せば許すほど解放されていく気持ちになる。 子供のころに子供をやらないと大人になってからどんどん子供が出てくる。

 

友人が、親の年収を(子が関与することではない方針だから)知らされていないと言っていて、それが逆説的に親→子の結びつきの強さと経済的な余裕を物語っていて面白いと思った(なんだか意地が悪いように見えるかもしれないけれど、本当に面白いと思っている)。奨学金の申請をするにも家を借りるときに保証人になってもらうにも世帯年収は必須の情報だったから。じゃあ彼女はこの先奨学金も一人暮らしもさせてもらえないのだろうか? まさかそんなわけはないのだが。

 

夕方、満腹感が落ち着いたところでキノコヤへ行って「春原さんのうた」前売券を買う。「歌壇」に載っているスチルでキノコヤの二階が使われているのを知る。朝からカフェインをとりすぎているのでハーブティーをいただいた。お店に居合わせた青年曰く、近頃このあたりでチャイを配っている人がいるらしい。何者か誰も知らずかなりあやしいのだが、こんな寒い中あたたまる飲み物を配っているのだから多分やさしい人に違いない。残念ながらこの日は会えなかった。野菜が店主のKさんのご実家から届いたそうなのだけれど、週末は映画祭があってお店を休むので、たくさんあっても使いきれないかも、ということで大根、かぶ、さつまいもをいただく。秋冬らしい野菜でなおのこと嬉しい。

 

泊まりがけの仕事終わりのAちゃんと待ち合わせて、近所のイタリアンレストランに入る。食事はとても美味しかったのだが、この少し前に薬を1錠飲んだのが悪かったようで血糖値が急上昇してしまい、大変なことになった。心拍数が上がって、お酒を飲みすぎたときのように気分が悪く、冷や汗をぐっしょりかいてうずくまることしかできない。とりあえずお手洗いに入ったが不思議と嘔吐する気にはなれず、席に戻ろうと立ち上がると目の前が真っ暗になる。視覚を奪われたままなんとかテーブルにたどりつきしばらく突っ伏して休んだ。お店の人からしたらアレルギーの発作かなにかに見えて焦っただろうなあと申し訳なく思う。でももし一人のときにこうなってしまったら、救急車で運ばれたかもしれない。Aちゃんとせっかく久しぶりに外食をしたのに楽しい時間をぶち壊してしまったようで悲しかった。お水をたくさん飲んで少し落ち着いたところで、歩いて10分もしない距離をタクシーで帰った。

とにかくもう空腹のときや食事の前には絶対に薬を飲まない、お酒もできるだけ飲まない。

 

自分の病気のことは、隠しているわけではないけれど、かといって日常的に発信すると過度に心配をされたり、それによって私の可能性を狭めるような見方をされたりするのが嫌であまりおおやけにしたくない気持ちがある。けれど自分の生活の方針において重要な事項なので、やはりどこかで記録していきたい。わかってほしいとか、配慮してほしいとか、そういうことではなくてただ自分のありのままの姿を記録しているだけ。隠してしまうとどうしても嘘をつくことになる。難しい。

 

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秋から冬にかけての多摩川の茫々とした風景が好きだ。何もなくて、流れだけがある。流れに身をまかせて過ごしたい。風が吹き渡るみたいに、水が流れるみたいに自然に過ごしていたい。

負け戦

月曜日、久々に鬱に負けた。睡眠不足が祟ったのか、1日薬を飲み忘れたらダウンした。前回通院時よりも薬の量を減らしているのだから無理をしてはいけないのだった。その後はきちんと薬を飲んでいるのだけれど全然抜け出せない。木曜日の通院までの我慢だ、と言い聞かせている。薬の量を戻しても耐えられなかったらどうしよう、という不安にはとりあえず蓋をしている。

(好きでやっていることのためでさえ)無理をする権利も剥奪されているのかと思うと病気が憎い。やりたいことのために多少無理をするくらい皆やっているのに。なんで私はできないんだという無力感に苛まれる。

鬱の感覚があまりにも久々だったので、気分が沈みながらも戸惑った。胸が引き裂かれるような感じ、身体に力が入らない状態、久しぶりに陥ってみると余計につらいというか、煩わしい。こんなものの中によくいられたな、と我ながら思う。今回は希死念慮は特になく、この状態が長く続くと死にたい気持ちになっていくのかなあ? と俯瞰している。自分のことだが実感がない。

火曜日、昼過ぎまで寝て、ペンネを茹で、トマト缶で煮て食べた。食後にも少し寝て、夕方にはなんとか買い出しに行ったが料理する気力がなく、かといって馴染みの店にも行く気になれず(人と話したくなかった)、マックで済ませる。100均で、切らしていた床用とキッチン用のウェットシートを買った。マスクも切れそうなのでカゴに入れたらなぜかグレーのものを買ってしまって、しばらく顔の下半分が灰色の予定。白よりは顔が小さく見えるだろうか?

酒でも飲もうと思いファミマではちみつバター味のポテチを買った。とてもおいしかったのでまた買う。小さなグラスに薄い男梅サワーを作って飲んだけれど酔うには至らなかった。

自分を大切にするとか自分にやさしくするということがわからない。もっと身体によいものを食べて、お風呂にゆっくり浸かるべきなのだけれど全部後回しにしてしまう。睡眠だけはだらだらと、よくとっている。

 

最近読んだ本。植本一子さんのいちばん新しい日記本『ある日突然、目が覚めて』。彼女の日記の書き方について触れられていてなるほどーと思う。暑くて窮屈でこの世の終わりみたいだった短い夏のことを思い出しながら読んだ。ゲシュタルトセラピー、調べてみると一般的なカウンセリングとほぼ変わらない値段で受けられるようで気になっている。蛭田竜太さん、ミヤギフトシさんとの往復書簡『Three of Us 緊急事態の未読既読』も読了。交換日記を覗き見するみたいでこそばゆい。問いかけたり答えたり、勝手に書いたり、三人のバランスが絶妙でおもしろかった。かなりのナイストリオなのでは。写真集の『わたしたちのかたち』は、たくさんの集合写真があってうらやましくなった。人が集まって楽しい時間を過ごせるということ、コロナ禍でいっそう尊いことであると思うようになった。そこにいない誰かに向けてのエールでもあるように思った。

北村紗衣先生の『批評の教室 チョウのように読み、ハチのように書く』。批評についての読みやすく実践的な本で、大学生のときに読みたかった。最近堀元見さんの「ビジネス書100冊読むライブ」をよく見ていて、堀元さんがツッコミを入れる数多のヘタクソ引用をニヤニヤしながら見守っていたのだけれど、この本はエピグラフがハチャメチャにお洒落、かつしっかりと本文で回収されていて、北村先生の教養ビームにひれ伏すことしかできない。しかもUKロックがやたらと登場するので嬉しい。エラスティカまで出てくるとは(大学時代コピーバンドやったな〜エラスティカ)。そんなことを思っていたら最後にしっかりその点も回収されて、何もかもお見通しか……と完全降伏した。

今読んでいるのは石山蓮華さんの『犬もどき読書日記』。刊行にあわせてのインタビューで興味を持って買って、積んでいた。そのインタビューをTwitterでシェアして、気になる! 読みたい! と言っていたら友人から、この人電線オタクで面白いよと教えてもらった。インスタをフォローしたらフィードが本当に電線まみれで笑ってしまった。子役からの俳優という、あまり一般的ではない職業の石山さんなのだが、本屋が好きで本が好きで、社会と対峙するには少し不器用で、だからこそ本に救われているという、私やいろんな誰かと共通した気持ちを持っている人だということが伝わってきた。短歌も嗜まれるようで、なんだか急に気になる存在になった。

 

鬱なんかに負けないぞ〜と思いつつ、負けながらも生活できていればそれでいいとも思う。負け戦だとわかりながら人生がのんのんと続いていく。

TIFF2021

東京国際映画祭、今年は『もうひとりのトム』『オマージュ』『家族ゲーム』を観た。『牛』もチケットをとっていたのに起きて時計をみたら上映10分前だったので諦めた。残念。

 

『もうひとりのトム』
シングルマザーのエレナと息子のトム。トムはADHDと診断され投薬治療を受けていた。しかしトムが事故で怪我をしたのをきっかけに薬の副作用が気になり始める。エレナは投薬治療を拒否するが、福祉局からネグレクトと捉えられてしまい……という話。
アメリカの児童福祉は非常に発達しているけれど、子どもでもすぐに薬物治療につなげてしまう点や(9歳児にもすぐに睡眠薬が出されるので驚き)、それ以外の選択肢を許容せず、中止すれば虐待扱いという過激な面も持ち合わせている。子どもを守るためとはいえ、受ける治療や家族の形が縛られるのは果たして良いことなんだろうか。多くの人が『フロリダ・プロジェクト』と比較しているし私も思い出した。
ところどころで換気扇、シーリングファン、室外機、エアー看板といった、ファンのついた装置・空気を循環させる装置のインサートが挟まれる。文明的な生活においては、外では勝手に流れている空気をわざわざ装置によって循環させなければならない。クルクルと回転するファンは経済的困窮、障害、差別といった苦しい渦の中でかろうじて息をしているエレナやトムと重なって見え、モーター音は苦悶の唸り声のように聞こえた。クルクルとその場で回転するだけで逃げ場はない。ラストの展開も状況の打開というよりは現実逃避だ。しかし夢のような元夫(トムの父)の家、太陽の光に溢れたプールの情景は美しくて心が洗われるようだった。

 

『オマージュ』
韓国の映画。『パラサイト』で先代家政婦を演じたイ・ジョンウンが主演。売れない映画監督ジワンが、韓国初の女性映画監督の作品を修復するアルバイトをすることになったが、その過程で様々な人と出会い、女性監督の苦悩や差別の歴史が浮かび上がってくる……という話。
シリアスでミステリアスな展開も多いけれどほとんどのシーンは軽妙なユーモアにあふれており、劇場でも笑い声が起こっていた。
ただ、病気で子宮を全摘することになり戸惑う主人公に医師が「まさか出産の予定が?」というシーン、術後の主人公が夫に「ブラザー」と自嘲的に呼びかけるシーンにさえゲラゲラと声をあげて笑っている男の人が多くてぞっとした。
この映画に限らずフェミニズムの視点を持ったコメディ映画、あるいは、コメディチックな演出のある映画を観ているとまったく見当外れなところでおじさんが大笑いしていることが何度もあって、その度に溜息が出る。漏れ出る笑い声は、建前ではごまかせない本音だから……。
ストーリーテリングは淡々としており、もっと壮大な冒険譚のようにしてもよかったのではないかと思ってしまう。『ヒューゴの不思議な発明』みたいな。写真に映る「三羽ガラス」のあともう一人は誰なのか? 検閲されたシーンは「女性の喫煙」以外になかったの? などなど、なんだか聞き足りないような要素もたくさんあるのだ。
それにしても、庭に干したシーツがスクリーンになったり、天井に空いた穴がスポットライトになったり、○○の○○○が○○○○だったり(ネタバレ回避)、日常の中に映画という現象の"オマージュ"が散りばめられているのがドラマチックで良かった。光と影が効果的に用いられていた。

 

家族ゲーム
某ートスクールのMVがこの映画をめちゃくちゃオマージュというかパロディというか、それにしてはそのまますぎるのだけれど元ネタにしているので知り、観てみたいな~と思って数年経っていたら映画祭で上映されるということでチケットをとった。とても面白かった。劇場もずっとクスクスしているようなシュールでブラックな笑い。観に行って本当によかった。
しかも、運良くトークショー付きだった。宮川一朗太が「僕のにきび面が4Kリマスターされてしまって……!」と笑っていてこちらも笑ってしまった。由紀さおり曰く、伊丹十三松田優作は撮影中の昼休みは食べるのも忘れて映画について語り合っていたし、長い休み時間には抜け出して映画を観に行くこともあって、とにかく映画が大好きな二人だったとのこと。伊藤克信は、自身が演じた「テストの点数が悪かった答案を校庭に投げて取りに行かせる教師」は森田監督が子役たちに学校の話をしてもらった中で実際に出てきた先生の話で、面白いから映画で使いましょうということになったと話していた。
松田優作がボソボソしゃべっているとどんどん松田龍平に見えてくる。
そういえば4Kリマスターで映像だけでなく音もよくなっているそうなのだが、それでも英語字幕がなければ何を言っているのか怪しい部分もあるくらいの"つぶやき芝居"なので、録音と整音が本当に大変だっただろうなあと思いを馳せる。
あと、戸川純の登場にびっくり。なんてことのないキャラクターなのだけれど存在感があった、パンツ一丁で布団しいてよーとしつこく言ってくる息子に負けないくらいの……(なんちゅうシーンだよ)
ロケ地が勝どきあたりらしいが、今はもうあの茫漠とした感じはなく、映画では大きく見えた団地が小さく見えるほど高層ビルが立ち並んでいるらしい。あのときしか撮れなかった東京が映っている映画、うらやましくなる。

南瓜虫

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かぼちゃプリンを作った。

かぼちゃをまるごと一個スーパーで買ったのがはじまり。なんと206円。ググった通りにヘタを切り取ってぐるりと包丁を入れて二つに割ってみたら、きゅうりのにおいがした。南瓜、ホントに瓜なのだと初めて思った。割る手間と冷蔵庫の容量の節約のためにカットされたのをみんな買っているのかーと理解した。

まず1/4をかぼちゃプリンにした。牛乳200ml、卵2個、砂糖大さじ3をマッシュしたかぼちゃと混ぜる。一度濾して残ったのをフープロにかけて、もう一度濾す。これでだいぶなめらかになる。

カラメルソースは砂糖4:水3(それぞれ大さじ)を火にかける。少し焦がしめに作ったら美味しかった。

カラメルを底に注いだココットに、プリン液を流し込んでせいろで蒸した。20分くらい。楊枝を差し込んで固まっていたら火を止めてせいろ の中で蒸らしながら粗熱をとる。なぜか真ん中だけつるつるになった。ココットが大きかったのかな?でもこれくらい食べたい。

かぼちゃの味がしっかりしてとても美味しかった。生クリームを使わないので比較的ヘルシーなおやつ。砂糖もプリン液に入れる分はもう少し減らしてもいいだろうな。友達が家に来たら振る舞いたい。

次はシンプルに煮込んでそぼろあんかけで食べた。だいたい1/2弱くらいを使う。醤油とみりんとお砂糖。そぼろを炒めるときにおろし生姜を入れたところ、挽肉のくせがやわらぎ、煮汁にも少し香りが残ってまたよかった。

あとは、スライスしたのを何枚か冷凍しておいて、スープカレーに入れる。残り1/4はまたかぼちゃプリンにする。こんなに毎日いろいろ作れて栄養もとれて便利な野菜だ。次買ったらきんぴらと大学かぼちゃと天ぷらをやってみたい。

 

木曜日病院に行ったら、ビプレッソが徐放錠だから眠くなるのかな?ということで、普通の錠剤になった。その分眠気が早めに来るような気がする。あと量も少し減ったからか気分の起伏が少し戻ったような気もする。でもとりあえず1ヶ月様子を見るくらいはできそうだ。なんともうずっと死にたい気持ちになっていない。お医者さんにも、通い始めのころの疲れて落ち込んでる感じがなくなりましたね!と褒められた。あと、徐放剤じゃないほうはジェネリックがあるので薬が半額くらいになってかなり助かる。これに落ち着けたらよいのだけれど。

 

TOKYO ART BOOK FAIR、リアル会場でやることをつい最近知り、予定を確認し、行けないことを悔やむ。植本一子さんが新しい本を出すんだって! 仕方ないので植本さんのBASEで予約購入しておいた。3冊。日記と写真集と往復書簡。写真集のタイトルが『わたしたちのかたち』で、商品情報のところにこう書いてあって、胸がぎゅっとなった。

この世からいなくなってしまった人へ、その後のわたしたちを知ってほしい。その一心でまとめました。

日記の本はこれまでの続きが読めるようで嬉しいし、往復書簡の本も楽しみだ。短歌ムック『ねむらない樹』にいつも歌人の往復書簡コーナーがあり、いつも面白い。手紙という、私の元を離れるのにも相手に届くまでにも時間が挟まれるかたちで相手に問いかけるときって、かなり丁寧になる。相手の返答に想像を膨らませながら問いかけることができる。会話もLINEも投げたらすぐに返事がもらえるからそこまで頭を使わない。目の前にいないだけで強くなる思いやりの気持ち。君がいないことは君がいることだなあ。

 

東京国際映画祭は、一番観たかったアピチャッポン「MEMORIA」と、台湾映画「テロライザーズ」のチケットが取れなくて悲しかった……。とりあえず他の観たいのはチケットが取れたので1週間くらい色んな映画を観る。

 

そういえば通信講座、ほっときすぎてまだ終わっていない。今月残り6日じゃん!本当にまずいのでしばらく眠れないかも。かといって眠らないと集中力が落ちて、校正実習課題の見落としが増える。身体を労わらないといい仕事ができない。どちらかを犠牲にする生活をやめるきっかけになれば良いのだけれど……。

 

さいごに最近知ったかわいい虫情報。ハナムグリの幼虫は背中で歩けるんだって。白くてムチッとした芋虫が背中でテケテケ歩く動画を見てほっこりした。何故背中で歩けるのかは調べてもよくわからなかった。

 

 

■追記

最近またこのブログのアクセスが多い日があって、どこかでシェアされたのかな?と思いさっきエゴサしたら昨日はてブのアカウントで紹介されていた。(フォロー外の通知を切っていて気づかなかった)

こんなことあるんだ、と思って4いいね、のところを開いたら柴田聡子さんのスタッフアカウントが先頭に……!

寒いのにものすごい汗をかいている。文章がご本人にお目にかかっていたらどうしよう〜!?!?!?はわわ……でも私は本当に、いつか会う日が来てもそのとき恥ずかしくないように生きていきたいと思っています……

いつもの

いつものように本と音楽と映画の話。

 

渡辺佑基『ペンギンが教えてくれた 物理のはなし』

著者はバイオロギング(生きている動物や鳥に装置をくっつけて行動を観察する)を用いてさまざまな動物の行動、たとえば回遊ルートや潜水時間、移動速度などを調査している研究者で、生物の謎を物理の知識を使って解明していくよーという本。科学、究めると生物学・物理学・化学・数学総当たりになって、哲学にさえ触れてくるのが熱い。この本では生き物たちはどうしてこんな姿をしているの?という疑問がずばずばと解き明かされていくし、その生き物のチョイスがペンギン、サメ、クジラ、アザラシ……と私の好きなものばかりでよけいに楽しく読んだ。今後水族館でバイカルアザラシに出会ったらぜひ、「彼らがこんなに太っているのはなぜかというと……」と受け売りのうんちくを披露したい。

 

服部正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』読み始めた。"平価切下げ"が早速わからない状態の私なのでググりながら頑張る。経済にかんして無知すぎる……。支援の顔をした外国人が得をするようにつくられた制度を、同じ外国人であるはずの服部さんが、ルワンダの人たちのために無私の精神でひとつずつ立て直していく。こんなふうに仕事をできる人になりたいと心から思う。

 

SACOYANSの新しいアルバムばかり聴いている。SFって曲、すごくない?「朝が来れば良いことがある」なんて歌詞私だったら一生書けなかったな。朝が来れば良いことがあるなんて、思ったことなかった。本当にそんなことあるの?って、その一節だけで、強い疑い、そんなのは嘘だという反感、それに負けない巨大な希望が宿っていて通勤中にぐすぐす泣いてしまった。本当に天才だな。天才はいつもびっくりすることを言うよな。

 

突然寒くなって体と頭がついていけない。Spotifyで音楽聴いていたら、「いま2001年10月のまんなか/ちょっと肌寒くなってきた季節」なんて歌詞が聞こえてきてびっくりした。良い音楽は20年でも50年でも数世紀でも平気でひとっとび出来るからかっこいい。

 

東京国際映画祭がもうすぐ始まる。チケットも取らないと。気になるまたは絶対観るぞの作品メモ。

アピチャッポン・ウィーラセタクンMEMORIA メモリア』

シン・スウォン 『オマージュ』

ロドリゴ・プラ、ラウラ・サントゥージョ『もうひとりのトム』

ホー・ウィディン『テロライザーズ』←台湾映画だし英題が『恐怖分子』と同じなのでかなり気になるが、よくなかった場合かなりがっかりしそうで怖い。博打だ。

森田芳光家族ゲーム

ジェーン・カンピオンが前述のSFって曲の歌詞に出てきたから、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』も観てみたいような気持ち。

ふつうに抽選販売のことを忘れていてウェス・アンダーソンの新作は逃してしまった。ざんねん。

雑感を聴きながら、雑感

私ってかっこいいかなあ。

かっこいい人になりたいとずっと思う。かっこよくありたい。かっこいい人を追いかけ続けているからそれだけは強く思う。

もう音楽を作り始めて十年くらい経つ。好きな音楽も変わっていないようで変わった。バンドも、安定してできているからこそかもしれないけれど、休んでもいいときがある、と思うようになった。同じくらいかそれより大切なこともできた。

20歳とかそれくらいの頃、30歳も目前になるとバンドやることについて、どうして続けてるんだろうと思うこともあるよ、というようなことを、前いたバンドのメンバーに言われたことがある。もうすぐ27歳になる私は、どうして、とはまだ思わないけれど、やめていく人の気持ちもようやくわかるようになった。若い頃熱中したことより大切なことや面白いことがあるのは別にダサいことじゃないしかっこ悪いことじゃない。というのが実感を持ってわかるようになった。今のバンドメンバーは、俺を馬鹿にしていたサークルの奴らは全員バンドやめた、と誇らしげに言っている。そういう人たちは今君を見ても「まだバンドやってんの」と馬鹿にするよ多分ね。お互いに心ないと思う。でも私もきっと時間が経たないとわからなかったことで、わかりあえない奴らの溝に私はちょうど挟まっている。

 

きのうジブリアニメ「耳をすませば」を初めて観た。いわゆる聖地に住んでいるのに観たことがなかった。さすがに見たことのある場所がたくさん出てきて面白かった。好きなことに向き合って自分を試すこと、それを回避して、それでもいまいち諦めきれず27歳になって、ちょうどこの街に住んで今更映画を観ているのが可笑しくなった。

 

柴田聡子さんの新曲が本当によくって涙は出ないけど心が泣いている。私は音楽も短歌も仕事も生活も全部がんばりたいと思った。力が抜けながらもめぐってみなぎっている。

雑感、大手町三井ホールでのライブの最後にやった曲で、しみじみとかっこいい曲だった。「あなたなんかにはきっと一生わかるはずない夢です」「私には私しかわからないことがあるんです」という歌詞がやたらと頭に残っていて、なんだかそういうことをずっと思いながらずっと言えないでいた私だなと思っていた。通して聞いてみてもやっぱり歌詞が好きだ。車やバイクに乗れるようになったら私はもっとかっこいい気がする。

他人の曲なのに自分のことばかり考えてしまった。私も聞いた人があ、ここって自分に似てるな思えるような歌詞をかけていたらいいなと思う。書けるようになりたいのではなくて、そうであってほしいなという希望。共感してほしいけどしてほしくない、ほどよく重ねて考えてくれるようなものだったらなんだか嬉しい。友人から、私の短歌を見て「部屋とか自分の殻とかに引きこもっている感じがする」と言われたことがある。そこまでしか言われなかったけど多分私は、引きこもった上で外の様子ばかり窺っているからださいんだよなあと思う。

以前自分の書いた歌詞が、友達の体験した印象的な出来事と偶然シンクロしていたことがあった。ということが発覚したのもほんとうに偶然だったし、実はこういうことって私の観測範囲外でけっこう起こっているのかもしれない。みたことない奇跡を信じているのって宗教みたいだけど、逆に宗教って簡単に信じられるんだなーとほっとする。わかりあいたいと思ったっていいじゃんね。