my lips are sealed

tamavskyのB面

Let's get physical / Vamos a lo físico

最近スペイン語を勉強している。

実は完全な初心者ではなく、大学の第二外国語で履修していた。でも今はもうほとんどの単語を忘れてしまっていて、単語帳、参考書、ドリル、ミニ辞書を買って一から学び直している。メンタルヘルス的によくない余計なことを考える暇があったら勉強しようという気持ちで一式揃えた。どうせいつもの衝動的な行動だし、気分転換でしかない。でも好きなメキシコのバンドの歌詞が少しわかってきたのは楽しいし、オモコロチャンネルで2年前くらいに上がっていた、スペイン語のレシピを意味がわからないなりに想像で作ってみる回もだいぶ理解できるようになっていて嬉しかった。食べ物の単語ばかり覚えてしまうから……。

同音異義語を見つけると「ややこしい」より「ラッキー!」が勝つ。一つの単語で2つも意味を覚えられるのはお得な気がする。たとえば、estaciónには「駅」という意味もあるし「季節」という意味もある。駅と季節が同じって、なんだか詩的でいいなと思う。今はまだ春の駅を出てまもない頃だろうか。

 

駅までの道の途中で川を渡るのだが、中洲や土手に生える草が緑色になってきた。家から見える丘の上の公園も、ここ数週間で一気に芝生が青くなった。もう少し暖かくなったら、お弁当でも持ってピクニックしたいな。

 

先日仕事で京都へ行った。ちょうど桜が満開のころで、天気もよく、歩いているだけでとても気持ちよかった。

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今の仕事の内容にそこまで不満はないし、かなり自由にやらせてもらっていると思うが、オフィスや家でPCと睨めっこしている間に気持ちの良い季節が去っていくのが悲しい。太陽の暖かさを感じたり鳥の声を聞いたり、川の流れる音や土の匂いを感じたり、飛んでいる虫の種類が変わっていくことを発見したり、そういうチャンスを逃し続けて何年も経っていくのは、生き物としての感覚が鈍っていく気がして嫌だ。これが続くとごはんも美味しくなくなる気がする。野性を取り戻していきたい。

Talk

来週の月曜日、なぜか伊勢に行くことになったので仕事を休みにした。そのタイミングで忙しくなってしまい、でもやっぱり働きます、が伊勢にいてはできないので、今日は終電まで仕事をし夕飯を買う時間がなかったので途中から低血糖で何が何だかわからなくなっていた。雰囲気でSlackを送りまくっていたと思う。

金曜の退勤はどんなに遅くなっても大丈夫な気持ちだ。それは翌日が休日だからというつまらない理由ではなく、OVER THE SUNを聴きながら帰るという贅沢な時間が確定で待っているからだ。それはビールと同じで、そこに至るまでに耐えたストレスがデカければデカいほど美味い。

TBSラジオpresentsのPodcast番組 オーバー・ザ・サン。パーソナリティのジェーン・スーです。」「堀井美香です。」「毎週金曜夕方5時から配信されるこの番組。皆様今週もよくぞ、よくぞ金曜日まで辿り着きました! 毎回おおよそ30分、わたくしジェーン・スー堀井美香さんが語らい、皆様からのメールを読み、太陽の向こう側をオーバー!と目指していく」

そんなトークプログラムとなっております。

前口上(?)を覚えている。というか、リスナーは本当に全員だいたい空で言えるくらいなんじゃないか。物忘霊(ものわすれい=オーバーザサン用語。おばさんの物忘れは物を忘れさせる霊の力であり、加齢による記憶力の低下ではない)に憑かれていなければ。いま実際に聴いて確認したら惜しくて「皆様から届いたメールを」だった。それ以外はミスなし! そんなことは気にならない、だって毎回おおよそ30分といいながら1時間を切っているほうが珍しいくらいにいい加減なPodcastだ。おばさんは会話のボリュームの見通しを倍間違って生きているんだ。2時間で出ようと思ったカフェに4時間いられる。

あるときOVER THE SUNをパートナーに聞かせたら「会話がおばさんすぎる」という理由で爆笑していた。話している二人がおばさんなのだから当たり前だ。おばさん同士の会話は、いつも全体的に妙に実感がこもっているのが特徴だと思う。だからエモい。とはいえ、作家でラジオパーソナリティであるスーさんと、アナウンサーでナレーターの美香さんの組み合わせなので、やっぱり話すのがうまいなあと思う。本当に聴いていて緩急が心地よい。おばさん同士の会話のダイナミズム。

そういえば昨日、おばさんではなく、おばあさん同士の会話を聞く機会があった。昨日は在宅勤務をしたのだが、気分転換に午後から高尾山口のカフェで仕事をしたのだ。仕事を早めに終わらせられたので、駅前の温泉施設に行った。サウナ水風呂外気浴を2周して完全に整いの境地に至り、最後に露天風呂で体を温めていたところ、近くにいた老婆3人組の会話をしばらく聞くことになったのだ。

とはいえ露天風呂なので、風が吹けば声は四方に散ってしまう。彼女たちの声は途切れ途切れにしか聞こえない。北朝鮮のラジオを聴く気持ちで、盗み聞きがバレないかヒヤヒヤしつつ耳をすませる私。耳をすませば、「排除」が聞こえる。

排除?

「排除してるんですってね。」

えっなんだ、すごい、修羅場か? また耳をすませる。急に風向きが変わってハッキリと聞こえた、「自民党は本当にね、自分の私腹を肥やすことしか考えてないの」。どうやら老婆たちは政治を批判する世間話をしているようだった。でも「排除」の意味や文脈は結局わからなかった。セクシャルマイノリティとかの話かな? 自民党が排除しているものがたぶんけっこう多くてわからない。しかし、高尾山の露天風呂で「排除」という言葉を突然聞かされる日が人生にあるとは思わなくて、やたらと耳に焼き付いている。おばあさんの声で「排除」。ちなみにおばあさんの声で「自民党は……」の実感のこもり方にはかなりヤバいものがあった。

 

自分の気分にあった音楽が思い浮かばないときや、音楽だと眠ってしまいそうなときはPodcastを聴いている。Podcastを聴きながら寝てしまうことも実際はかなりあるのだが。

基本的に更新されたらすぐに聴くのが、ゆる言語学ラジオとOVER THE SUN、となりの雑談。

ゆるコンピュータ科学ラジオ、すごい進化ラジオは少し貯めてから聴いている。なんとなく。

気になるテーマからつまみ食いを続けているのコテンラジオ、ノウカノタネ、聴くCINRAあたり。

ゆる学徒ハウス発のはなかなか追えていないけれど、ゆる音楽学ラジオは特に面白くてこないだ最新回まで一気に聴いてしまった。やっぱり自分は音楽の話って好きなんだ、と思った。二人ともお茶目すぎて脱線が生き生きしているのがいい。そのあとにクラシック音楽を聴くのも楽しい。

 

この日記も大幅に脱線したがとにかくOVER THE SUNはおもしろい。かけがえのないおもしろさがある。私も友人たちと無駄に実感のこもった楽しい話をし続けたい。話した内容を忘れて何度でも同じ話をして何度でも笑おう。

 

Twitterデトックスをしている話

私はTwitterを中3の冬に始めて、実に13年間も入り浸っていることになる。その間一度もやめようと思わなかったわけではなくて、例えば高校生のときは受験勉強に集中するためにアプリを一時的に消してみたり、不眠がひどい時に寝る前に眺めてしまうのをやめようとしてDock(基本的にLINE、SpotifySafariTwitterの順で並べている)から外してみたりはしたことがあった。

でもそれは一時的なもの。本当にやめたいならアカウントを消すのが一番だ。自分でもわかっているけれど私にはそれができない。13年分の自分の記録が無かったことになってしまうような気がするし、他にオープンなアカウントのSNSをやっていないので、そこでしかつながれない人が大勢いる。

今回もやはりアカウントを削除する勇気はなくて、アプリを消す勇気もなくて、「ホーム画面から取り除く」を選んだ。という訳でデジタルデトックス、というよりTwitterデトックス中である。

 

Twitterを眺めているのが辛い、という理由に他ならない。

例えば、昆虫食とりわけコオロギ食について、陰謀論やデマが広まり、挙句"バカにしてよいもの"的な風潮が広まり、「奨学金減免の条件に出産って何食べたらこんなこと考えつくの?コオロギ?」「牛乳が廃棄されていて勿体無い。みんな牛乳を飲もう。コオロギ食べてる場合じゃない」といった、前半まではその通りだなーと共感できるのに最後になぜか昆虫食をバカにしていく投稿が多数見られるようになった。

ツイートの趣旨としては社会の歪みに声を上げるもののため、あまり昆虫食に関心がない人が、なんか世間で批判されてるから言っておけみたいな気持ちで書くんだろうし、そして昆虫食文化のある地域のことや、(莫大な補助金などなくても)昆虫食に魅力と可能性を感じて一生懸命働いているメーカーさんや研究者のことを知らないのだろう。知らない人が拒否感を示すことははまだ理解ができるのだけれど、昆虫食への興味を公言している自分と親しい人がそういうツイートを平気でRTしているのが一番辛かった。

そのうちデフォルト表示が「おすすめ」タブという、低俗で差別的で攻撃的で吐き気のするような投稿ばかり流れてくるものになり、 Twitterはもはや、ただ脳に異常なストレスを無制限に与え続けるSNSになってしまった。これが最近の双極性障害の症状の悪化と重なり精神衛生上有害、と判断したのでアプリをホーム画面から削除した。

PCはログインしたままにしているので、特に親しい友人だけをフォローした鍵付きのプライベートアカウントだけ眺めている。だいぶ気持ちが楽だ。

 

それでも自分にとって何か思ったことを書き留めておく場所は必要なようで、長い間書けないでいたブログに回帰しようと思う。DockのTwitterがあった場所には現在はてなブログのアプリが置いてある。

尾道のZINEできました

今年も無事、本を作ることができた。

先日、文学フリマ福岡に行ってきた。いつも通り「詩合」の本を売るため。詩合詩集は完売したとのことなので、今後はこうやってみんなで地方の文学フリマに行くことも無くなっちゃうのかなぁと寂しい気持ちもある。

 

そこで初出しだった私の今年の新刊は、『Stranger in Paradise』と題した日記と写真のZINE。

 

七森環 Stranger in Pradise 書影

表紙がトレーシングペーパー。モヤのかかったような記憶、細かな雪と冬の柔らかい光、私がこの本を作る間も包まれていたなぞのぼんやり感をイメージしている。そのまま陳列すると表紙が浮いて文字が読めないのでめくった状態で陳列するしかなく、もし今後どこかに置いてもらうなら少し工夫をしなければならないなぁと思う。

内容はこの記事で書いていた通り、尾道滞在日記。

juno.hatenadiary.jp

休業中で行けなかったお店も多くガイドブックのような華やかな情報量はないけれど、街の何気ない風景や猫たち、訪れた一つ一つのお店の良さがじんわり伝わるような一冊になっていれば嬉しい。

 

今回、印刷と製本を「羽車」さんにお願いした。
ミシン糸とじの糸のカラーが選べて、紙の種類も豊富で、それを決めるところから楽しかった。納期の相談にも丁寧に乗っていただき、無事文学フリマに間に合わせることができた。本当にありがとうございました。
原価も思いの外おさえられたのでフルカラーで800円という、手に取りやすい価格にできたつもり。

 

そういえば、文学フリマといえば。去年秋の文学フリマに行った際、友達がお手伝いをしていたブースでストリップに関するエッセイをなんとなく買ってみたのだが、先日、キノコヤで本当に偶然にその著者のイワイさんに会った。キノコヤでは「実は繋がりありました〜」みたいなことが多々発生するから面白い。

 

11月の文学フリマ東京には、初めて個人として出展予定。
友人知人の本を委託販売したりもする。詳しく決まり次第Twitterで告知するので、よろしくお願いします。

蚕の夏

今年の夏は蚕を生まれてから死ぬまで飼った。

もともと蚕の飼育に興味があったのだが、ある日偶然Twitterで立川経済新聞(というローカルニュースサイト)の記事を目にした。くにたち農園の会というNPOが「お蚕フレンズプロジェクト」という催しをやっているという。

記事を見てみると、お蚕さまの受け渡しと説明会が行われるのは谷保にある古民家。谷保は自宅からアクセスが良いので、これはいい機会だと思い申し込んだ。

そういえば、かつて八王子は養蚕がとても盛んで「桑都」とも呼ばれるほどだったらしい。現在東京都内で唯一の養蚕農家も八王子にある。国立や日野のあたりも養蚕のための桑畑がたくさんあって、その名残で今もそのへんに生えているらしい。

 

7月2日、いよいよ「掃き立て」(孵化した蚕を掃き集めて、新しい飼育場所に移すこと)。料金を支払うと手渡されたのは、マヨネーズやケチャップなんかを入れるようなプラスチックのカップ。中には糸屑のような1令幼虫と、さらさら鳴る卵の殻、人工飼料の切れ端が入っている。私は10頭(蚕は家畜なので「頭」と数える)を希望したのだが、まだ孵っていない卵も観察用に分けてもらったので、カップの中の蚕は全部で12頭になった。

初日

成長するにつれ、体の色が変わってくる

数日経って、最初の脱皮。

蚕は基本的に一日中、ごはんを食べるかうんちをするかのどちらかなのだが、脱皮する前の丸一日ほどはじっとして動かない。この状態を「眠(みん)」という。

そして脱皮を終えると、またすごい勢いでごはんを食べ始める。

1週間経過。体の前半分が白っぽくなってきた

飼育に虫かごや水槽のような大掛かりなものは必要なく、適当な紙箱でよい。蚕はえさが目の前にあれば逃げることはないので、蓋もしなくてよい。

 

身体が大きくなるにつれフンのサイズも大きくなってくる。フンといっても桑が原料の餌しか食べていないので、嫌なにおいはしない。

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だんだんと体が白っぽく、もちもちとしてくる。毎日本当によく食べる。あまりの食べっぷり、見ていると満足してしまってこちらの食欲が無くなったりもした。


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芋虫たちは脱皮を繰り返してどんどん大きくなり、

 

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これが「眠」

ついに5令幼虫になった。約6〜8cm。
背中に模様がある。模様は品種によって違うらしい。


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これくらい大きくなると指でつまむことも簡単なので、ふれあいを楽しめる。
蚕の皮膚はひんやりと薄く、さらさら、すべすべしている。背中をよく見ると体液の流れのようなものが透けている。これは背脈管といって昆虫にとっての心臓のようなものだ。呼吸は、体の側面の気門からしているらしい。

5令幼虫がとにかくかわいい。もちもちとした体でのそのそ歩き回り、ごはんを食べまくり、うんちをしまくる。たまごっちみたいだ。

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腹脚は吸盤のようで、多少無理な体勢になってもしっかりと私の皮膚をつかむ。

 

5令幼虫は本当によく食べる。なんと、一生の食事の9割の量を5令幼虫のうちに食べるらしい。

それが、突然餌に見向きもしなくなり、上半身をきょろきょろさせ始める。これが上蔟(じょうぞく)、蚕を蔟(まぶし)にあげる合図。

蔟とは蚕が繭を作る専用の場所。マス目のある箱、藁を編んだもの、箒状、などなど色々な形があるらしい。

私はトイレットペーパーの芯を半分に切り、それを両面テープで組み合わせて"お蚕マンション"を作った。

蚕は上へ向かう習性があるので、上の部屋から埋まっていく。タワマンのようだ。

筒から出てうろうろしている子も根気よく小部屋に入れてやると、そのうち作り出す。

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これはあまりにも上から埋まるので、最上階を増築しはじめたところ。
蚕が何頭も上るとそこそこ重みがあるので、乾電池を重しにしていた。

繭を作る頃になると、蚕は柔らかいうんちをするようになり、体が縮んでくる。
縮んだ体を飼育箱から芯の小部屋に誘導するとき、腹脚の最後の一つがなかなか離れなくて、最後の握手をしているみたいで寂しくなった。

 

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細い糸を吐き続けて、ふと気づくと体を支えられるだけの網ができている。そしてたった一晩で繭がほぼ出来上がる。

まだ透けている繭を眺めていると、内側から上手に糸を吐いて壁を作っているのが見える。繭になってからはもう、中のことはわからない。

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ちなみに、病気になってしまい繭を作ることができなかった子もいた。体の一部が黒ずんで、ごはんを食べなくなった。糸を吐いていたので一応小部屋に入れてみたが、繭を作る力は残されていなかった。黒ずみが全身を覆うころには動かなくなった。

 

絹糸を採取するには、ここで繭を茹でるそう。中の蛹はもちろん死んでしまう。
私は愛玩昆虫として羽化させることにしたので、そのまま置いておく。

右が毛羽とりをした繭

繭になってちょうど2週間ほどで、羽化した蚕が出てくる。

出てきていない繭は端っこを少し切り取って開けてみた。

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蛹はこんな感じ。固くて動かないイメージがあるが、実際は少しつつくと「うにょ」と動く。

 

繭になって2週間ほどで羽化する。

ふかふか


オスとメスがいればすぐにカップルが成立する。お腹が大きい方がメスだ。

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交尾をすると自分で離れられないので、人間の手で外してやらないといけない。これを「割愛」というらしい。本当にそう言うらしい。

 

なかなか羽化しない繭が心配になり、一部を切り取って開けてみたらかわいい顔が出てきた。こんにちは。

Hello World

蛹から出たものの繭が固くてなかなか出てこられず、中で転がってしまい、羽が縮れたまま乾いてしまったらしい。
でも蚕は成虫になっても飛べないので問題ない。お腹が大きすぎるから。

茶色いのは蛾尿。羽化したあとや交尾後のメスは水分をぴゅーっと排出する。なぜか赤橙色をしている。

 

 

そもそもうまく蛹になれなかった子もいた。繭を開けると、幼虫と蛹の真ん中のような姿で黒くなって死んでいた。

 

交尾したメスはたくさんの卵を産む。200〜300個と言われているらしいが、数えてはいない。

キッチンペーパーの模様に沿って産み付けていた。この卵はひとまず、冷蔵保存中。

オスはメスのフェロモンに反応して大暴れしてしまうので、飼育箱を分けておく。

成虫はごはんを食べず、排泄もしない。毎日観察はするけれど特にお世話することもないので、一気に手がかからなくなり拍子抜けする。

そして2週間ほど経つとオスが3頭立て続けに動かなくなった。ついにお別れが始まった。今年の夏の様々の場面が走馬灯のように思い出される。

いもむしの頃は「こんなに可愛らしい生き物が死んでしまうのは相当悲しいだろうな」と漠然と思っていたが、繭になれなかった子、繭の中で死んでしまった子などを見てきて、成虫の姿になれただけでも奇跡だし、尊い存在なのだとわかった。いつの間にか、彼らが順番に天に召されていくのはとても自然なことのように感じられた。

 

オスとメスがそれぞれ最後の1頭になった日、家にある造花やドライフラワーに登らせて写真を撮った。蚕は桑しか食べないし、飛ぶことができないので、お花とは縁がない。でも、もふもふ・ふかふかの体は妖精のようでお花によく似合う。まるで遺影みたいだなぁと思った。翌日にはメスがまさに虫の息となっており、撮っておいてよかったと思った。

 

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9月2日、我が家に来てちょうど2ヶ月になる日に、最後のオスが生涯を閉じた。これでこの夏の蚕の飼育は終了した。

 

 

次の夏に蚕を飼ってみたいと思う方へ

・蚕を飼っている間は当たり前だが殺虫剤が使えないので注意。蚊取り線香もNG。小蝿はお酢や醤油に洗剤を溶かしたトラップ、ゴキブリは台所用洗剤をかけて駆除すると良いです。

・蚕が小さいうちは高温の方がよいが、大きくなるとフンが増えるので高温多湿だと病気が発生しやすいとのこと。もし病気のお蚕がいたらすぐ隔離する。

・我が家はウパを飼っており水温が上がらないように常に冷房がついているので、生き物の飼育にはとても都合の良い環境。蚕の飼育は適温が27度程度で、34度を超えると死んでしまう確率が高まるそうなので、節電志向のおうちは注意。

・とてもかわいい。毎日大きくなるので毎日感動がある。ぜひ飼ってみて。

ヤギはどこへ

最近また体調が不安定なので今日は久しぶりに湯船に浸かる。浸かりながら書く。

 

柴田聡子さんのニューアルバム『ぼちぼち銀河』、予想をしっかり飛び越えてくる傑作だった。これまで以上に歌詞とメロディとリズムのあわいの妙が光っている。「ジャケット」2番Aメロの手拍子、へんなリズムなのにすっかり叩けるようになった(歌詞のアクセントの気持ち良いところで叩くとしっくりくるのだ)。「旅行」を聴きながらみんなは誰と誰を思い浮かべるか聞いてみたい。柴田さんとそのお友達、自分とそのお友達、鈴木さんと佐伯さん、いろいろあると思うけど私はなんだかAマッソの加納さん村上さんが浮かんだりする。「恐くなったらくっついて名前呼び合おう」とかね。既視感がある。

「ぼちぼち銀河」はKIRINJI「エイリアンズ」を引き合いにだしたくなるな。後者は地球上のありふれた風景を詩情たっぶりに描写し、そこにいて愛し合うおそらく人間ふたりを「僕らはエイリアンズ」というのだけれど、「ぼちぼち銀河」の背景は壮大なSFセットだ。そして切ない別れの詩だよねこれは。心の距離だけじゃなくて年月の距離もあるみたい。さみしい星か、それにひっついた微生物が歌ってるみたい。「ゴールデンレコード」が歌詞に出てくるから宇宙をひとりどこまで進んでいくボイジャーが念頭にあるのはもちろん、月の裏側に放置されてしまった探査機のこととか、そういう宇宙レベルの孤独の歌なんだけど、宇宙レベルだからこそ「ぼちぼち行こうかねーっ」くらいが妥当な心持ちなのかもしれない。Space Oddityでも、宇宙にひとりぼっちになったトム少佐は "Planet Earth is blue and there's nothing I can do"って言うだけ……。

 

5月29日は文学フリマだったけれど行けなかった。というのも友達が同日の東京競馬場のチケットを手に入れてくれたのだ。そう、ダービーの日に!

友達は当日体調が優れず結局私一人で行ったのだけれど、やっぱり生で見るお馬は格別。かっこよかった。私が肩車できるくらい小さい頃、父親に連れられて中山競馬場へ行ったことがあるのだけれど、その頃の記憶が蘇った。あのみんなの声援が飛び交う瞬間、熱気に溢れた競馬場、楽しいな。若い人も随分たくさんいた。

パドックもしっかり見られたおかげで馬券を買ったレースは全て何かしらが的中。合計4800円が19010円になって返ってきた。おしりがプリッとして毛並みがツヤツヤの馬はやっぱり強い。

というわけで収支は大幅プラスで大満足なわけだけれど、文フリで買いたかった本もたくさんあった……。どんどん活気が戻ってきている気がするので、秋は必ず出店したい。本を作りたい!作らなければ!

いつかは共同制作もしてみたいので、私のことが気になっていて本を作りたい人は、声をかけてください。

 

5/29は友達の誕生日でもあるんだけど今年まだプレゼントを送っていない。頭を悩ませ中。

 

そういえばgoatというブログサービスが今日で終了する。縦書きにできるブログサービスがほかになかなかないので短歌の置き場所に重宝していたのだけれど、どうしたものか。ひとまずデータのエクスポートは済んだが、今後どうするかは全くの未定。

プリンまゆげ

更新してなかった間に起きたこと。

 

3/12・13

楽器を買った。ウクレレに続き、電子ピアノを。毎日弾くわけではないけれどときどき思い出したように触る。ピアノを習っていたのはもう10年以上前だけれど、発表会で弾いたような曲はたどたどしくも楽譜をなぞることができた。エリーゼのために、花の歌、子犬のワルツ。たとえば記憶を無くしても弾けるのかもしれない(ピアノマン、懐かしいな……どうなったんだろう)。思ったより下手になっている気がするが、専用の椅子を買わなかったので立って弾いているのがよくないのかもしれない。楽譜を実家から持ってきて、ブルグミュラーの「乗馬」が弾けるようになった。

記憶といえば、『海馬を求めて潜水を』を読み始めた。記憶の糸を紡ぐような、とでも言おうか、想像力をかきたてる美文が満載なので、酒に酔った状態だったり、眠気でぼんやりしている時に読むのに最適だ。思考がニューロンをたどって旅に出てしまう。頭に入っているかどうかはよくわからないのだけれど心地よい。

 

下北沢でやっていたPodcast Weekendに行ってゆる言語学ラジオの人気に震えたり、月日で『あさみボンゴレ』を買ったり、reloadでの植本一子さんの写真展に行って、写真集にサインをいただいたりした。あの日はいい日だった。上着がいらないほどあたたかくて、卒業式後らしい袴姿の女の子たちが写真を撮る場所を探していたので、撮りましょうか?と声をかけたらとても喜んでかわいいポーズをとっていた。

 

4/3

ハク亜キッズのスタジオ予定を立てる時に、この日は夜ライブいくから楽器はレンタルしたいなー、と私も小出も言った日があって、聞いてみたらやっぱり同じ、家主のライブだった。なんかいい意味でふつうで、いつまでもあれくらいの温度感でバンドをやっていたいと思った。小出とお連れ合いさまとその友達と私で居酒屋に行った。居酒屋が久しぶりで必要以上にわくわくした。嬉しかった。

 

3/26

友達たちがうちへ遊びにきた。4人。

みんなでお惣菜やお菓子を持ち寄って食べた。友達が持ってきたちいかわカルタで遊んだ。「ル」がチートすぎて笑ってしまった。

うちにあるニャーメンズで遊んだ。ルール説明が面倒なのでまずオモコロチャンネルのニャーメンズ回を見てもらった。3回目のプレイでぎりぎりのところで修理が失敗し、いや、アサシンはいない!ウチらはきっと全員ニャーメンズ!という機運が高まり、全員で場の真ん中を指し、役割のカードをめくるとみんなニャーメンズであった。あまりの感動。自然に口をついて出た言葉は他でもない、「We are……ニャーメンズ!」


4/14
通院。病院が府中から吉祥寺へ変わった。といっても自分の主治医が分院に異動?になっただけ。季節の変わり目に加えて仕事も忙しくなって少し不安定だったのでそれを伝えたら、通院を2ヶ月に1回にしましょうの話が一旦振り出しに戻った。バイト頑張ってたから業務委託にしてくれて〜と主治医に話したら一緒に喜んでくれたし褒めてくれた。ありがたい。(この約1週間後に物凄い鬱が来た)

 

4/16

柴田聡子inFIREめあてで、CRAFT ROCK FESへ行った。会場が立川で、家から近くてとても楽だった。Instagramを見ていたら高校の同級生のKくんも来ていることがわかったが、彼が誰かと一緒だったらすまないなぁという気分と、なんとなく自分も一人でいたい気分があり、わたしもいるよ〜、何見るの〜、くらいのメッセージのやりとりに終始した。

柴田聡子inFIREはやっぱりサイコーで、こんな晴れた日にビールで酔っ払って聴けるなんて……と幸せいっぱい、「旅行」を聴きながら少し泣く。アルバムもツアー(つっても東京しかチケット取っていないけれど)も楽しみだ。私たちはそんなことだけで生きていけるのだ。

 

4/17

美容室へ行って、伸びた根元までまたブリーチをした。前髪を思い切って短くしてみた。担当の美容師さんが前髪を短くしていてそれが可愛かったのでなんとなく頼んでみたのだが、意外と似合っている気がする。職場でも何人かが褒めてくれた。多分眉毛を脱色したのも良かったんだと思う。普通眉毛の脱色って、体毛用の脱色剤を使うらしい。私は普通に毛髪用のブリーチ剤を眉毛に……塗っていた……。10分くらいで完璧に眉毛が金色になった。眉毛が金色だと何も生えていないみたいで、ノーメイクの顔の人相が変わった。鏡の中に知らなかった自分の顔がある。まだ慣れない。

眉毛がプリンになっている状態を早く見てみたい。見たことのないものが見たい。