my lips are sealed

tamavskyのB面

脳のすみっこ

たまに思い出すことたち

 

1. 新宿の日高屋のおじさん

大学1年生のときに初めてライブハウスでライブをしたが、コピバンだらけのしょうもないイベントだったのでメンバーも来てくれたサークルの友達も途中で興味をなくし、抜けて日高屋にごはんを食べに行った。お会計をして店を出る時、レジ近くのテーブルでおじさんがごはんを食べながらスマホでめちゃめちゃグラビアアイドルの写真を見ていた。

「あのおじさん、食欲と性欲を同時に満たしてたな……」

と19歳たちは苦笑して店を後にした。

あのおじさんを笑った私たちにもそろそろ、おじさんの気持ちがわかる、または、わかるかも、という瞬間が訪れているのではないか。

 

2. 早く大人になりたかった頃

ずっと早く成長したかった。7歳の頃は10歳が、10歳の頃は14歳が、14歳の頃は18歳が、18歳の頃には24歳がかっこよく見えた。

26歳になったが特に何も思わなくなった。

学校の体育の時間とか、宿題とか、友達がいない時期の休み時間とか、吹奏楽部とかが全部嫌いだった。成長すればそこから逃れられると思っていたし実際そうだった。

今はもう歳をとっても何からも逃げられないから、憧れる意味を失ったのかもしれない。

 

3. O先輩

高校の頃憧れていた先輩。1学年上で、抜群に頭が良くて、ギターもピアノもとんでもなく上手かった。皮肉屋なところがあってSNSの投稿が面白かった。失礼ながらみんなの人気者キャラとかではなかったが、そこがよかった。進学先は早稲田の政経学部だった。

最後に会ったのは先輩が大学に入ってまもない頃だったと思う。先輩の通学経路の途中に私の実家の最寄駅があったのでそこで降りてくれて、筋肉少女帯のアルバムを貸してくれた。『エリーゼのために』。

書いていて思い出したが多分赤本をくれたのだ。社会学部だか商学部だかの。CDはそのついでだ。(CDだけ借りるのに会うような感じでもなかったからそりゃそうだ。納得。)

お礼を言ってすぐ帰るつもりだったが、先輩は「いや、ちょっと話していこうよ」「久しぶりに話ができる人に会ったから」と言ったので、ホームのベンチで少し話してから先輩は電車に乗って帰った、と思う。あまり記憶がない。話した内容も覚えていない。

憧れの先輩が私を「話ができる人」「話したい人」と認識してくれていたのにびっくりしたし、本当に幸せな気持ちになって、舞い上がってしまった。

同時に、ああこの人は、どこへ行っても周りと上手くやっていくことが難しいんだ、孤高の人だな、でもちょっと寂しいのかもしれないなとも思った。

それを最後に先輩とは会っていない。

もしかしてこれ先輩では?というアカウントがTwitter上で人気を博していた時期もあったがそのアカウントも今はもうない。

エリーゼのために』、今も自宅の棚に並んでいる。もしまた会えるなら返したいけれど、先輩のことを思い出すアイテムが部屋から無くなるのは寂しい気がする。