my lips are sealed

tamavskyのB面

宅録曲のリリース

 

もう数ヵ月、ライブどころかバンドのスタジオ練習さえもしていない。
そんな中ですが宅録で曲を作り、各種サブスクリプションサービスで配信リリースしたのでお知らせ。

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配信リンクはこちら

夏への扉

https://linkco.re/DfNvQ58C


ごめんね(feat.midori)

https://linkco.re/c6g32mZD

 

Spotifyはやや反映が遅いようです

 

歌詞

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以下、セルフライナーノーツと謝辞。

 

・ジャケットについて

自分で書いたイラスト。最初は全く別の絵を描いていたんだけど、なんとなく合わない気がして描きなおした。モノクロのほうがしっくり来たので、無地のノートに描いた絵を線画抽出したまんま。

 

・T-1 夏への扉

コンセプトは「架空アイドル」

虚構と事実、夢と現実、二次元と三次元、自己と他者、そういった境界が曖昧であることの居心地の良さと宙づりの恐怖、のようなものをぼんやりとテーマに据えておりそういった相反する概念と、自分の声の鬱陶しい幼さが組み合わさってこれは……架空のアイドルの曲! という設定になった。

歌詞はほぼ全て短歌のリズムで構成されている。

私は短歌を詠んでいる人間でもあるので、何か他の好きな表現と短歌を組み合わせてみたいなという気持ちが前々からあった。
また、短歌を詠むとき、自分の中では無意識に曲に歌詞をつけるようなイメージで詠むことも多かった。それならば逆に短歌を歌詞にメロディを書けないだろうかという試み。

全編にわたってメロディをつけることは難しく、またカップリング曲のほうが先に原型が出来ていたので若干寄せて、半分くらいはポエトリーリーディングになっている。

歌詞は短歌といってもそれぞれが完全に独立した短歌ではない。メロディを付けたときにキャッチーになりやすいよう、敢えて露骨に韻を踏むなどしている。
以前短歌日記に掲載したものも少し使った。もっと読みたい方はこちら(たまに更新する短歌日記)

 

・T-2 ごめんね(feat.翠)

魅力的なボーカリストをフィーチャリングしたい! という気持ちですごい速さで作った曲。
この曲は「架空アイドル」路線に対して「実在ミュージシャン」感のある(というか実在はしているのだが)生々しい手触りになったと思う。

ゲストボーカルは翠ちゃん。吐息混じりの声がよき。自分の曲を好きな声や歌い方の人に歌ってもらうのって気分が良すぎて、最初に音源を送ってもらったときはしばらく頭が痺れた。本当に、本当にありがとう!

そういえば最近、翠ちゃんがモデル・女優の夏海さんを撮影した写真集が発売したそう。多才~!
勝手に宣伝しておきます。

さらに彼女が所属するKensei Ogata Bandを率いる緒方さんが、ボーカル音源の調整も行ってくださいました。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました……!

 

***

 

特に環境を整えていない状態での宅録は正直かなり面倒だし思うように作業が進まない期間が長かったけれど、1カ月余りの時間をかけてようやく出来上がった。

気軽に作って気軽に配信して気軽に聴いてもらう、というのが理想のイメージなので、お好きな配信サービスで思い立ったときに聴いてもらえたらうれしい。お勧めの時間帯は深夜(多分)。

また、一緒に曲を作りたい人、自分の曲を歌ってほしい人がまだまだたくさんいるので、もしかしたら声をかけるかもしれません。あなたかもしれない。

映画館においでよ 来ないならこっちにも考えがある

映画館が閉まっている。

 

映画館が閉まっている!!!!

 

ちょっと待ってくれ! 3月~4月公開で楽しみにしていた新作映画はどうなるんだ! 映画ファンはパニックである。

私は去年あたりから急に劇場で映画をたくさん観るようになった。Amazon Primeに入っているので家で観ることもあるが、やはり画質が気になるし、普段から注意散漫なので視覚的にも聴覚的にも映画に没入したく、できるだけ映画館で観るようにしている。

しかしその映画館も、換気はしっかりとされているものの人が集まる空間には間違いなく、(客観的には)不要不急の娯楽であることも疑いなく、緊急事態宣言に合わせてほとんど休業してしまった。小規模な映画館は特に一時の休業でも痛手だろう……。

 

サポートしたいのは山々、しかし自分の暮らしで精一杯のフリーターに何ができるのか……そう思っていたときにTwitterでこんな記事を見つけた。

「仕事が減っています。映画館に行くことを推奨できない状況であるため、新作映画をおすすめすることもオフィシャルにはできません」との内情を寄せる映画宣伝の“田中”さんは、どんな形でも「おすすめの映画をひたすら語って欲しいです」と呼びかけている。「Twitterでもいいですし、noteでも、ブログでもいいです。媒体さんにもお願いしたいです。」「とにかくこれをきっかけに映画に興味を持った人たちが、映画を趣味として受け入れやすくなるようなコンテンツがあるといいなと思います。」

【調査】緊急事態宣言で映画業界どうなる ─ 劇場スタッフ、映画配給・宣伝、制作関係者らに訊く | THE RIVER

 

これならできる! とブログを更新することにした次第である。
奇しくも前回の更新が『ミッドサマー』を3回観た話だった。

 

ただ今回は、おすすめ映画以前に「なぜわざわざ映画館で観るのか」「映画館ってこんなところ」ということについて書かせてほしい。

 

本記事は映画館に行く習慣のない方へ向けて書いたので、もちろん映画好き各位は「常識でしょ」と思うであろう情報を多分に含むことをご了承願いたい。

 

あと私は別に何の回し者でもない。
ただ映画を観る人が増えれば、好きな映画館がつぶれないで済むし、好きな映画作る人たちが映画を作り続けられるし、映画について話せる友達が増えるしという自分勝手極まりない理由だ。

というのはまあ半分本気、半分冗談で、映画を観ると視野が広がるし、世界で注目されているテーマがよくわかる。人間としてより善く生きるため、映画という文化を吸収することは価値があると思う。もちろん、そんなことには全く役に立たない傑作クソ映画もある。みんなちがってみんないいのである。

 

 

映画はいいぞ

現実逃避できるから。

美しい映像に心が癒されるから。

好きな俳優、声優の演技を堪能できるから。

歴史や現代社会の問題に関する新たな視点を得られるから。

好きな小説や漫画が映像化されて、新鮮な楽しみ方ができるから。

好きなアーティストが挿入歌や主題歌を担当しているから。

きっと一つの作品でも観る人それぞれに観る理由があるし、そのどれもが素晴らしいものだと思う。
そして、それを100%、いや120%楽しむにはやっぱり映画館だ! と強く思うのである。

 

映画館へ行こう

世間一般では、映画館なんて年に1回行くかどうかという頻度が普通らしい。

まずは映画館の良さをアピールしまくろうと思う。

 

映画館で観ることの良さ

映画館の良さはなんといっても環境

自宅であの環境を再現できる人間はチケット代を気にするまでもない金持ちだしそもそも映画好きだろうから置いておく。

ヘッドレストまである大きなイスで、大きなスクリーンで、大きなスピーカーで映画を鑑賞できる環境は他にない。しっかりと真っ暗なので、繊細な映像に集中することができる。

 

また、意外かもしれないが見ず知らずの人たちと同じ映画を観るのが結構良かったりする。笑えるシーンで笑い声が起こったり、感動的なシーンですすり泣きが聞こえてきたりする。私は一般の上映ではまだ見たことがないが拍手が起こることもあるらしい。

上映後、連れのいる人は感想を話しながら帰っていく。自分に連れがいればぜひ映画の感想を話しながら帰ろう。一人で来てそういうの盗み聞いて楽しんでるやつもいるから。

 

映画館の中でも大規模なシネコンではさらにグレードアップした設備を整えているから、さらに上質な、もしくは一味違った映画体験も可能だ。

例えばIMAXは劇場の壁一面がスクリーンになっていて、スピーカーの配置も計算されており、その凄さは映画が始まる前に自信たっぷりに説明してもらえる(毎回そういう映像が流れる)。チケット代は少し上がるが、映像美や音響の迫力を楽しみたい場合はおすすめだ。

3D対応の作品も増えてきたし、「4DX」「MX4D」という3Dを超えて振動や水滴、匂いの効果も加えて映画を体験することができる作品もある。
激しいアクションが売りの映画やアドベンチャーものを観ると、2時間近くずっとアトラクションに乗っている気分だ。値段は高くなるけれどこれが結構楽しい。
昔の映画を2Dのまま様々な効果を加えて上映する場合もある(去年観たマトリックス4DX、かなり楽しかった)。
ちなみにメガネユーザーは水滴がけっこう邪魔なので、コンタクトで行くかメガネ拭きを忘れずに持っていくとよいらしい。

 

あとはやっぱり、映画館で観ることで関わった人たちを金銭的に支えることができる点。
公開期間が延びるかどうか、DVDになるかどうか。そういった部分はやはり映画が公開されて、どれだけ観られたかがカギになる。

好きな俳優やアーティストが参加していたら気が済むまで映画館で観よう。

ちなみに原作者には映画が売れたところであんまりお金が入らないことが多いらしいが、映画が話題になる→原作本が売れるのルートはかなりあると思うのでまったくの無意味ではない。映画を観よう。

 

逆にデメリットといえば、時間が合わないと観に行けないこと、お金がかかること、一時停止ができないこと、だろうか。

時間が合わないは仕方ないとして、少しでもチケット代を安く済ませる方法は後述する。一時停止できないのも仕方ないので、トイレや用事はできる限り済ませておくしかない。そういった困難を取り除いてこそ作品を味わうことができると思うので、そこは各自、努力で……。

 

 

観たい映画を探そう

ところで、映画館でそもそもどんな映画がやっているのか、普段映画を観ない人が情報を手に入れるのは難しいんじゃないかと思う。テレビでCMをやらないような映画にはもはやアクセスすることができない。

おすすめの映画情報サイトは映画.com

まあとりあえずアクセスしてみてほしい。

ランキング上位をチェックするもよし、「上映中の映画」から今やっている映画をチェックするもよし。ポスターとタイトルだけでも気になったらクリックしてみてあらすじを確認する。

日本の映画ポスターは散々揶揄されている通りデザイン<<<情報量なので、とりあえずポスターを観たらどういう映画かざっくりとわかるようになっている。はず。

そして予告編を見るもよし、見ないもよし。たまに普通にネタバレしてくる予告編があるので気になる人は注意。

観たい映画があったら、「映画館を探す」から上映している映画館を確認できる。近くでやっていればラッキー。

 

ちなみに会員登録すると見たい作品をブックマークしておくことができる。観たら「鑑賞済み」に切り替えられて、映画鑑賞の簡単な記録にもなるので便利。
そのへんはスマホアプリが便利なので入れておくとよい。

 

お得に便利に映画を観よう

まずゼロから映画の情報を得るところまではこんな感じだろうか。でも結局観に行かない人が多い。その一番の理由は「料金が高い」だと思う。

日本の映画料金は高い。一回1,900円もするのにハズレを引いたら最悪だと思う。私もぶっちゃけ一般料金ではほぼ観ない。だってお金ないもん……。

でも、安く映画を観る方法はいろいろある。

例えば、公開前に前売り券を買っておくとだいたい一般1,300~1,500円くらいで済む。美術館のチケットみたいにポスターと同じデザインになっていたりして、見映えもよく記念になる。

それに映画の日(毎月1日)、レイトショー割、早朝割、レディースデー、映画館のサービスデー、会員割引なんかがある。
もちろん学生割引、シニア割引もあるし、障害者手帳を持っている人は同伴1名まで割引(大抵1,000円)になる。生きているだけでお得に観られる人が周りにいたらぜひ誘って一緒に行こう。
割引サービスは映画館によって異なるので調べてみてほしい。

 

席の選択、チケットの購入はネットでもできるし、当日の劇場でもできる。ただし公開されて間もない映画は、平日夜や土日に観に行こうとすると結構並ぶし最悪売り切れてしまうことがある。
大手シネコンTOHOシネマズはサイトからそのままApple Payで支払いができるのでかなり便利。カード番号をわざわざ打ち込まなくても、指紋認証ですぐ支払い完了だ。逆に怖い。

メールアドレスだけでも会員登録しておくとカード情報を記憶しておくことができる映画館サイトもあるので、家からのアクセスが良かったり、ラインナップが良かったりする映画館がわかってきたら、なんだかんだ登録しておくとよい。メルマガも設定しなければそんなに来ない。

 

映画館ループにハマろう

不思議なことに、映画館へ行っていると映画を観るようになる。

なぜかというと映画が始まる前には必ずと言っていいほど予告編の時間がある。チケットに記載の上映開始時間の後も10~15分程度は予告編であることが多い。
そこで「あーこれ面白そうだな」と思い、観に行く。またそこで別の映画の予告編を目にする。「あーこれも面白そうだな」と思い、観に行く……そうして頭上にウロボロスが回り始める。

もちろん「面白そうだな」で終わってしまうこともあるのだけれど、そこを観に行ってみることで、映画館で観るという体験の虜になっていくのだと思う。

 

ミニシアターへ行こう

私が初めて映画を観たのは地元のサティ(現イオン)に入っていたワーナーマイカルシネマ(現イオンシネマ)。
ところで最近行くのはほとんどがミニシアターだ。

現在休業によって特に困っていると思われるミニシアターにも興味を持ってもらえたら嬉しいので、ミニシアターが好きな理由、良いところを考えてみた。

シネコンにはないラインナップ

やっぱりミニシアターの良いところは、シネコンではやらないようなまだ知名度の低い監督の作品だったり、インディーズ映画も上映してくれること。

特に日本のインディーズ映画ならお値段変わらず舞台挨拶つきの上映があったりして、監督や、さっきまでスクリーンの中にいた役者さんが目の前に出てきてお話をしてくれる。もちろんテレビに出てくるような有名な役者さんが出てくることはほとんどないけれど、無名でもいい役者さんは本当にたくさんいる。
質問タイムを設けることも多いので、質問ついでに感想を伝えることもできる。

映画を紹介するPOPが楽しい

こちらもミニシアターの醍醐味。映画館スタッフが少しでも「観たい!」と思ってもらえるように頑張っている。フォトスポット風になっていたり、雑誌の切り抜きがスクラップしてあったり、作中に登場する場所を再現していたり……とこだわりがすごい。映画が始まるまでの間や終わったあとはそんなPOPたちを眺めながら期待を膨らませたり、余韻に浸るのもよい。

小さいからこそのリラックス感

学校の教室ほどしかないような小さな劇場もある。その分、客席が少ないため他人が気にならない、リラックスして映画を観られるという良さがある。

例えばアップリンク吉祥寺のスクリーン5番は、座席がなんと3列しかなくて、最前列でちょうどいい。椅子やカーペットもこなれた雰囲気で、まるでホームシアターのようなのだ。気になった映画がたまたまそこでやっていれば迷わず最前列のど真ん中を予約する。

客層が良い(場合もある)

あまりシネコン下げはしたくないし、某ミニシアターで一人で映画を観ていたら映画の感想を語りましょうの皮をかぶったナンパ(最悪!)に遭ったこともあるので、一概に良いとは言えないけれど……
やっぱりミニシアターは多少なりとも映画好きな人が集まるので、比較的マナーが良いというか、映画を観るのに慣れているお客さんが多い。
少なくとも、携帯電話が気になっちゃうような人はそうそういない。

オリジナリティ溢れるマナー広告

地味に面白いのがこれ。映画館によってはかなりあっさりしている場合もあるけれど、かなり凝っているところもあるので注目してほしい。
特に好きなのがユーロスペースアップリンクで、どちらもかわいくてシュールなアニメで上映中のマナー向上を呼び掛けてくれる。

ちなみにシネコンよりちょっと強めの表現で呼び掛けてくれる。
マナーを守らないお客さんは、異世界に飛ばされたり火あぶりに処されたりする。

みんな安くはないチケット代を払っているし、苦情を処理するスタッフだってそんなにいいお給料をもらっているわけではないはずだ。
誰も得しないので、マナーは守ろう……!

私の好きな映画館

最後に、私の好きな映画館たちを紹介する。
お得な会員制度から近くの飲食店事情まで、実際に行っているからこそ知っている情報を伝えたいと思う。
新型コロナウイルスの流行が落ち着いて、映画館がまた開く日が来たら、ぜひ訪れてほしい。

アップリンク(渋谷・吉祥寺)

一番お気に入りの映画館。一番行っている。

去年から私は会員になっていて、これがとてもお得。
年間会費1,500円(22歳以下は500円!)で平日1,000円休日1,300円で映画が見られる。(今年6月12日からは平日1,100円になる)
1,900円×3=5,700円
1,300円×3+1,500円=5,400円
と、土日しか映画に行けないとしても3回観れば300円お得になる計算。

特にアップリンク吉祥寺は駅から近いし、できたばかりで内装がお洒落で綺麗だし、イスもふかふかで傾斜も程よくとても快適でおすすめ。
渋谷はちょっと駅から遠いしときどき会議室のちょっといいイスくらいのに座ることになってビビるが、ユーロスペースBunkamuraが近いので映画や美術館とのハシゴに便利だ。

ちなみに、吉祥寺は近くにくぐつ草やゆりあぺむぺるといったレトロな喫茶店があるので、鑑賞前後は必ずどちらかでコーヒーを飲むのも楽しみの一つにしている。後者に関しては多分店員さんに顔を覚えられている。私は覚えてるから……。

シネマカリテ(新宿)

新宿のミニシアター。東口・東南口からすぐの好立地なので、仕事終わりや夜遅くの鑑賞も楽ちん。
劇場はどれも結構小さめ、かつ傾斜が少ないので、特に背の低い人は前のほうで観るのがおすすめ。

同じビルや周りに飲食店も多いので、映画の前後に寄るのに便利。

武蔵野館(新宿)

こちらも新宿のミニシアターで、シネマカリテと同じ系列。
館内POPがいつも凝っているイメージ。
休憩スペースがミニシアターにしては広くて、喫煙所もある。ミニシアターは大抵開場が上映の10分前なのだけれど、ちょっと早く着きすぎちゃっても大丈夫だ。

こちらも新宿駅近くなので、ごはんやお茶をする場所には困らない。

早稲田松竹

東京メトロ副都心線西早稲田駅か、JR山手線・東京メトロ東西線西武新宿線高田馬場駅が最寄り。いわゆる名画座で、旧作を二本立て1,300円で観られる。特別レイトショー上映は1,000円。お得。

ほぼ毎週特集が変わるので見逃しに注意。

学生街なので多少がやがやしているが飲食店には困らないし安いお店が多い。

ヒューマントラストシネマ(渋谷・有楽町)

私は入っていないのだが会員制度がお得。
年会費1,000円で「TCGメンバーズカード」を作れば、テアトルシネマグループの9館、角川シネマ(有楽町)、EJアニメシアター新宿、シネマート(新宿、心斎橋)、シネスイッチ銀座での映画鑑賞が1,300円、火曜と木曜は1,000円になる。
金額もお得だし、こんなに色々な映画館で割引が使える制度はなかなかない。

渋谷のほうは、近くにあるFREEMAN CAFEがおすすめ。コーヒーが美味しいしごはんもコスパがよい。
同じビルに入っているDieselのカフェはあんまりコーヒーがおいしくなかった。

TOHOシネマズ(新宿、渋谷、六本木など)

色々な場所にあって友達と観に行くのにも便利だし、最新作がいち早く観られるのが大手シネコンの良さ。先述の通り予約と支払いがめちゃめちゃ楽。IMAXや3D・4DX対応スクリーンも豊富。

六本木は近くに森美術館国立新美術館もあり、休日の予定が充実する。

グランドシネマサンシャイン(池袋)

最近できたばかりの綺麗なシネコンIMAX目当てでよく行く。
ビルの上のほうにあり複数階にまたがるため、あまり時間ギリギリにいくと焦ることになるので注意。
降りたところにバーガーキングがある。周りにも飲食店が多く、腹ごしらえが気軽に済むのもよい。

 

とはいえ、今はお休みなので

私が6,000字を費やしたところで行くことはできない。

仕方ないので、ストリーミングで映画を観よう。

ということで漸くおすすめ映画について語りまくるフェーズに突入させてもらう。

 

次回へ続く……。

ミッドサマー3回観たのでさすがに何か書く

ミッドサマーを3回観た。

途中退席した人もいるというのになんて悪趣味な奴だと思われても仕方ないのだけれど、この映画が傑作であることは間違いないと思う。早くも今年ベストに食い込むだろうな、というくらいにはハマった。

ということでブログを書こうと思った。

 

まずはネタバレなしで。少し。

観た、と言うと「ホラー映画なの?」「グロいんだって?」とよく聞かれる。
結論から言えばどちらも正解。ただし、ホラー映画を観に行くつもりでいかないほうがいいかもしれない。本人もインタビューなどで言及している通り、ホラー映画というジャンルではあるものの様々な側面をもつ映画。

観慣れたものは確かに安心できるけど、観客が怠けちゃう。僕は平手打ちを浴びせたくなるんです。「これが“僕の映画”だ!」ってね(笑)。

「ミッドサマー」アリ・アスター×小出祐介 / 園子温インタビュー (2/4) - 映画ナタリー 特集・インタビュー

個人的には、アリ・アスター監督の長編デビュー作『ヘレディタリー 継承』を観ておいたほうがいい、と思う。これに耐えられなければ間違いなく耐えられないと思う。色々な意味で。

私はもともとホラー映画には苦手意識を持っていて、というのも、ワッ! と驚かされるような演出が苦手で、なんとなくホラー映画は避けていた。
一方で、後味の悪い映画、暗い映画は大好き。残酷描写にも大して動じないことにも最近気づいた。
ヘレディタリーがやたらと高評価を受けていたので勇気を出して観てみたらワッ! のないホラー映画で、最高に暗くて後味が悪くて大ハマりした。

あの不穏な空気……それはオカルトな要素の恐ろしさでもあり、機能不全に陥った関係性という人間の恐ろしさでもあり……言いようのない「嫌な感じ」が全編に付きまとう。あの雰囲気が気に入ればぜひミッドサマーにも挑戦していただきたい。逆に、あの雰囲気に退屈さを感じてしまったり、必要以上に不安を覚えてしまったという人には、個人的にはミッドサマーはおすすめできない。

2時間半もある映画だ。時間は大切に使おう。(cv/松陰寺太勇)

ちなみにミッドサマーは残酷描写、性的描写ともにヘレディタリーの比ではなくかなりキツいのでそこは注意。

それから……これまでにパニック発作の経験、バッドトリップの経験がある人はあまりのめり込んで観ない方が良いと思う。これは自分も前情報なく見てしまってちょっと危なかったので、ネタバレになっちゃうかな、なんてことは一旦考えずに書いておこうと思う。

 

それではここからネタバレありで『ミッドサマー』について書いていく。

また、『ヘレディタリー』の内容についても軽く言及することがあるのでご注意を。

見たくない方はここでさようなら。

 

 

 *** 

 

(前置きに次ぐ前置きで恐縮だが)この記事を書くにあたって、気になった点ごとに書くか、ストーリーの流れに沿って書くか迷った。後者のほうが流れが良いのでその方向で書いていく。ただ、前者については映画全編にわたって偏在しているので先に箇条書きにしておき、都度言及することにする。

 

~気になりポイント~

・オープニングの妙
・鏡に映る者は招かれざる客?
・嘘まみれのホルガ
・『ミッドサマー』はホラー映画なのか?

 

まずオープニング、タペストリーが現れる。

ここに全部ストーリーは書いてある。そしてそれが左右に紙芝居のように割れて、はじまりはじまり。

あの絵はホルガに伝わるタペストリーと同じ図柄で、まぎれもないダニーとその家族、クリスチャン、マーク、ジョシュ、ペレの姿がある。
ひょっとするとホルガに残ったダニーが語った内容を基にホルガの村人が描いたのではないか? とも考えられる。

『ヘレディタリー』でもオープニングはミニチュア作家の母親のミニチュアハウス内で起こった=すべて妄想? または悪魔ペイモンが作った映画?(こちらの解釈は監督の意図でもあるらしい) ともとれるような不思議な始まり方となっている。

ということで開始0秒からしっかりと不安の種が仕込まれている。

冬のスウェーデンらしき風景と、民謡のような歌声が流れる。その歌もホルガで歌われるものと酷似している。
あの風景はホルガのあるヘルシングランドなのだろうか。
雪が降りしきる映像は静謐で、人の気配はなく、ホルガの人々は本当にあの雪の中で暮らしているのだろうか……と勘繰りたくなる。

 

それを眺めているとちょっとびっくりポイント、電話のベルがけたたましく鳴り響く。
2回目鑑賞のときに気を付けて見てみると……やっぱりしてる。ガスの音がもうしてる。
留守電の音声のホワイトノイズかな? と思ってスルーしてしまいそうなギリギリのところ。巧妙である。
このときまだ父親の腹が上下して呼吸をしているのがわかる。もし電話に気付いていれば……? もしくはもう既に意識が朦朧とした状態だったのかもしれないが……

 

ダニーは双極性障害の妹の言動に振り回され、不安神経症のような状態になっている。恋人のクリスチャンにもそのことは話しているようだが面倒がられているのではないか? と後ろめたく思っている。ということを女友達に電話しているシーンが入るが、この子と話すことではテリーの件についての不安は拭えないのだろうか? ダニーのクリスチャンへの依存心が垣間見える。それにしてもクリスチャンの「君が甘やかすからだ」という発言は思っていても言っちゃダメなやつだろ……と思ったが。
後にダニーは心理学を学んでいることが明言されるし、妹や同じような人の助けになりたい気持ちからその道を選んだのかもしれない。

ここで場面が変わりクリスチャンとその取り巻きたちの会話が挟まれる。そこでのダニーは鼻つまみもの。早く別れろと言われている。しかしマークの軽率な発言が強烈なせいでこの集団まるごと”イキってる肉食系インテリ男子学生”に見えてしまうのは見事なミスリードだ。
すぐ次の女が見つかるぜ、なんて言っているのはマークだけで、ジョシュは博士論文のテーマも決まっていないのに女絡みで悩み事を作っているなんてばかばかしい、というニュアンスの助言。
ペレは「夏はスウェーデンに行く」ということしか言わない。
実は彼らそれぞれが何を目的としているか、はっきりと描かれている場面だ。

テリーは本当に「パパとママと一緒に行」っていて、ダニーのメールは一通も届いていなかった。その報せを受けたダニーは取り乱し泣き叫ぶ。あれは「家族を失って悲しい」の泣き方ではない、と思う。私はあれほど悲惨な体験をしたわけではないし個人差もあるとは思うが、鬱状態の時に悲しみや苦しみが延々頭の中で繰り返される状態に陥った時に似たような経験がある。とにかく大きな声でワーワー喚くことになる。フローレンス・ピューの泣き叫ぶ演技を見て、クリスチャン訳のジャック・レイナーは自然と抱きしめることしかできなくなったという。

 

冬から夏に場面は変わり、抜け殻のようなダニー。クリスチャンとは結局まだ別れていない。あんなことがあったあとでは別れ話もしづらいし、何よりクリスチャン自身が「助けにならなければ」と思ってしまったのだろう。
ダニーのベッドのところには(言うまでもなくその後の二人の運命を暗示する)クマと女の子の絵。これはスウェーデンの画家の絵だそうで、この映画のために描かれたものではないらしい。

パーティーで突然、二週間後にスウェーデンへ行くことになっていると聞かされて困惑するダニー。クリスチャンのことだから本当に言い出せずにいたのだろう。
部屋に二人で帰ってきて、ドアの前に立ちはだかってその話をはじめるダニー。クリスチャンは鏡に映っている。相手と物理的には向き合っているはずなのに、精神的には向き合えていない……というメタファーだろうか?
ダニーの言うことは「話し合いたい」「理解しようとしてるの」。いや、話し合ってどうなる? 理解できないから混乱しているのではないの? とツッコミどころだらけだし、その言動は「はっきり言わなかった」というクリスチャンの行動(結果)を責めることにしかならない。話ができない状態の相手に「話し合おう」と求める、滑稽で、なんとも壊滅的なシチュエーションだ。
ダニーへの気持ち(それは思いやりでもあり、面倒臭いという本音でもある)のせいで物がはっきり言えないクリスチャン、はっきりしないクリスチャンにやきもきするけれど結局頼ってしまうダニー、二人は立派な共依存カップルだ。

そしてなんやかんやでスウェーデンへ同行すると決めるダニー。
ダニーは妹に家族ごと連れていかれたこともあり「置いていかれる」ということに強い不安を感じているから、妥当な選択だ。
ジョシュ、マーク、ペレと溜まっている部屋にダニーがやってくるシーン、またクリスチャンが鏡に映り、話を合わせてくれなんて言い出す。「面倒事に巻き込むなよ」という白々しい雰囲気が流れる。そしてそのまま鏡にダニーも現れる。男子チームにとっては正直なところ”招かれざる客”のダニー。

(ちなみにこのシーンでダニーのパーカーの紐が左右でばらばらの長さになっていることで精神の不安定さが表されている、という考察も見かけてニヤリ。細かすぎて伝わらないミッドサマー。)

マークはクリスチャンに「これを見てくれ」とか言って別室に連れて行ってしまうし、ジョシュは本を読むのもやめて何やら食べ物を温めに席を立つ。
ダニーに寄り添ってくれるのはペレだけ。夏至祭についてはふんわりした説明とインスタ映えな写真を見せるのみでなんとか旅行に来てもらおうと営業をかける。さらに共感の度合いを深めようと僕も両親を亡くして……と隙あらば自分語り。唐突に家族の話をされたダニーはパニックを起こしてしまうのだが……。

そこでTシャツが変わった? と思ったらそこは既に飛行機の中。飛行機の中でもパニックを起こして泣いている。どう考えても旅行、ましてや飛行機に乗って海外旅行なんてするべきでない体調だろう。

 

ヘルシングランドへ入っていくカメラワークは異世界へ足を踏み入れたことが猿でもわかる不穏さで、観客は来た来た来た~! と期待に胸を膨らませる。悪夢の始まりだ! いや、もう始まってるけど……。

ところで『ヘレディタリー』でも、祖母の葬式(弔辞であんなこと言うか? いきなりおかしい)→妹の事故(兄の行動!?!????!?)……と、本題に入る前から不吉な出来事、おぞましい事件が発生していることに気付かされる。「その事件で本編撮れるよね?」くらいの出来事のはずなのだが、映画全体で言えば起承転結の「起」、頑張っても「承」でしかない。新手の試し行動か? アリ・アスター監督怖い。

 

ホルガ近くの原っぱに車を止め、ペレの疑似家族たちとあいさつを交わす。眺めのいいところでダニーも思わず笑顔。しかしいきなりハーブ? キノコ? を勧められる。ためらうものの流れでマッシュルームティーを飲んでしまうダニー!

ここでバッドトリップかと思いきや、ダニーはグッドなほうのトリップ体験をする。

あたかもここでダニーがバッドトリップしているかのような書かれ方をしているネタバレ感想記事があったがそれは違うぞ、と反論させていただきたい。トリップ経験のない方には伝わらなかったようだ……(安心してください合法です)
このときバッド入ってるのはマークだけ。「新しい人間は嫌だ!」「みんなも横になろう」とパニックになっちゃっている。ダニーは呼吸を深くして、手からは草が生え、木の幹は波打って呼吸し、自然と一体化している……ところがペレが「家族」というNGワードを口にしたせいで突然のバッドトリップ。

落ち着こうとトイレに逃げ込むも、明かりをつけた瞬間鏡に一瞬、最も見たくないであろう幻覚を見てしまう。考えたくないけれど考えてしまう、脳内への”招かれざる客”、テリー。自分の顔もなんだか歪んで見えて、前後不覚に陥り森の中へめちゃくちゃに駆けて行ってしまう……。ここの急激なバッドトリップ描写はパニック発作経験者にはかなりキツいものだった。

 

パニックになって感情が爆発した後にコテンと眠ってしまう(それも、深い深い眠り)ことがあった。ダニーもそういう状態だったのかもしれない。日付が変わって起こされて、ようやくホルガへ向けて出発となる。
散々指摘されているのはタペストリーにもある”ハーメルンの笛吹き男”。笛の音に導かれる一行はまさに誘拐される子供たちだ。

もう一つオマージュというか、暗示されているものがあるとすればオズの魔法使い。もしかしたら劇場の予告編でレネー・ゼルウィガー主演『ジュディ 虹の彼方に』にチラッと映ったのを見た人もいるかもしれない。あの黄色のレンガ道のように黄色い花がぽつぽつと咲く道。家に帰りたいドロシー(ダニー;主人公の女の子、そして、家族はもういないのでホルガに帰属することが「家に帰る」という望みを叶えることになりうる……)、臆病なライオン(クリスチャン;見た目は屈強だが煮え切らない性格)、カカシ(マーク;脳がない、つまりバカ。Skin The Foolされてしまう彼がバカなのはもう火を見るよりも明らか)、ブリキの木こり(ジョシュ;心がない、ホルガは友人の故郷というよりも自分の論文のネタ)。公式のネタバレサイトには載っていなかったがかなり意識されているのでは、と個人的に思っている解釈だ。

 

さて、ホルガのあの太陽のような形の門をくぐるとダニーはなぜか「家族」というワードが出ても一切パニックを起こさなくなる。ダニーにとって何か共鳴するものを感じたのだろうか?

ホルガに辿り着くやいなやジョシュはその文化に興味津々で、しきりに写真を撮りメモを取りながら歩き回る。「インドにも同じような信仰がある!」とか言いながら。北欧神話をベースに独自の信仰を作り上げていったらしいホルガの人々には特に反応されないにも関わらず……。

 

そういえばその日はダニーの誕生日。ペレに言われて気づいたクリスチャンが、これまたペレが用意したケーキの切れ端にキャンドルを差して渡すけれど全然火がつかない(なんでだ? また不穏)。ハッピバースデートゥーユーファーック……に笑ってしまう。やっと点いた蝋燭の火を吹き消すダニー、ホルガの呼吸法(ホッ・ハッ!)みたいになっていてゾッ。

 

そろそろ例の儀式について書いていこう。みんなのお待ちかね、アッテストゥパン。

儀式の前の食事シーンから気になっていた老女イルヴァの表情。ビョルン・アンドレセン演じるダンが終始無表情なのに比べて、明らかにこの後起こることを見据えた厳かな表情。心して最後の食事をし、歌い、盃をかかげているように見える……ともすれば恐怖を抑えている表情ではなかっただろうか?

(これは完全に私が得したいだけなのですがアッテストゥパンの儀式が始まる前のとあるワンカット、カメラをちらりと振り返る男の子の名前がわかる方いたら教えてください。大変な美少年だったので追いたい。ちょっとエマ・ワトソンクリステン・スチュワートっぽい感じの中性的な顔立ちをした若い男の子です。)

結果としてイルヴァは頭から石盤に激突して即死、一方でダンはすとーんと足から地面に落ちてしまい死に損なうというのはなんとも皮肉。そして痛みに呻くダンを見て、ホルガの人々も辛そうに呻き、泣き声のような声を出し始める。どうやらホルガでは前に立つ者がいればその人と感情を共有することになっているらしい?

苦しむダンの頭部、というか、顔面……あの、ビョルン・アンドレセンの……美しいタジオの……顔めがけてハンマーを3度も振り下ろしド頭をカチ割る。キャスティングに含みがありすぎる。さすがに3回も殴るのは笑ってしまった。

少しシーンが戻るがイルヴァが飛び降りる寸前、ダニーの目が吸い込まれるような演出がなされ、飛び降りる瞬間は驚いてクリスチャンの腕を握るけれどもその後は膜がかかったように離人状態になる部分でふとラース・フォン・トリアーの『メランコリア』を思い出した。鬱状態の人間は思考がネガティブに傾くので、悪いこと・悲劇的なことが起こる際にも逆に他者より冷静でいられるというあれだ。もちろん凄まじい儀式を目にしてショックを受けているようにも見えるが、ダニーは「ああ、飛び降りるんだな」「ああ、死んでしまったな」とどこか冷静な自分がいることに嫌悪感を覚えたのではないだろうか? 家族を自殺で失った者として、死の予感に人一倍敏感であることは想像に難くない。ダニーたちだって、サイモンやコニーのようにFワード連発で取り乱してもよかったはずだ。もしあの場にバカのマークがいたら同じように大騒ぎしたのではないだろうか。しかしジョシュはアッテストゥパン(崖)という言葉から薄々意味に気付いていたし、クリスチャンも人類学を学んでいるせいか「人の死」というより「異国の土着宗教の異常な儀式」という認識に落ち着いたのかもしれない。

なんなら、「これ論文のテーマいけるやん」くらいに思ったのかもしれない。それで宿舎でのあの会話だ。ジョシュがホルガにやってきたのは初めから論文を書くためだった。それなのにポッと出のクリスチャンが同じテーマで書くなんて言い出す。悲しいしそんな奴だと思わなかった! と責める(それでもかなり言葉を選んでいたよジョシュは……)。そこで返ってきた言葉、何だったと思う? 「知るか(Fuck you)」だ。

クリスチャン理不尽かわいそう派はこの部分をもう一度思い出してもらいたい。十分クソ野郎じゃないか! (もちろんどんなクソ野郎でも殺してよいことはならないが)
本当にアッテストゥパンを見てインスピレーションを受け、ジョシュに頼み込んで協力させてくれと言うならまだしも、その後の裏をかいて、先手を打って……という行動から、そんな謙虚さは持ち合わせていないことがわかる。

この出来事によって、〈グダグダ共依存カップルの恋愛模様〉に続いて〈学生同士の、博士論文をかけた水面下での争い〉という新たな人間ドラマのレイヤーが追加される。

 

サイモンとコニーは逃げ出そうとするがうまいこと離ればなれにされてしまう。コニーの叫び声にはみんなそれぞれ気づく素振りをするのに、誰かに聞くこともない。傍観者効果? 消防車はまだかーーーー!!! ていうかサイモンもコニーも通報すればよかったんじゃ……

サイモンは後日”血のワシ”の姿で見つかるが、あの状態で何日も生きられるわけがないので、口のきけない状態で監禁でもされていたのだろうか……?

 

ダニーはコニーが置き去りにされていた(ように見えた)ことから再び「置いていかれる」不安を募らせる。実際に置いて行かれる悪夢も見る(あのマークの顔が怖いわ)。妹と両親も登場する。妹だけこっちを見ているのはなぜなんだろうか。
食事の前にはクリスチャンに「あなたも同じことをしそう」なんて言ってしまう。
その食事の前にはジョシュ、クリスチャンそれぞれが取材をしているし、ダニーはクリスチャンに放っておかれてるし、マークは先祖の木放尿事件を起こしてウルフに睨まれているし超険悪ムード。いや、マーク、お前は自業自得だ。

 

そしてマヤの陰毛パイ登場。ちゃっかりクリスチャンの分だけ石のお皿に葉っぱで印づけされているし、飲み物も彼の分だけ明らかに色が違う。「陰毛じゃねえか!?」とざわついたあとにお口直しかのようにグイッと飲んでしまう経血ジュースに劇場中が苦笑(2回目に観たときは小さいシアターだったからか、かなり笑いが起きていて安心した)。

ところで経血ジュースで疑問に思ったのだが、生理直後は比較的妊娠しにくいはずではないのだろうか。男性諸君のために説明すると、女性の生理は排卵→月経がだいたい月に1回のペースで繰り返されるサイクルで、排卵期が最も妊娠しやすいのである。私も時差ボケしていてあれが何日だったのかよくわからないのだが、少なくとも滞在8日目か9日目にはマヤと交わることになるわけで、「赤ちゃんを感じるわ!」と言っているところ申し訳ないけれど妊娠は若干無理がある気がする……。考えられるのは、赤ちゃんは残念ながらできずにまた新たな血が連れてこられるのを待つ説、もしくは……これは本当に考えるだけで最悪な気分になるが……経血が保存されていた説。オエー……

ここでアメリカ組からも第一離脱者が。もちろんあのバカで、最後の台詞「見せるそうだ」というのがまたバカすぎて笑ってしまう。バカなので、皮を剥がれる。その日の夜には完全に剥がれてさらにかぶれるよう縫われていたわけで、ホルガの人々の技術には関心してしまう。

ジョシュは好奇心と「クリスチャンの知らない情報を得なければ」というプレッシャーに負けて禁忌を犯す。ルビ・ラダーをパシャパシャ。
ここでまた鏡が登場する。長老と話していたときにはカーテンが閉まっていたのに!
背後からやってくるのはマークの皮を着たホルガの村人(マークにブチギレていたウルフという説もある)。またしても”招かれざる客”だ。

マークだと思った者が、マークだったものだった……と気づいた頃には隠れていた別の何者かに頭を殴られ、いびきのようなうなり声(あれはあの部屋で寝起きしているルビンのものかとも思ったけれど、ジョシュのもののようだ)を上げながらどこかへ引きずられていく。ルビ・ラダーに手を出さなかったとしても生贄にされていたはずだが、どうしても気になるように仕向けたようにも思う。機敏に動ける見張りもいない、鍵もかかっていない小屋に聖典をしまっておく宗教があるものだろうか……?

 

ダニーはこの頃から急激にホルガに同化していく。お肉のタルトを作るのを手伝ったのに始まり、翌日からは長老に「女性たちと行動してくれ」と言われてその通りにする。あの衣装も着て、メイポールダンスにも参加しちゃうのである。

ダンス中のダニーは、はじめは困惑しているもののどんどんと笑顔になり、楽しんでいる。トリップしている効果で音楽が遅く聞こえ、なぜかスウェーデン語も話せるようになる(実際は話せていなくて、通じている”気がしている”だけだろう)。

メイクイーンになってみんなに祝福されるダニーはまた困惑顔だ。ベスト8に残ったときはあんなに楽しそうだったのに……これも死の予感に敏感なダニーの直感か? お母さん見かけるし。それにしてもペレ、ちゃっかりダニーの唇に熱いキスをしている……彼の計画通りだったのかもしれない。

公式サイトのネタバレで一番痺れたのが、メイクイーンとして担がれていくダニーの背景の木々にテリーの顔(それも、ガス管がダクトテープで張り付けてあるあの姿)がモンタージュされている、というもの。
知らないで観たら間違いなく気づかない。たった数秒のカットの背景。
そんなところに妹の顔を仕込むなんて。知ってから見るともう、物凄く怖い。誰がこれを見ているだろうかという気持ち悪さ。アリ・アスター監督怖い。(2回目)

 

ダニーはもう、「あなたは家族よ!」と言われても動じないどころか笑顔。けれどもやっぱりクリスチャンが気になる様子は見せる。クリスチャンも強烈な幻覚で酔ってしまっていて、正常な判断ができず導かれるままにマヤのいるあの小屋へ入ってしまうわけだ。

 

この映画の中でも特にトラウマシーンかつギャグシーンとして(悪)名高い、マヤとの性交(応援団つき)。
老いも若きも揃って全裸で歌っているだけでも壮観だし、不安がるマヤの手を取っておもむろにソロパート歌い出す女とか現れてカオス。喘ぎ声を模倣した歌も始まる。
性嫌悪の傾向が強い人はこのシーンがかなりキツかったようだ。もちろん誰でも気分のいいものではない。薬でおかしくなっている状態なので実質同意のない性交、レイプだし。あと個人的に、女性の裸がかなり苦手で、しかもそれがモザイクもなく何人も並んでいるので、怯んだ。
とにかく、あのシーンは性の滑稽さみたいなものを物凄く露悪的に描いている感じを受けた。

 

閑話休題。メイクイーンとしての儀式の中でにゃーうー♪って歌うところ、かわいい。

 

ダニーがシヴの家へ行く前にあぁっ♪が聞こえてくる小屋へ行ってしまうシーン、メイクイーンの冠を外して行くのが彼女の最後の良心というか、もとのダニーでいられた最後の瞬間だったのだろうか……。悲しいシーンだ。

メイクイーンと一緒にいた女性たちが、小屋から出て吐きながら泣き叫ぶダニーと一緒に叫ぶシーン、きっと一緒にウワーーッと言ったら気持ち良いだろうなと思ってしまった。強烈な共感。無理やりにでも同じ感情を表現するそれだけで、なんだかわかりあえるような気がしてくる。

自分が何度泣いて電話しても「頼らないし涙も見せない」クリスチャンより、言葉もあまり通じないけれど一緒にウソ泣きでもしてくれるホルガの人々のほうが頼る先(依存する先)として開かれているように感じられても仕方がない。ダニーは共感がほしいだけなのだから。

 

さて、最後に生贄を選ぶシーン。

なぜクリスチャンを選んだのか? という点は様々な解釈ができるが、私が考えるのは、「クリスチャンとこれまで通り生きていくという選択肢がなくなってしまった」からだと思う。ダニーにとって、頼れないクリスチャンは不要なのだ。他の若い女と性交していた、今は口も利けない、身体も動かない。そんなクリスチャンはダニーにとって必要がなくなった。それならばいっそ。ペレは自分を大切にしてくれるし、村の女性たちはとても優しい。

だからといって生贄にしなくてもいいじゃないか、と思うかもしれないが、あの状態のクリスチャンを見ているのが辛かったというのもあるかもしれない。家族もいない今、クリスチャンとの完全な別れが自分にとっての新しいスタートとなる、という考えもあったのではないだろうか。

最後に神殿に火を放ったとき、ウルフとイングマールは「痛みを感じない」「恐れを感じない」と言われてイチイの木からとった薬らしきものを口に含まされるが、思い切り火に焼かれながら絶叫していて、また笑ってしまった。ホルガに染まってしまった者は、その嘘を死ぬ間際まで知ることがない。

90年に一度というのは全くの大ウソだろう。計算が合わない。72歳になったら飛び降りて一生を終えるのであれば毎年いてもおかしくないし、せいぜい「生贄を9人も捧げるのは90年ぶりだね~」くらいなのかもしれない。外部からの人数と同じ数をホルガからも出さなければならないので、そんなことを毎年していたらホルガの人間がいなくなってしまうだろう。とはいえ夏至祭は毎年やっているようだった(去年のメイクイーンの写真がある)し、泣いている赤ん坊がいるということは少なくとも1、2年前に”新しい血”が来ていた可能性を示唆している。そういえば、「私が去年の(または、一昨年の)メイクイーンです」といった紹介をした女性がいなかったのも不審だ。去年のメイクイーンどこいった?

ペレの両親が「炎に包まれて死んだ」というのもおそらくは生贄として生きながら焼かれたのだろう。となると数年に一回は生贄を捧げていることになる。もしかしたらホルガで生まれ育ったわけではなく、ダニーたちのように外部からやってきたのかもしれない……。

 

ダニーは神殿に火が放たれたのを見て、お花に埋もれて今くるよ師匠みたいな状態でウワーンと泣きながらとぼとぼ歩いているんだけど、同じようにワーワー喚きながら取り乱すホルガの人々を見て、下がりきっていた口角をにっと上げて笑顔で幕を閉じる。

さすがに一緒にホルガへやってきた恋人と友人(の死体)が生贄として燃やされるのはショッキングだろう。

自分の感情を遠慮せず吐き出してすっきりして、一人先に穏やかさの境地に達しての笑みなのか
ふと、この人たちは女王が取り乱しているから一緒に喚いているのだと気づき、「私が笑えばみんなも笑ってくれるかしら?」という女王の不敵な笑みなのか。

私の解釈はそんなところだ。

もちろん、意地悪な解釈をすれば「クリスチャン、ざまぁみろ」の笑み、とも言えるけれど、多分もうあの時点でダニーはクリスチャンなんてどうでもいいのではないかと思う。

 

 

もしスウェーデンにダニーが来ていなかったら?

クリスチャンが生きて帰れたかどうかは怪しいし、家族にも恋人にも去られてしまうより、新しい「家族」を見つけられたこの幕引きこそがトゥルーエンドだったのでは、と考えてしまう。

 

***

 

ミッドサマー関連でちょっと面白かったツイートを引用。『現代思想』まではまだ手が伸ばせていないですごめんなさい!

舞台がスウェーデンでなく、アフリカやアジア、ラテンアメリカであったら? という問題提起にハッとさせられる。
白夜という装置が果たしてどのように作用したかには疑問が残る。「一度も太陽が映らない」という指摘も既にある。”残酷な儀式が明るみの下で行われる恐怖”がやたらと持ち上げられるが「いや別に昼間にやれば全部同じでは?」で論破できてしまう。改めて考えてみると時差ボケがキツそう、自律神経が乱れてバッドトリップしやすくなるのかな~くらいの効果しか思い浮かばない。例のセックスしないと出られない部屋なんて、わざわざ薄暗い小屋になっているし。

しかしながら舞台を北欧としたことについては、ツイートのツリーに言及のあるフリーセックス・処女の泉……といったイメージをさておいてもある程度の整合性というか、必然性を感じることもできた。昨年の東京国際映画祭や先月のトーキョーノーザンライツフェスティバルで北欧の映画に触れる機会に恵まれ、その中で北欧神話の信仰が古くからあるため「キリスト教は新しい宗教だ」と認識されることもままあるということ、そしてキリスト教キリスト教で、様々のカルト的新興宗派が存在しているという現状について学ぶことができた。(確かそれはノルウェーの映画だったかな。)

ジョシュが作中で言及する通りホルガの文化は様々な信仰の寄せ集めのようだ。それを私たちがやたらとリアルに感じられるのは日本人特有の宗教への無関心と同居するアニミズムのおかげなのではないか? と考えている。

泣き止まない赤ん坊の枕の下にハサミを置くシーンがある。どこかの国の文化でそういったものがあるのかと調べてみたけれど、日本の魔除けのおまじないしかヒットしなかった(もし情報があればぜひ教えてください)。何気ないカットに”何か宗教めいたもの”がちりばめられ、ごった煮になって、ホルガという場所が作り上げられている。

ちなみに予算の関係でスウェーデンではなくハンガリーで撮影されたらしい。そういえば衣装の白い布に鮮やかな刺繍にはハンガリーっぽささえあるかもしれない。

さらに、聖典を書いているルビンの扱いもなかなか見るに堪えない部分がある。彼は身体的には障害があったがなぜか「認知に」曇りがないと表現され神聖視されている。上手く話せないようではあったけれども、知的障害については一切不明だ。最も問題だと思ったのはマヤとクリスチャンの交わりが、彼の寝起きするあの小屋で、彼がいる状態で行われていたこと。完全な性的虐待じゃあないか……。

もちろんフィクションなのでそれを批判するつもりはない。しかしながらドラマ映画ではそういったショッキングな表現は避けられるだろうとも思うし、投身自殺・人体損壊・焼殺といった残酷表現、心に深い傷を負った者のパニック発作の表現も含め、”ホラー映画”というある種とっつきにくいジャンルを掲げておくことでギリギリ作り上げることができた作品だったのではないか、と思わざるを得ない部分はある。

それでも前述のとおり、壊れかけた恋人関係の破局、略奪愛、学生同士の博士論文をかけた情報戦、夏至祭の儀式を行うカルトの信徒、絶望を味わった主人公が救済を見出す……といった人間ドラマのレイヤーが幾重にも張り巡らされているので、観終わった人々は「あれはホラー映画ではない」と言う。幻覚は見ても幽霊は出てこないし、この映画はどこまでも人間の映画だ。そして何度も観ることで、様々なレイヤーに注目して鑑賞することができ、より面白くなる。

 

ちなみに私が劇場で3回も観た映画はまだシン・ゴジラくらいしかなかった。
シン・ゴジラもミッドサマーも、初見(ハラハラ)→ストーリーを把握した上で巷に溢れる考察や小ネタの知識などをつけ、構造を確認しながら観る→2回目の観方に加えて、「カタルシス」を求めだすという点では共通しているような……。

 

 

ところで、ディレクターズカット版が来週から劇場公開されることになったようだ!

 

……………………

 

4回目か……………………

 

 

ホッ・ハッ!

LUCKY

眠れないので文章を書く。

結局さらに目が冴える気もするし意味はないけれど……

とりあえず近況。


前髪とサイドにインナーカラーで赤を入れた。それから次々と良いことが起こっている。

私が私らしい姿でいることで気持ちの面でも強くなれるし、周りからも魅力的に見えるのかもしれない。


まず、知人の紹介でようやくアルバイトが決まった。事務や電話対応で平日10〜19時のみ。シフト提出も融通がきく。何より髪色や服装が自由。会社はとてもきれいなオフィスで働くのが楽しみだ。


それから、新しくバンドに加入することになりそうだ。ライブイベントで共演したバンドがベースを探していたそうで連絡をもらった。とてもいい曲をやるバンドだなと思っていたので素直に嬉しかった。現在既存曲の耳コピ中。こういうのは久しぶりでなんだか学生の頃を思い出して楽しい。

友達からとあるコピーバンドにも誘われたし、しばらく耳コピを定期的にやることになりそうだ。他人のベースラインを弾くことをしばらくしていなかったので勉強にも練習にもなるし良いだろう。


2月頭は保険証もお金もなく10日ほど断薬せざるを得なくなり、その間SSRI離脱症状で大変なことになった。ブレインザップというらしい。立ち上がったり歩いたりという動作をするたびに頭を殴られるような電気ショックのような目眩に襲われて辛かった。ほとんど寝て過ごしていた。寝れば寝たで悪夢を毎日のように見た。これも離脱症状の一つらしい。我慢の限界で全額負担で病院へ行った。

急に再開してもよくないということで現在毎日半錠を飲んでいる。飲み始めてすぐに症状は見事に消えた。このまま半錠で済ませて、早く飲まなくてもよくなりたい。


現在身体でつらいのは花粉症。マスクはどこも品切れで困る。

金銭的にも問題山積みだ。真面目に働いて節約を頑張る。服もしばらく買っていないし食費も抑えるため一日一食。未だに料理する気力はわかない。一生わかないのではという気さえする。


今の家に越してきてから5月で2年が経つ。同居人の事情などもあり契約更新のタイミングに合わせて引っ越すことになった。

今住んでいる町はとても気に入っているので、最近は積極的に近所の行ったことのないお店へ行き、通ったことのない道を歩いておこうとしている。最近は駅までの道も意味もなく路地に入ってクネクネ歩いている。そうしたらとても花のいい香りのする通りを見つけて嬉しくなった。

次に住む町もなんとなく決まっている。タバコの吸えるこじんまりした喫茶店を見つけたい。

 

あと最近Discordサーバーを作った。ゲーム関連ではなく雑談やお題投稿系のテキストチャットだ。よかったら覗いてほしい。

https://discord.gg/kffUKC


あ、少し眠くなってきたので5時間ほどだが眠ろうと思う。書いてみるものだ。

退職

本日1月24日で新卒入社した会社を退職した。(保険の関係で正しくは1月30日付だけれども)

復職後も結局休んでしまうことが多く休職期間が既に満了していたということで、思ったよりも早い退職になった。今日は出社してすぐ人事と面談をして、すぐ退職で話がまとまって、必要な書類を書いて、私物を片付けて、捨てそびれた書類をどっさりシュレッダーにかけて、私を何かと気にかけてくれていた先輩とコーヒーを飲んで、帰宅した。

 

退職、なんて自分には無関係だと思っていた。昨今の風潮からぼんやりと会社にずっといるとは思っていなかったけれども。自分でも突然無職になっちゃって、びっくりしちゃっている。最近起きることは何もかもどこか他人事のようだ。

 

ということで、エンジニアのお約束、退職エントリってやつを書いてみる。あまり参考にならないかもしれないけれども、せっかくの節目なので。

 

 

・勤めていた会社について

SIerらしい。一応東証一部上場企業で、とはいっても従業員数は400名程度。大手というほどではない、独立系SIer
金融機関やサービサー、百貨店のEC事業、地方自治体、などなど多業種のユーザー向けソフトウェアの開発、カスタマイズ、保守が主な業務。その他にもBPOなんかもやっていた。
基本的には一次請けの仕事のみだが基幹システムを担うことはあまりなく、N〇Cやら富〇通やら、最近話題になったJ〇Pのサブシステムだった。少なくとも私のいた部署はそんな感じ。

最近少しずつ改善されてきてはいるものの立場は営業>エンジニアという雰囲気。男女比は9:1~8:2くらい。

一年目~二年目中盤あたりまでは開発(言語はJava)、テスト、保守をやり、二年目終盤~三年目初頭から上流工程にも参加させてもらい、小さな案件のプロジェクトリーダーを任された(が、その途中で蒸発したためやり遂げることはできなかった)。

なので私が会社で得たスキルはウェブアプリの基本的な作り方とSQL周り。ネットワークやサーバー周りはさっぱり。Oracle MasterのBronzeと基本情報技術者試験は合格した。応用情報の試験を受けそびれたまま。多分ちょっと頑張れば受かる。

それから、私は自治体向けソフトの部署にいたので、ユーザーからの問い合わせ対応をするうちに税金や国民保険関連の法令知識も、ごくごく基本的な部分のみではあるがついた。

入社した理由は、説明会で文系でも普通にIT企業に入れるんだ~と知る→ITも開発工程は結局モノづくりなので性に合いそうだし、ITなら今後食いっぱぐれることはなかろう→転勤なしの独立系・ユーザー系IT企業をいくつか受ける→受かった中で一番大きい会社に入社、という流れだった。

 

・よかった点

半年近い期間を研修に費やしてくれる親切な企業だった。無駄な時間がなかったとは言えないが、お陰で日本文学専攻、いにしえの女オタク特有のWebサイト作成の経験のみあり、の状態からJavaPL/SQLが書けるようになった。

ユーザーがほとんど地方自治体だったので出張が多かった。これは新鮮な体験を好む私にはちょうどよかった。寝坊して飛行機を逃し6万の自腹を切ったのは辛かった……けどいい思い出。

また、当たり前といえば当たり前なのだが、残業した分のお金はきちんと払われた。

同期や先輩との関係は良好。同じ部署に同期がいなかったので、比べられて辛い思いをしたり、意識の低さにイライラしたりすることもなかった。

 

・いまいちだった点

人手不足が深刻で、最初に所属された部署では先輩たちも半分心を病んでいるような状態だった。人の入れ替わりも激しかった。そして部長がタフすぎて、皆内心「ちょっとついていけないな……」と思っているようだった。

マネージャー的な人間が出張やら何やらで不在なことが多く、社内に残された自分に社内でしかできない仕事が回ってきたり、すぐに質問ができなかったり、これは自分の悪い癖だと自覚したのだが質問することをためらって必要以上に時間をかけ、その間も顧客対応でタスクが横入りしてきて仕事を抱え込んでしまうという悪循環に陥っていた。

あと女性差別的な文化が入社してすぐの頃は少し残っていて、スーツはスカートのみ、営業に女性は入れない、という謎のルールがあった。現在は解消されている。

あと、飲み会には事務職の女性を無料で呼ぶという意味不明な文化もあった。私は女性だがSEなので彼女らの分もお金を払った。これについては、そういうことをするタイプの社員がいなくなったので今はもうないと思う。ないことを願う。

 

・退職を決めた理由

まずは仕事を抱え込みすぎてストレスが爆発してしまい元から情緒不安定だったところに拍車がかかってしまい、身体が動かなくなってしまって休職をした。

復職を決意した経緯はこの記事に書いた。 

juno.hatenadiary.jp

そうして条件付きで復職したものの結局思うように身体が動かず、人事からも「厳しい言い方になってしまうが、この状態では現場も安心して仕事を任せることができない。復職は早かったのではないか」と心配されているところだった。かといって、休職できる期間は規定上もう残っていない。

自分の性格上、生活環境を変えることにはあまり大きなストレスを感じない(むしろアドレナリンというかドーパミンが出て、いつもより頑張れる)ので、いっそのこと働き方、働く場所もがらりと変えてしまおうと決意した。

とはいえ情緒不安定なところは変わらないのでフルタイムでないところからこつこつやっていこうと思う。このご時世仕事なんていくらでもあるみたいだ。

また、信頼できるカウンセラーさんと話して「なんとかなる」と思えたことも大きかった。今のあなたならこういう働き方がいいかもしれないよ、メンタルの不調で離職した人向けのエージェントもあるよ、と有益な情報を提供してくれた。私と同じような境遇の人をたくさん知っていて、カウンセラー以外の仕事にも従事してきた経験豊富な心理士さんであるし、ここには書かないような個人的な暗い体験、心的外傷についても詳しく話してきた人なので、信用も信頼もできる情報源になっている。

 

・これから退職、転職する人へアドバイス

当たり前といえば当たり前だが本当は退職というのは計画的にやるべきだと思う。
健康な人は転職先を見つける、金銭的余裕を作っておく、といった準備を必ずしておくべきだ。私は何もしていないのでこれから多額の負債を抱え、しばらくは様々な督促の電話におびえながら暮らすことになる。こんなブログを書いて、空元気もいいところである。

ただ、幸い自社の持株会に入って月に1万円分の株を給与から天引きで購入していたので、1~2か月後にはまとまった金額が入ってきそうだ。入社当初よりは確実に株価も上がっているし、3月なら多少いい額で売却できるだろうし、それなりの利益はありそうだ。それでも貯金は全然ないし、医療費だってかさんでいる。自立支援医療を申請して診察と処方薬の金額が1割負担になったとはいえ、カウンセリング(30分で3,400円)が対象外なので結局負担は大きいままなのだ。この点については社会福祉に対して強く改善を要請したく思っている。

 

・これからの働き方、抱負など

まったくもって未定だが、コールセンターやらデータ入力やらの高時給のアルバイトで食いつなごうと思う。勤務場所もできるだけ近くで、週に3日程度から増やしていければと思う。それにも慣れてきたら正社員も目指せる派遣に登録してみようと思う。

その間にやりたい仕事が見つかればそれを目指すかもしれない。できればそういう会社が見つかればいいなあと思う。事務的な単純作業も嫌いではないのだが、よりクリエイティブなことができればそれに越したことはない。

まずは、健康第一で無理なく自活できることを目指す。

住む場所も変えるかもしれない。郊外のボロアパートで徹底的に固定費を減らして暮らしてみるのもありかもしれない。

プライベートでは、歌集を作る。バンドのライブを増やす。アートプロジェクトの企画をする。マイペースになってもいいのでとにかく目指していることをきちんと形にして、生きていくことの糧にしたい。

 

・そして……

退職・転職エントリのお約束らしいのでおこがましくもアレを公開しておきます。

 

 

追伸

レンタルなんもしない人さん、結局こうなっちゃってすみません。でもあの日のことは忘れがたい経験になりました。(詳細はこの記事↓)

juno.hatenadiary.jp

異物と事故

今月から平日2日休んで良いことになったので気が楽ではあるが体調は不安定だ。 年末年始もいろいろな予定をキャンセルしたり仕事を休んだりして 眠り続ける日があった。

しかしどちらかといえば身体的な不調から精神が疲弊する形のことが多く、ひどい落ち込みに陥ることは減ってきた。 カウンセリングの効果だろうか。 身体的な不調は自己診断してしまえば自律神経の失調状態だ。 寝起きが極端に悪く毎日眩暈がする。頻繁に微熱が出る。 食欲がなく体重が40kgを切ることがある。

こんな状態でも慣れてしまえばそれなりに生活は送れる。 ストラテラを飲んでいたときを思い出す。動悸と口渇、 吐き気と引き換えに集中力の安定を手に入れてそれなりに生活を送っていた(結局副作用のほうが辛くなってしまってやめた)。不公平だ、と時々思うけれども仕方のないことだ。できる限りのことをする。この考え方に至った経緯は後述する。


ところで、 とある友達が私のことをnoteに書いていてニヤニヤしながら読んだ。私は様々な場面において無視され続けてきた( あるいは勝手にそう思い込んでいる愚かで哀れな)人間なので、 他者から見た自分というものに実はかなり興味があり、 それを知り得る機会があると飛びついてしまう。 恥ずかしいので普段はそんなふりをしないが所詮はそういう人間だ 。

その文章を読んでいて、女性である自分、 についてふと考えたので、備忘録として書いておく。私のとてもとても個人的な話。


私の性自認は幼い頃から一貫して女性である。

が、そこにもコンプレックスがあるといえばある。

私の顔は目が細くて鼻や顎の骨格がしっかりしていて直線的で眉もきりっとしているので、 小学生の頃ショートヘアにしていたときはよく男の子と間違われた。 おまけに名前も環とどちらでもありそうなので名前を知られていても間違えられた。よく覚えているのは、吹奏楽部の衣装で肩章のついたシャツに黒いパンツという格好をして女子トイレに並んでいたら、遠慮がちに「 ここ女子トイレですよ」と言われたこと。

クラスでも女の子になじめなかったし、 かといって男の子にもなじめなかった。ドラマを見ていないから、 ジャニーズがわからないから、漫画を読んでいないから、 ナルミヤブランドの服を持っていないから、 話を合わせるために嘘ばかりついていた。 できればそういう話についていける女の子になりたかった。

男の子のほうが嫌われてもダメージが少ないような気がして── それは「自分が(男子社会においては)よそ者である」「 自分の属するコミュニティの相手ではない」 という意識からではないかとも思うが── 本気で喧嘩できたし暴力も振るえた。でも暴力はよくないし私の言葉遣いが汚いのは絶対にこのせいだと思う(人生の汚点)。子供の喧嘩はすぐ仲直りするイメージがあるが私は女の子と仲がこじれるといつもうまく仲直りができなくて、というか、仲直りを放棄しがちで、友達が減っては出来、出来ては減りを繰り返して、色々な派閥にいたり、派閥から完全に断絶された場所にいたりもした。

そうやってクラスの女子の中に暗黙的に存在する派閥やヒエラルキーには辟易していたけれど、自分が男の子だったらよかったとは思わなかった。テレビ見ない、ゲームしない、漫画読まないに加えて運動ができないのでは” 男子”の社会ではさらにやっていけなかっただろう。 私がもし男の子だったら、女の子に混じって遊んでいて周りから余計な心配を買うタイプだったと思う。要するにデフォルトのコミュニティ( というものが中学くらいまでは存在・機能していたように思う) の居心地が悪いので、 別の場所に異物として混入し続けることに安心を見出していた。異物は注目される。《クラスの同性》 というデフォルトコミュニティでは無視され蔑ろにされ続けてきた 人間にとっては都合のいいポジションだ。

という私が女子大に入ったのは意外に思うかもしれない。 私も正直友達など期待していなかった。勉強ができればよかった。実際、大学の同期とプライベートで遊ぶことはほとんどなかった。今もSNSで連絡がとれる状態の子が数人いる程度だ。けれども一応日本文学専攻だったこともあり興味の範囲が似ている子が多かったし、付属高校がなくほとんどの人が指定校推薦か滑り止めで入ってくるような大学だったのでみんな基本的に真面目で、その点ではなじみやすい場所だった。女子校出身の子が多く、彼女らの独特の奔放さも面白かった。 学びに集中するにはとても良い環境だったと思う。( でも入学したての頃は昼休みに食堂へ向かう列を見て「 本当に女子しかいねぇ~~~~!!!!」 と目を剥いた記憶がある)

話をとばしたが高校生活はわりあい平穏だった。持ち前のデリカシーの無さで入学して最初にできた友人の輪からいきなり外れたり、 2年目はクラスに友達が一人もいなかったりしたが( この時点ではそういうことにもう慣れていた) 部活を掛け持ちしたおかげでたくさんの所属コミュニティを用意でき、言葉は悪いが潰しがきいた。 そこには男も女も半々くらいがいて、あまり女子は、男子は、ということを考えなかった記憶がある。


おそらく17、 18歳頃には男と女という括りのしがらみから心理的に解放されたように思う。性別違和を感じている人やヘテロセクシャルではないと自覚している人が身近にいたこともあったし、ジェンダーフリーの考え方が少しずつ広まってきていた頃で、そういうのに縛られるのは自分としても社会としても、 もう終わりなのかなと感覚的に腑に落ちた。

私自身もそもそも自他の境界が曖昧なところがあり、性別という括りで縛られることには違和感を感じる。かといって自分は紛れもなく女性だと思うし、「女性らしい」と一般に言われるような服飾品や化粧品を買うのも好きだ。 女であることを踏まえてあえてボーイッシュな格好をするのも楽しい。元から男らしくも女らしくもなかったから、 ファッションを用いてどちらにも転がることができて、 便利な顔と名前だなと今では思う。


しかし一方で私は現在、 紛れもない男性社会に属しているという事実がある。 大学時代はバンドサークルに入ったが男女比ではやはり男の方が多かったと思うし、 サークル引退後もバンドをやっていてもやはり男性の比率が圧倒的に高いと思う(なぜだろう?)。自動的に、できる友達も同年代の女性に比べたら男性の比率が高いようだ。 新卒で入った会社も男女比9:1くらいだろうか、 フロアは見渡す限り男。だからといってどうとも思わないし、女であることで得をしたことも損をしたこともない(いや、 得したことは少しある。 数少ない女性社員だからすぐ名前と顔を覚えてもらえることと、たまに飲み会でそんなに食べてないからと安くしてもらえることだ )。

結局私は未だに、異物であることに居心地の良さを感じているのだろうか。

それともどっちつかずの状態から男性に転じ、男性に同化することでその場に馴染んでいるのか。

自問自答が尽きない。


同性に対する拒否反応、というのは正直なところ、ある。会社の更衣室ロッカーでは出来るだけ人に会いたくないし話もしたくない。女だらけの職場だったらまた鼻つまみ者になるだろうと思ってしまう。なぜかは自分でもよくわからないがそんな気がする。結局のところ幼少期にうまく同性に馴染めなかったという意識がそう思わせるだけかもしれない。実際に行ってみないとわからない。

一応、 女性の友人各位のために書いておくが女性という存在が心底苦手というわけでは決してない。バンドをやっている中で、 気軽にごはんや映画に誘えたりする女の子の友達もできた。皆個性的で好きなものに対してまっすぐでかっこいいし、私もそういう存在でありたいなと思う。


最近はカウンセリングの副産物として昔のことをよく思い出すようになった。本当に色々なことが現在の私の思考の不健全さや歪みに繋がっているということが次々明らかになる。 交通事故のようなものだと言われて妙に納得した。運悪く傷つけられ、その傷が後遺症となって大人になってもじくじくと痛む。人は多かれ少なかれそういう事故に合っているのだろう。私はちょっと多かったみたいだ。その程度で不幸だとは思わなくなった。不運と不幸は違う。と思う。

復職

12月2日から、休職していた会社に復職した。

5月まで所属していたパッケージソフトの保守・新規導入を行う部署から、いわゆる社内SEの部署に異動になった。

顧客という概念がないので社会的責任という点では少し軽くなった。しかしシステム管理者の知識はほとんどないので、とりあえず今は社内ネットワークで困っている人の話を聞いて取り次いだり、操作マニュアルサイトを作ったり、申請された手続きを行ってハンコを押す、というようなことをやっている。問い合わせがないと暇なのでIFTTTについて調べたりWordPressで個人的なページを作ったりして遊んでいる(一日ネットサーフィンしててもいいよと先輩に小声で言われた。その先輩もよく体調不良で遅れて来る。人柄が良く頼み事をしやすいしそれを解決できる知識も持っているので、いつもとても忙しそうだ)。

復職と言ってもフルタイムでは働いていない。休職期間のうちに満員電車でパニックを起こすことはなくなってきたし、夜遅く帰るほうが嫌なので9時~17時半の定時きっかりで退社ということに決めたが、いきなり週5勤務にして休みまくって迷惑をかけたくないので水曜日を休みにした。しかしながら4日勤務できた週すら今のところない。1月からは週3日勤務に変更して様子を見ることになった。(休みを決めておけばその欠勤分は傷病手当金が申請できるらしい。助かる)

 

前に一度だけ会って話したカウンセラーに笑われてからあまり言いたくなくなったのだが「今日これから外出する自分が想像できない」という状況になることがある。

あとは自律神経が狂ってよく微熱が出ているがそれくらいではもはや動じなくなった。

 

最近視界の端に変なものが見えるようになった。

原因はよくわからない。

 

本当はこの後に長く重苦しい自問自答を書き連ねていたのだけれど、読み返して馬鹿馬鹿しくなったので載せるのはやめる。明日も仕事だ。私が今やるべきことは薬を飲んで寝ること。それだけだ。