my lips are sealed

tamavskyのB面

退職

本日1月24日で新卒入社した会社を退職した。(保険の関係で正しくは1月30日付だけれども)

復職後も結局休んでしまうことが多く休職期間が既に満了していたということで、思ったよりも早い退職になった。今日は出社してすぐ人事と面談をして、すぐ退職で話がまとまって、必要な書類を書いて、私物を片付けて、捨てそびれた書類をどっさりシュレッダーにかけて、私を何かと気にかけてくれていた先輩とコーヒーを飲んで、帰宅した。

 

退職、なんて自分には無関係だと思っていた。昨今の風潮からぼんやりと会社にずっといるとは思っていなかったけれども。自分でも突然無職になっちゃって、びっくりしちゃっている。最近起きることは何もかもどこか他人事のようだ。

 

ということで、エンジニアのお約束、退職エントリってやつを書いてみる。あまり参考にならないかもしれないけれども、せっかくの節目なので。

 

 

・勤めていた会社について

SIerらしい。一応東証一部上場企業で、とはいっても従業員数は400名程度。大手というほどではない、独立系SIer
金融機関やサービサー、百貨店のEC事業、地方自治体、などなど多業種のユーザー向けソフトウェアの開発、カスタマイズ、保守が主な業務。その他にもBPOなんかもやっていた。
基本的には一次請けの仕事のみだが基幹システムを担うことはあまりなく、N〇Cやら富〇通やら、最近話題になったJ〇Pのサブシステムだった。少なくとも私のいた部署はそんな感じ。

最近少しずつ改善されてきてはいるものの立場は営業>エンジニアという雰囲気。男女比は9:1~8:2くらい。

一年目~二年目中盤あたりまでは開発(言語はJava)、テスト、保守をやり、二年目終盤~三年目初頭から上流工程にも参加させてもらい、小さな案件のプロジェクトリーダーを任された(が、その途中で蒸発したためやり遂げることはできなかった)。

なので私が会社で得たスキルはウェブアプリの基本的な作り方とSQL周り。ネットワークやサーバー周りはさっぱり。Oracle MasterのBronzeと基本情報技術者試験は合格した。応用情報の試験を受けそびれたまま。多分ちょっと頑張れば受かる。

それから、私は自治体向けソフトの部署にいたので、ユーザーからの問い合わせ対応をするうちに税金や国民保険関連の法令知識も、ごくごく基本的な部分のみではあるがついた。

入社した理由は、説明会で文系でも普通にIT企業に入れるんだ~と知る→ITも開発工程は結局モノづくりなので性に合いそうだし、ITなら今後食いっぱぐれることはなかろう→転勤なしの独立系・ユーザー系IT企業をいくつか受ける→受かった中で一番大きい会社に入社、という流れだった。

 

・よかった点

半年近い期間を研修に費やしてくれる親切な企業だった。無駄な時間がなかったとは言えないが、お陰で日本文学専攻、いにしえの女オタク特有のWebサイト作成の経験のみあり、の状態からJavaPL/SQLが書けるようになった。

ユーザーがほとんど地方自治体だったので出張が多かった。これは新鮮な体験を好む私にはちょうどよかった。寝坊して飛行機を逃し6万の自腹を切ったのは辛かった……けどいい思い出。

また、当たり前といえば当たり前なのだが、残業した分のお金はきちんと払われた。

同期や先輩との関係は良好。同じ部署に同期がいなかったので、比べられて辛い思いをしたり、意識の低さにイライラしたりすることもなかった。

 

・いまいちだった点

人手不足が深刻で、最初に所属された部署では先輩たちも半分心を病んでいるような状態だった。人の入れ替わりも激しかった。そして部長がタフすぎて、皆内心「ちょっとついていけないな……」と思っているようだった。

マネージャー的な人間が出張やら何やらで不在なことが多く、社内に残された自分に社内でしかできない仕事が回ってきたり、すぐに質問ができなかったり、これは自分の悪い癖だと自覚したのだが質問することをためらって必要以上に時間をかけ、その間も顧客対応でタスクが横入りしてきて仕事を抱え込んでしまうという悪循環に陥っていた。

あと女性差別的な文化が入社してすぐの頃は少し残っていて、スーツはスカートのみ、営業に女性は入れない、という謎のルールがあった。現在は解消されている。

あと、飲み会には事務職の女性を無料で呼ぶという意味不明な文化もあった。私は女性だがSEなので彼女らの分もお金を払った。これについては、そういうことをするタイプの社員がいなくなったので今はもうないと思う。ないことを願う。

 

・退職を決めた理由

まずは仕事を抱え込みすぎてストレスが爆発してしまい元から情緒不安定だったところに拍車がかかってしまい、身体が動かなくなってしまって休職をした。

復職を決意した経緯はこの記事に書いた。 

juno.hatenadiary.jp

そうして条件付きで復職したものの結局思うように身体が動かず、人事からも「厳しい言い方になってしまうが、この状態では現場も安心して仕事を任せることができない。復職は早かったのではないか」と心配されているところだった。かといって、休職できる期間は規定上もう残っていない。

自分の性格上、生活環境を変えることにはあまり大きなストレスを感じない(むしろアドレナリンというかドーパミンが出て、いつもより頑張れる)ので、いっそのこと働き方、働く場所もがらりと変えてしまおうと決意した。

とはいえ情緒不安定なところは変わらないのでフルタイムでないところからこつこつやっていこうと思う。このご時世仕事なんていくらでもあるみたいだ。

また、信頼できるカウンセラーさんと話して「なんとかなる」と思えたことも大きかった。今のあなたならこういう働き方がいいかもしれないよ、メンタルの不調で離職した人向けのエージェントもあるよ、と有益な情報を提供してくれた。私と同じような境遇の人をたくさん知っていて、カウンセラー以外の仕事にも従事してきた経験豊富な心理士さんであるし、ここには書かないような個人的な暗い体験、心的外傷についても詳しく話してきた人なので、信用も信頼もできる情報源になっている。

 

・これから退職、転職する人へアドバイス

当たり前といえば当たり前だが本当は退職というのは計画的にやるべきだと思う。
健康な人は転職先を見つける、金銭的余裕を作っておく、といった準備を必ずしておくべきだ。私は何もしていないのでこれから多額の負債を抱え、しばらくは様々な督促の電話におびえながら暮らすことになる。こんなブログを書いて、空元気もいいところである。

ただ、幸い自社の持株会に入って月に1万円分の株を給与から天引きで購入していたので、1~2か月後にはまとまった金額が入ってきそうだ。入社当初よりは確実に株価も上がっているし、3月なら多少いい額で売却できるだろうし、それなりの利益はありそうだ。それでも貯金は全然ないし、医療費だってかさんでいる。自立支援医療を申請して診察と処方薬の金額が1割負担になったとはいえ、カウンセリング(30分で3,400円)が対象外なので結局負担は大きいままなのだ。この点については社会福祉に対して強く改善を要請したく思っている。

 

・これからの働き方、抱負など

まったくもって未定だが、コールセンターやらデータ入力やらの高時給のアルバイトで食いつなごうと思う。勤務場所もできるだけ近くで、週に3日程度から増やしていければと思う。それにも慣れてきたら正社員も目指せる派遣に登録してみようと思う。

その間にやりたい仕事が見つかればそれを目指すかもしれない。できればそういう会社が見つかればいいなあと思う。事務的な単純作業も嫌いではないのだが、よりクリエイティブなことができればそれに越したことはない。

まずは、健康第一で無理なく自活できることを目指す。

住む場所も変えるかもしれない。郊外のボロアパートで徹底的に固定費を減らして暮らしてみるのもありかもしれない。

プライベートでは、歌集を作る。バンドのライブを増やす。アートプロジェクトの企画をする。マイペースになってもいいのでとにかく目指していることをきちんと形にして、生きていくことの糧にしたい。

 

・そして……

退職・転職エントリのお約束らしいのでおこがましくもアレを公開しておきます。

 

 

追伸

レンタルなんもしない人さん、結局こうなっちゃってすみません。でもあの日のことは忘れがたい経験になりました。(詳細はこの記事↓)

juno.hatenadiary.jp